灰になった教師
彼と最後に話したのはまだ暑さが残る初秋の午後だったと記憶している。
「得しちゃったよ」
と、しきりに言っていた。その顔はまだ血色が良く.ふっくらとさえしていた。2ヶ月前に胃の全摘出手術を受け、現在抗がん剤治療を施している事も淡々と語っていた。「本当は今頃あの世だったのに、生きる権利を貰ったね」強がっている風でもなく、本当にそう思っていたのだろう。
その風貌からは甚だ不釣り合いな、彼の運転する赤いスポーツカーと擦れちがったのはそれから2週間後くらいだったろうか、私が彼を見たのはそれが最後となった。
高校の教員をしていた彼は、立てなくなってからも教壇の横に分厚いクッションを敷いた自前の椅子を置き、そこに座ったまま授業を続けた。社会科の教師だった彼は、歴史の授業の中で時折エロチックなエピソードを交えて史実の紹介をするのが生徒の間で人気だったが、最後までそのサービス精神は健在だったらしい。
私と最後に話をした時も、担当するすべての生徒の写真を奥さんが手作りしたというカードケースに大切にしまい、お守りのように持ち歩いていた。
痩せたというよりは、骨に肉がまとわり付いただけの風貌になってしまった彼が入った長細い箱を見たとき、それらのことが一瞬のうちに頭の中を駆けめぐった。
弔辞の順番が回ってきたようだ。
Speach🎤
本日お集りのご親族ならびに、学校をはじめとする関係各所の皆様方、心よりお悔やみ申し上げます。故人より受けた恩を噛みしめながら、一言ご挨拶を差しあげたいと思います。
“全力で生きぬく”とは、口で言うのは簡単ですが、実際に行うには大変な困難を伴います。彼は私が見た初めての“生きぬいた”人物であります。
教壇というステージで消えそうになったロウソクの火を燃やし切りました。そんな彼を支えたご家族、職員のみなさまに至っては強い心を持ち続けなければならず、辛い日々だったでしょう。
そして何よりその授業を受け続けた生徒の皆さんに至っては、平常心でのぞむこと事体に大きな迷いを感じたことでしょう。
本日いらしている、生徒の皆さんに一つだけ伝えたい事があります。
学校とは学ぶ場所です。とりわけ覚える・理解するという作業を粛々とこなしていく日々となるでしょう。ただ、それにも負けないくらい大切な作業があります。
「忘れないこと」です。
皆さんはこれから沢山の人と出会い、影響を受けそして別れていきます。それはまるで記憶を上書きしていくかの如く更新されていくのです。覚えて忘れていくのです。
教育者として生徒のみなさんに情熱を注ぎ、教壇で命の灯をともし続け、そして燃え尽きた1人の教師が・・・1人の男がいたことを、
どうか・・・どうか・・・
忘れないでください。
彼が生まれ変わったら、また教壇に立ってくれることを願っています。皆さんも同じことを願いながら彼を送りましょう。
END
教師をしていた先輩の葬儀に参列したのはリアルです。教え子達で斎場は埋め尽くされました。
その時の一般参列者代表の弔辞がとても「微妙」だったので、自分だったらこんな風に話すのにな・・・と頭の中で唱えたものを、長い年月が過ぎた今書き起こしてみました。
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