サイババ体験談⑫
私は沖縄での暮らしの後、意識の降下とでもいうのでしょうか、本能的に実際の周囲のものや自意識を形成することがらとのつながりをどんどん切っていって、
余分なものをすべて取り払ったあとに残るであろう個人の私の核のようなものを見出そうとしていました。
それはいったんすべてを捨て去る作業でした。
手探りですから何も守らないように、保持しないようにという思いで、たとえ人に痛めつけられることでもそのプロセスを進めるものとして本能的に歓迎し、のちに自分で自分を痛めつけることすらしました。
完全に独立した個人である自分を頼りに今後この世界で生きていけるんじゃないかと思い、そういう、完全に個人になるプロセスを数年かけて徐々に進めていました。
しかし自分を支える全てを剥ぎ取り、全てを失った私自身を見つめたとき、
時間や空間や記憶にも拠らない個人としての私の実体や、個人の核となるような普遍のものは実は何もないことを確認しました。
(それは恐ろしい体験でした)
そのあまりにも何もなさに耐えられず、
恐怖を逃れるために私は底なしの闇に向けて自然とアメージンググレイスの最初のフレーズの一部を歌っていました。
「ア~~~メ~~~~~~~」
そこだけを何度も何度も繰り返し歌いました。
その声の振動を感じている瞬間にだけ、わたしはいまここにいると感じることができました。
虚無の恐ろしさの中でその響きは命そのもののように確かに思えました。
のちにそれはヒンズー教のオームの響きと多分同じ原初の響きが
うつろな自分の中から生まれ出てきたんだろうと気づきました。
自分個人というものは存在しないと確認した後、
では、個人がないけどこの世界で個人として生きなければいけないなら、自分のあり方は自分でプロデュースしていいんだろうと思いました。
そのように、そのときはひとつのターニングポイントとなり、この世界に生きる方便として自分の好む形の暫定的な個人性を提示して、それを生きていこうという方向性と能動性が生まれました。
生きるということは体現の連続となりました。
しかしそのような常に自分自身であり続けることは同時に常に虚構としての世界を否定することでもあり、それはそれできつい戦いで、いつも気もちは全身を刺されているようにひりひりしていました。
私がすべてであり、世界がその虚構の姿を私の前にさらけ出したあの21歳の超絶体験の瞬間、
虚構としての世界と私とのつながりは本質的に断ち切られ、
(いまだかつて交わったことはなかったのかもしれませんが)
もう、それらの虚構に身をゆだね、心を許すことはできなくなりました。
しかしすでにこの心を許すことのできない世界で生きる選択をしてしまった私にとって、この虚構の世界とすべてである私のどちらにも実体として等しく存在するように思えたのがババでした。
21歳のときの超絶体験のときに唯一対等に話をすることができた存在が私にとってはババでしたから。
私が超絶体験をする前も、そのときも、そしてこの世界に戻ってきて堕ちていった後も、ババは変わらない高みを示していました。
体験前も、そのときも、体験後も、ババとの交流で分離や乖離の痛みを感じることはありませんでした。
わたしたちはつながっていて、そのつながっている部分において私たちはひとつでした。
この世界に大喜びで戻ってきたものの、インドに行く前とは勝手が違ってすぐに途方にくれた私は、すべてであった私へとつながる通路のようなものとしてのババを改めて見出しました。
ババは道そのものでした。
ですからこの実体がないけれどとりあえずそれを生きるしかない、私という個人性をサイババへ溶け込ませてその個人としてのわくを広げる作業をこの10年ほど意識的に、また、否応なくしてきました。
それは外にあるように見えるものを内に見出して統合していく作業の繰り返しでもありました。
その作業の期間中には非常にバラエティ豊かな霊的混乱状態を通過しもしました。
それは妄想的な確信が現実化する世界で、そういう意味ではあらゆる妄想はすべてリアルな現実でした。
様々な体感やビジョンやインスピレーションなどが途切れなくやってきて、
様々な意識の階層に同時に瞬間ごとに存在するような感覚や、
何を見ても、それを現出させている情報やそのものが含んでいる情報に、そうはなりたくないのに意識が連れ去られて一体化してしまって苦しんだり、
時には悪魔的なエネルギーが行動を起こさせようと自分を駆り立てていることに気がつきました。
時にはどこかの神のようなエネルギーが入ってきてしばらく留まり、用事が済んだら出て行ったようなことも何度かありました。
そのように神々や悪魔や霊やエネルギーや聖者やお化けや妖怪や過去生の自分や様々なものが入り乱れて自由に出入りしていて、個人としてのわたしはぐちゃぐちゃでした。
なのでいつも非常につらかったです。
私の逃げ場は全てである神しかなかったのですが、そこに完全に溶け込むには私の中にはあまりにも多くの不協和音がありました。
これらの霊的な存在たちの世界もこの物質世界と同じく現実であり、物質世界と同じく虚ろなものでもありました。
それらは現れてそれぞれの印象を残して私に経験を与え、去っていきました。
当然、このころは日常生活を送るのが非常に困難で、この時期の最後のほうでは半年間家にこもって集中的に自分自身の浄化を行いました。
ババは私にバクタ的な帰依者であることを求めませんでした。
私は自分個人であることと全体としての真の自分としての記憶との間で常に引き裂かれるような痛みを感じ続けており、
それから逃れようと、1999年から2000年になるときの年末年始にプッタパルティを訪れた際、
「私をバクタ的な帰依者にしてください」
と数日のちょっとした断食とともにババに真剣に祈ったこともありました。
(バクタは仲間もたくさんいてなんだか楽しそうに思えたのです)
しかしババはある日のダルシャン中に
「帰依者にならなくていいよ、自分の好きなようにしなさい」
と、私の心を通じて言いました。
そうか、好きにしていいのか、と、その瞬間は気楽になり、
ぱぁぁっと展望が開けたような気がしました。
しかしその時すでに私は何をしても心のそこでは楽しくなくなっていて、何もしたくなく、
意識の極度の混乱も数年にわたって続いており、実際、毎日ただひたすら消滅したいとだけ思っていました。
それでも人は生きている限り何かをし続けないといけないので、そのときそのときの目の前にある何かをし続けました。
不思議と、今この瞬間に何をするのが求められているのかはわかるのでした。
きっと人はこの世界で生きているかぎり、いろんなことをできるだけうまくやり続ける必要があって、
私たちはより良い劇場空間を作り上げ、演技をして、楽しみ、やりきって、あとくされなく振り返らず、
最終的には舞台を降りて本来の状態へと還る必要があるのかもしれません。
劇は始まりと終わりがあってこその劇であり、いつかは終わります。
もし今、私がまた「舞台を降りていいよ」といわれたなら、今度はしくじらずに人生を終えるかもしれません。
実際、この世界に戻してもらう選択はしくじりだったような気もしてよく後悔しました。
私は多分あの時、最後の線を超えそこねたのではないか、失敗したのではないかとその後の苦痛の中でよく思いました。
インドに行く前は私はさまざまな殻に守られて透明な内面性を保っていました。
しかし体験後は外的な守りが破壊された状態でこの世界に再び戻ってきたので、世界は私に対してあらゆる角度において攻撃的な耐え難いものとして現れ続けました。
そこから逃れる唯一の活路として私は選択の余地なくババに向かい続けてきました。
私は自分がこの世界の中で生きることを選択したことが引き起こした世界の敵対化にぐちゃぐちゃに打ちのめされましたが、いまさら世界から逃れることはできませんでした。
しかしババはこの世界の中にも光として存在していて、彼の肉体はこの世界にその分だけのささやかな空間を占有して存在していて、そのことを私は非常にありがたく思いました。
彼は私にとってなぐさめ以外の何ものでもありませんでした。
ババがこの世界に生きているということは、わたしもこの世界で生きられるということでした。
ババとわたしの関係性それ自体も虚構かもしれませんが、
この世界にいるババと自分との関係性を見てその距離をおしはかる時、
私は自分がすべてであり、世界そのものであったときの自分を再び見出し実現するために何をすべきかの手がかりと地図が与えられているように感じます。
そのためには今の自分にはババが必要であり、彼を見失うと私はこの巨大な迷路のような世界を解きほぐす手がかりも見失うでしょう。
その後あるインド人聖者に自分のインドでの体験を話して、それは一体なんだったのかとたずねたことがありました。
彼女(女性の聖者でした)は
「それはあなたが過去生で積んだ徳の結果で、誰にでも起こるというものではない。そしてあなたはその時、私のようになるかもしれなかった。でもそうはならなかった。あなたは今はもう世俗の中にいるので、世俗の中で生きなさい」
と言いました。
それを聞いた私は、ええーーー、と思いました。
その体験の記憶を持ったまま世俗で生きることは私には不可能に思えました。
この世界がうそではないと、自分にうそをつくことはできませんでした。
あっさりと記憶を手放し、世界に対して素直に純粋に生きればよいのかもしれませんでしたが、私の記憶は暴力的なほど強烈で、自分が手放そうとして容易に手放せるようなものではありませんでした。
その記憶が私の全世界をすでにひっくり返し、私はすでにその記憶に基づいて、現象世界と絡み合い相互依存の状態にあった過去の自分を数年かけて虚構として捨て去り、
完全性を備えた生命体としての独特な自分と、その自分の意識の光の反映としての現象世界を、新たに瞬間ごとに見出して生きていたからです。
そんな私の「それは無理」という反応を見て、その聖者は
「でも、まだ可能性はある」と、ふと何かを見つけたように付け足しました。
その可能性が今もまだあるのか、そもそも、それがどういう可能性なのかどうかは分かりませんが、
私は今の世俗の生活から抜けることは無理そうなので、
私のこの世俗の生活を、あの記憶の状態が現れることができるくらいの純粋なものへと昇華させる必要があると思っています。
さもなくば私は死ぬまでそのギャップに苦しみ続けることになり、ババはそれを望みはしないと思うからです。
ババにダルシャン中に「帰依者にならなくてもいいよ」といわれたように思った同じころ、わたしは
「ババって、ロックスターみたいだなー、みんなにキャーキャー言われて。」
「プッタパルティーって、サイババ王国だなあ。どこもかしこもサイババやん。」
とか思ったこともありました。
そして、またダルシャン中にババを見ながら、
「わたしも、自分の王国を作ればいいのかなあ?」
と何を思うともなく、ふと思ったことがありました。
するとその瞬間、ババはだいぶ遠くにいましたが、まっすぐこちらを見て
(ババの目からのエネルギーにレーザーのようにするどくまっすぐ貫かれたので、そう感じました)、
大きく3度、すごくまじめな顔でうなづきました。
そのころから私は自分自身の中から独自の絵がいくらでもあふれ出るようになり、数年間ほど画家として活動しました。
それは自分を中心にした状態でなおかつ個人のレベルで閉じずに神へ自分を開き、神を招き入れ、神が自分を通して働く、
そのプロセスを体現するトレーニング期間であったとも思います。
また、世俗の中ではこのような何らかの役柄を演じて社会の中での居場所を作ることが周囲に安心感を与え、私を世界の中で生きやすくもさせてくれました。
役柄を演じることは、この世界で生きることの楽しさを感じさせてもくれました。
今思うことは、やはり、私たちはババのようにすべてに深く愛され、すべてを深く愛する、神がすべての中心で基盤である神の王国を作ればいいんだろうということです。
ひとりひとりが真の自分自身である神として自分の世界を統治し、その中心にいるのが本来の姿なのだろうと思います。
神としての自分自身であるとき、すべてとの一体感と、すべてに対する無執着があるんだろうと思います。
神であり、自分から展開する世界の統治者である王としての自分に再び気づくためには、
それ以外の卑小な自分との自己同一化とそれによって同時に起こる自己限定化をやめる必要があるのかもしれません。
「ババ=真の自分」に立脚するとき、世界のすべては虚構としての本性を現し、たとえ私が世俗の中にあろうとも、すべてが根本的に調和し、恩寵の光の中で神の輝きそのものとなるはずです。
それを可能とするためには、この世界にババと私として別々に現れているかのように思える両者をひとつに溶け合わせ、超越し、
見出されるのを永遠に待っている唯一の真実を顕現する必要があります。
ババはいつも真の自分自身と同じものです。
それを、言葉にするのではなく、生きて、体現していけますように。
その時、この現象世界は愛そのものであるのでしょう。
そうすると、私たちはすべてが神である事を知りながら、この美しい世界の劇に参加するために与えられたそれぞれの役柄を演じることを心から楽しみ、踊り続けることができるのでしょう。
ババはいつも私たちを深く愛していて、私たちからの深い愛を受け取る準備ができているのでしょう。
愛の中ですべてがひとつでありますように。
わたしたちが全身全霊でババを愛することができますように。
そしてそれを可能とするババの恩寵を私たちがババから受け取ることができますように。
ババの恩寵の中で私たちは生きていて、それ以外は何も存在しないことに私たちが気づくことができますように。
永遠に自らを与え続ける孤高の、
そして無数の姿で現れ続けるこの現象世界のあらゆるものであるあなたに今一度、感謝の祈りをささげます。
Jai Sai Ram