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霰アラレのスピリチュアルな意味

霰アラレのスピリチュアルな意味


もし、あなたが雨でも雪でもなく、アラレに遭遇したとしたら、それは滅多とない出来事です。

あなたや、あなたの身近な人に普通では有り得ない、信じられないような、小さな出来事が起きる、起きようとしている、または起きている、ちょっぴり貴重なモノが降ってくる、与えられるという高次の存在↑👤✨からのメッセージです。

「あられ」は、動詞の「ある」存在するの意味に可能を表す助動詞「れる」受け身(他者からされること)、可能(することができる)、自発(自然と起こる)
軽い尊敬(目上の人に対して)のついた「あられる」が名詞化したもの。

「あなたの身近な目上のひとに自然や人により、小さな何かを目にする、起きる」
「小さなあることを可能にすることができる」

その「なにか」や「あること」は、あなたの心が知っていると思います。

あっと驚くような滅多にお目にかかることのないような、有り得ないことですが、ほっといても消えるようなことです。

ステキな未来につながりますように。


✨💎✨💎✨💎✨

朝、この1ヶ月、あったことを振り返りながら、日記をつけていました。

同じようなことが起きている、
ありえない
この人、昔の私のよう。
自分も気をつけよう。

と書いた途端、突然アラレが降り出し、地面を跳ね出しました。

可愛い!そう思うと更にアラレの降ってくる量が増え、楽しくなり、子どもにアラレが降っているよと伝えました。少し積もった光景を見て、塩カルみたいと心も萎える、現実的なものを想像してしまいました。するとアラレはやみ、跳ねていたアラレたちもすぐにとけてなくなってしまいました。一瞬の出来事。

おーしまい!と雲間から太陽が顔をのぞかせました。太陽、貴重な光景をありがとう✨

きっと、先程行われていた動物会議は、このステキなプレゼントの相談だったのかもしれません。

そうだよと、太陽の光が増しました️☀️
ありがとう
(*´ ˘ `*)ウフフ♡

動物会議

アラレもないという言葉があります。

普通には有り得ない、あるべきではないという意味があります。江戸時代の用法では、「とんでもない」「あってはならない」「予想外な」

地位や名声、お金
そんなものは昔から度外視。親子の成長のためにと走り回った時間と労力、自分の財産を投資し、愛情を注ぎ、築いてきたもの、大事にしてきた活動を一瞬にしてぶち壊された過去があります。

子育て雑誌「クーヨン」にも載せていただいたほど、中身が濃く、開催すれば部屋にはいりきらないほど多くの親子が参加してくださりました。毎回涙しスッキリ笑顔で帰られるママさんたちの姿を見てきたので、我ながら素晴らしい居場所だと感じ、ずっと活動を続けたいと思っていました。

けれど、自分の家庭の事情、引越や体調不良などで自分が動けなくなってしまいました。そのため、手放すことを決意し引継を願いしたものの、子どもたちのためではなく、自分が目立つための踏み台にされたという事実に驚愕。一緒に活動していた先生は有り得ないと大激怒。「自分が引き継ぎます」という人に安易に任すのはよくないと、大変勉強になりました。ま、それくらいちっぽけなことで、取り立ててそのことで特に何の問題も支障もありませんでした。

そういう小さいけれど「あってはならない」出来事が、過去にあったのです。
再試験なのかもしれません。

同じような問題が身近で起きるかもしれない。けれど、何が大事かと心すれば、とんでもないことは消え、晴れ渡る。安心して。大丈夫。と、太陽が暖かな光を送ってくれています。

太陽は見えないところでも、常に晴れ渡っています。外でニコニコ、家に帰ってもニコニコ。いつも太陽はひとり。だけどいつもニコニコ。実はひとりなんかじゃないから。不思議と驚くようなこと、面白いこと、うれしいことが起きるからニコニコ。幸せなきもちに満ちているから、ニコニコ。勝手に感謝のきもちが湧いてきてニコニコ。

いつなんどきも、明るく、暖かく自分の意思は妥協せず、寛容であられよ。

アラレに遭遇したら、
すべて良いことに変わるからね。

パラパラパラとソラからのマメまき。
鬼は外、福は内

正直者が馬鹿を見る時代は終わるのよ。
これまで、おとなしいからとつけこまれてきた人、イヤな思いをしてきた人、苦労してきた人たちは、今、試験ラッシュかもしれません。

自分の信念を貫いて、愛するものを大切にしながら、笑顔、感謝、恩返しの心を忘れずに過ごしてみてください。
大逆転、きっとするハズです。

最後までお読みくださりありがとうございました。

愛にあふれる世界にいたしましょう🩷

ありがとう
ありがとう
感謝✨

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