末期癌の自分の親に気持ちを伝えてみた
18日の未明に父が息を引き取りました。父に感謝を伝えようと思って書いた詩を公開します。
この詩を父に読んだ時父は、「あー」と思い出したように見える声と表情をしました。レベルが落ち始めてて、詩の最後の方では腕で顔をふさいでしまいました。疲れたように見えた。
この一週間前親父は、「上げた三輪車は乗っとる?」「お年玉あげないとね(財布を開いて二千円か三千円で迷い、二千円を渡してきた)」「二週間くらいで退院するわ」とぼくやかみさん、孫に言っていました。
だから、親父が分かるうちにぼくの気持ちを伝えようと思いこの詩を書きました。
昨日19日が通夜だったので、喪主挨拶で読みました。親父だけに読んだ時はもう少し過激な思い出も書いてたけど、わざわざ親族全員に伝えても私の家族が困るかもしれないと思い、マイルドにしておきました。
以下通夜で読んだもの
「辛いモノに酒と川」
親父、おつかれさま。
お袋、ぼくの面倒大変だったかい?
チャンジャを食べる度に
あんたが冷凍庫のチャンジャをノコギリで切ってた姿を思い出すよ
天竜川で小鮎を毛鉤で釣ったね
大きな瀬のキラキラした水面
石ころだらけの河原
一斗缶のコンロ
焼肉屋のきくちゃんが持ってきてくれた塩味の豚足とコチュの豚足
ブラックバス釣りにはまったぼくは
親父に頼んで矢作川に連れてってもらったけ
ぼくは今矢作川のほとりに住んでる でも親父と行った場所が思い出せないんだ
あの日一緒に行った場所を探しながら脇見運転している
あの日人生で初めて釣れたブラックバスを
あの日のキラキラした天竜川の瀬を
台湾ラーメンとピータンを
毎晩背中を撫でてもらった柔らかい手のひらを
新年に孫と面会に行ったら
ガリガリに痩せ細ったあんたは
待ってたよと言った
孫見せるのも孝行だろうけど
今日は俺の心を見せよう
お袋は気づいたら仕事辞めたりまた働いたり寝込んだり
風呂場にラブイズオーバーと描いたり
トラブルを見たらキリがない
ぼくも大卒でパチンコ中毒のニートになった
定年間際の親父にはさぞ悩ましかっただろう
今は結婚して子どももできた。
あんたが大好きだったよ
お袋のことも今は愛してる
あんたを投げ飛ばした日もあった
あんたが勝手にぼくの蓬莱泉飲んだでな
あんたの体臭、ぼくの学ランについたマイセンの匂い
音痴のあんたが唯一歌うのは小柳ルミ子
音痴の僕はあんたのおかげで救われてると気づいた
在日の連れとマッコリ呑んでるのもあんたの英才教育のおかげ
ニートの時はパチンコのイベント日を教えてくれたっけ
ケンカもしたな
お!?なんだタワケ 出てけ
うっせータワケ
ぼくも息子と喧嘩になったら
あんたと交わした会話を思い出そう
親父 ありがとうございました おつかれさまでした
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?