使命
11年前の3月11日金曜日、僕は小学6年生でした。あとちょうど1週間で卒業という実感のない事実が頭を巡っていました。最後の週末どう過ごそうかな、そんなことを考えていたのでしょう。
帰り際、先生から「東北で大きい地震があったみたいだから気をつけてね」と声をかけられました。
佐賀から東北という物理的距離と日本における地震の頻度から当時はあまり気に留めていませんでした。
しかし、僕は声を失って立ち尽くすことになります。
帰宅すると姉がテレビをまじまじと見ていました。「ただいま」、僕はその声が出せませんでした。
理解なんて到底できず、テレビの奥の濁った水と木片をただ視認する他ありませんでした。
流れてくる津波という声、目の前の狂気は地震によって発生したらしい。僕はこの実感のない事実は頭には行かず胸の奥の方に広がっていきました。言葉にできない、したことがない感情が僕を支配して、動くことが出来ませんでした。
あれから11年、僕はこの感情を未だに言葉に出来ずにいます。切なさ、悲しさ、無力さ、いずれも含まれてるけど正解ではない。正解を出すことにどこまで意義があるか分かりませんが。
僕は目の前で体験した人の同情は出来ない、そう思っています。僕が同情するなんておこがましいからです。40インチの奥の世界を見ただけで当事者の感情と同じ気持ちになるなんてそんな高等技術は持ち合わせていません。
ただ、心を汲み取りたいのです。きっといい感情ではないでしょう。だから追加したいのです。ドキドキしたワクワクした感情を。今でも色んな方の尽力、当事者の方の底力、人間性でそんな日々を送られてるかも知れませんが、多いに越したことないじゃないですか。僕はそう思います。
僕はこの先どんな職に就くかわかりませんが、これが使命だと思っています。あいにく現在は学も巨万の富も持ち合わせていないので法律を整備することや直接投資することは出来ません。ただ1人の人間として心を汲むこと、お金を落とすことは出来ます。そしてこれからもし自分の言葉を多くの人が聞いてもらえるのなら、協力者を増やしたいと思います。この社会はたくさんの見ず知らずの協力者で成り立っていますから。
あの日の記憶を無くすこと、塗り替えることは出来ませんが、この先をドキドキ、ワクワクさせること。
これが僕の成し遂げたいことです。
より多くの笑顔が生まれるように願って。
僕もその協力者の1人になります。