ボドリのはなし
表紙をめくると、幸せそうな4人家族の白黒写真とともに、この文章が目に飛び込んできます。ヘディ・フリードは1924年にルーマニアで生まれたユダヤ人。1945年の終戦間際にスウェーデンにやってきた女性です。この絵本では、彼女が平凡だけれど幸せに暮らしていた子ども時代に戦争が始まり、ユダヤ人として家族でアウシュビッツに送られた出来事を、子どもの目線から語ったものです。ヘディ自身、アウシュビッツ強制収容所で生き延びた子どもの一人でした。大好きだった飼い犬ボドリとの思い出とともに、ヘディは子ども時代の様子をふり返ります。
ごく普通の幸せな子どもだった
ヘディはパパとママ、妹と犬の4人+1匹暮らしでした。犬のボドリは、家族にとても愛され、大切にされていました。毎晩、ボドリに守られていると思うと、ヘディは安心して眠りにつけたのでした。
ヘディには、マリカという親友がいました。マリカも犬を飼っていて、ふたりはいつもそれぞれの犬を連れて遊んでいました。ふたりとも口笛が得意で、ひざにすり傷があり、前歯が生え変わったばかりでした。背の高さもほとんどかわりませんでした。ときどき喧嘩もするけれど、いつもふたりは仲良しでした。唯一のちがいは、マリカは毎週教会へ行き、ヘディはシナゴーグへ行っていたことでした。ヘディはユダヤ教徒で、マリカはそうではありませんでした。
忍び寄る戦争と別れ
ある日、ヘディはラジオで男性が外国語で激しく叫んでいるのを耳にします。その男の名前はアドルフ・ヒットラーでした。
ママは、
「この人はここまでは来ないから」と言いました。
パパは、
「わたしたちは何も悪いことをしていないのだから、恐れる必要はない」と言いました。
それでも、戦争は始まりました。
そして、ヘディはボドリと外で遊べなくなりました。
マリカとも、遊べなくなりました。
それでも、ヘディはマリカとこっそり遊んでいました。ある日、ふたりはいつも遊んでいた公園へとやってきます。木登りしていた木、かくれんぼしていた草むらは、以前と少しも変わりませんでした。
ところが、いつものベンチに近づくと、そこに何かが書かれているのにふたりは気づきます。ベンチには、
ユダヤ人お断り
と書かれていました。
ヘディはもう、外で遊ぶのが怖くなりました。
その後、ヘディの家族は引越しを命じられます。
荷物を詰めるパパの手は震え、ママは青ざめた表情をしていました。
パパとママの様子から、ヘディは状況の深刻さを理解したのでした。
無表情な兵隊に連れられて、ヘディたちは家から追い出されました。ほかのユダヤ人たちとともに駅へと向かいました。列車を待っているあいだ、これからどうなるんだろうと怯えていると、ヘディは手になにかあたたかいものを感じました。ボドリがヘディたちを追いかけてきたのでした。
ヘディはボドリと一緒に列車に乗ることを許されませんでした。
駅を出発した列車をボドリは長い間追いかけましたが、やがて見えなくなってしまいました。きっとほかの犬たちと助け合って生きていけるはず。もしかしたらマリカがボドリを見つけてくれるかもしれないと、ヘディは祈るような気持ちでした。
強制収容所
強制収容所で、大人たちはいなくなりました。
ヘディと妹は、空腹で喉も渇き、いつも怯えて過ごしました。
警備の男たちに髪をすべて剃られ、服も取り上げられました。
代わりにボロボロの服とかたく重い靴が与えられました。
ボドリのことを思い出す時だけ、ヘディは元気になりました。
お腹が空いたとき、眠くなったとき、パパとママに会いたいと思ったとき、ヘディはボドリのことを思いました。
そうして、何日も何日も過ぎていきました。
ボドリは毎日を数えられないけれど、
季節の変化には気がつくはずと、ヘディは思いました。
木々が冬の装いから、
春の新緑ドレスに着替え、
さらに深い緑色をしたロングサマードレスへと着替えていくさまを。
そしてドレスがあかがね色になったとき、
突然、だれかがボドリの名前を呼ぶのです。
ヘディ・フリードは、終戦後からスウェーデンで暮らしています。作家であり、心理士として働きながら、アウシュビッツでの体験を語り継いできたといいます。彼女の著書『ホロコーストについて尋ねられたこと』"Frågor jag fått om Förintelsen"(日本語未訳)のなかで、ヘディは、自身の体験を語っていますが、とても興味深い一説があるので最後に引用します。
"Historien om Bodri" (2019)
著者:Hedi Fried
イラスト:Stina Wirsén
出版社:Natur Kultur Allmänlitteratur
スウェーデン