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スープカレーを食べられるようになった話
僕は最近、スープカレーを食べられるようになった。いや、こう書くとなんか語弊があるな。「今までスープカレー食べたら死ぬ体質だったの?」とか「スープカレーに親でも殺された?」とかこう思う人だって少なからずいるかもしれない。
僕が食べられるようになったと言っているのは、つい最近まで嫌っていたスープカレーを美味しく食べられるようになったということだ。
また、このnoteは有料設定してるけど最後まで無料で読めます。1文字あたり1円切るくらいの安いと思われる値段設定にしています、こんなに書いてよく頑張ったねと投げ銭してくれる方はお願いします。そのお金でスープカレーを食べに行きたいと思います。
それでは本編へどうぞ
スープカレー。細かい概要は省くけど発祥に関して、北海道は札幌で生まれたものらしい。
サラサラとしたカレースープに別皿に盛られたご飯。食べ方は自由で、ご飯をスプーンですくってから、スープに浸して食べるもいい、具材を救ってからご飯と一緒に食べてもよしと、食べる人によって自由にカスタマイズできる点や、ドロドロとしたカレールーではなくサラサラなまるでスープとなったカレールーや、盛りだくさんの野菜(基本的にスープカレーは野菜が多い店が多い)といったところが、女性にも受けて大ヒットしたのかなと個人的には勝手に思う。
何より、見た目がオシャレなのだ。スープカレーを出す店というのは、店内もオシャレであれば、食べる実物もオシャレなことが多い。オシャレなものって無条件で憎かったりしませんか?その当時の僕はこじらせまくっていたので、よくそんなことを考えていた。
そんな僕は札幌出身なんだけど、スープカレーを心底嫌っていた。憎んでいたと言ってもいい。
あれはいつだっただろう。正確な年齢は覚えてないけど、23歳前後だったような気がする。
当時僕は札幌でバンド活動をしている、わりとどこにでもいるような青年だった。
人並みに夢を追い、人並みに恋をして、人並みに仕事をして、遠くの未来より目先の未来を追うことに必死だった。
そんなどこにでもいる澤田青年、ほかの人と少し違う感性を持っていた。
「マイノリティ」であることは素晴らしいと思っていることだった。
「流行りの音楽はダサい」だとか「サブカル文化は素晴らしい」だとか「ヴィレッジバンガードに行けば全て解決する」みたいな、誰にでもそういう時期が訪れる例のアレ。いわゆる厨二病みたいなものだ。
これを読んで、「そんな時期なんかなかったよ!」ってあなた。今すぐ回れ右だ。もしくは友達になりましょう。まともな人と友達になりたい。
そんなひねくれた性格の持ち主だった僕は、もちろん流行りの食べ物も忌み嫌って生きていた。もうわかってると思うけど、その時札幌ではにわかにスープカレーが流行っていた。
実際、周りの友人やライブハウスで顔を合わせるような人も、どこそこのスープカレーが美味かっただの、あそこのスープカレーはスパイスが効いてて良いだの、デートにはあそこのスープカレー屋がいいだのよく喋っていた気がする。
それを横から見ていた当時の僕は、お前ら正気か?カレーを食べるなら「みよしの」か「リトルスプーン(潰れまくってもう多分存在しないカレー屋)」以外はありえない。次点でびっくりドンキーのカリーバーグディッシュくらいのものだ。
流行りに乗っかって本当は食べたくもないスープカレーを無理して食べてるだけだろ?カレーというカテゴリーで分けた時、みよしのより美味いと本気で思ってるのか?
と、心の底から思っていたし、現にそれを口に出したりしていた。
そんな僕も、札幌でスープカレーを食べたことが2回だけある。一度は友人が働いているスープカレー屋に付き合いで行ったとき。
一度目は、食べたこともないのに批判するのは良くないの精神で、友人が働いてるスープカレー屋に友達と食べに行った。
どうせオシャレなだけで大したことないだろうと考えながら行った先で食べたスープカレーは、正直に言うと、美味しくないわけじゃないけどまた食べるかと言われるとそうでもない。同じ額のお金払うんなら、みよしので3回ご飯食べるわと思うくらいのもんだった。
なにより、食べ方に手こずった。周りにいる客はみんなスープカレーに手慣れている感じの客に見えた。サバンナにいきなり裸で放り込まれた感覚に近いだろう。
おぼつかない手でスープカレーを食べ始めると一斉に笑われ、さげすまされるに違いない。「おいおい、あいついきなり肉から食べてるぞ!」「あのご飯のすくい方、なってねえな!」「お前みたいなガキにはこの店はまだ早い、マニュアル片手に出直してきな!」
みたいなことを言われることだろう。
店内の客は全員敵に見えるし、連れてきた友人も敵に見えた。僕はとっさに「食べ方がわからない、どうやって食べたらいいんだ?」と聞いたら「好きなように食べたらいい」と返答が返ってきて、さらに困った覚えがある。
店内の客やスタッフに石を投げられないように気をつけながら、四苦八苦しつつ食べ終えたということもあって、さらに苦手になった食べ物だ。
スープカレー好きとか言ってる人にこのことを話すと、全員が全員、みんな口を揃えて「気にしすぎててキモい」「店が悪い」「あっちの店の方が美味い」「俺が手作りで本物のスープカレーを食べさせてやる」などと、いろんなことを言われたものだった。
そこから時は流れて、町中のいたるところにスープカレー屋ができたころ、僕には好きな人ができた。まだ付き合ってない段階だ。
あるとき、2人で街を歩いてるとご飯を食べようということになり、女性に何を食べたいか聞いたら「スープカレーが食べたい」と返ってきたことがある。
僕はその言葉を聞いた時、心底「行きたくねえ〜」と思ったものだ。
だが、しかしここで「俺、スープカレー好きじゃないんだよ」と言おうものなら「それならあなたとはお付き合いできないわ」と言われるかもしれない。
そんな恋の終わり方はあってはならない。
前に食べたときから随分時間も経った。いまなら行けるだろうと、謎の自信を持ってスープカレー屋に入った。
店は適当に歩いてたらみつかったスープカレー屋にした。正味、どこで食べたって同じだろうと思っていた。
席につき、店のおすすめ!みたいなやつを適当に頼んで待っているとスープカレーが到着した。
そうだった。僕はスープカレーの的確な食べ方がわからない。
忘れていたわけじゃあない、けど、どうにかなるだろうと思っていた僕が甘かった。
実物を目の前にするとどうやって食べるのが正解なのかがわからない。きっと僕には知らない、スープカレー好きには当たり前のスマートな作法があるんだろう。変な食べ方をしたら彼女に嫌われる。
タイムマシーンがあるなら少し前に戻って、スープカレーを食べるのを人生をかけて阻止するとまで本気で思った。
スープカレーを目の前にしながら、どう食べようかまごついていると、彼女は僕に「どうしたの?食べないの?」と尋ねてくる。
ここでの選択肢はおおよそ2択だ。
1.適当に食べる
2.スマートなスープカレーの食べ方がわからないと白状する
1は論外、変な食べ方になってしまって嫌われる恐れがあるからだ。2はどうだ?情けない男だと思われる可能性はあるが、逆にいさぎ良い感じがしないか?
僕は結局2を選んだ。「実は、スープカレーが苦手で食べ方がよくわからない。どう食べればいいか迷っていた」
すると彼女は笑いながら、いつかの友人のように「好きなように食べたらいい」とそれに付け加えて、「でも、好きなようにとか言われてもよくわかんないよね、ご飯も恋愛も。」
そうだねと、相槌を打ったものの、心の中では何言ってんのかよくわからないなと思った。
でも、少し気が楽になった。そのあと、適当に食べたスープカレーは緊張もあってか、全然美味しくなかったな。さらに苦手になった。
結局、彼女とは付き合うこともなければ、どちらからともなく連絡しなくなり、そのまま終わってしまった。人生はなんでも上手く行くわけじゃない。
上京してからしばらくして、しばらくしてというか、去年とかかな。上京してから10年以上経ってから、なんの気無しに食べたスープカレーはとても美味しかった。
食べ方なんて自分のペースで好きなように食べればいいし、なんであのときあんなに忌み嫌っていたのかわからない。
大人になったんだろうの一言で済むならそれはそれでいい。けど、あのとき、スープカレーを食べるときに彼女がかけてくれた言葉を思い出す。
好きなようにしろと言われても難しい。僕らには選択肢がありすぎる。自由なように見せかけて、結局はなんにも自由じゃない。食べ方ひとつとってもそこには最適解があるんじゃないかと探してしまうめんどくささ。
自分の好きなように、思うがままに誰かを好きになったところで付き合うことはできないかもしれない。
多分、こんなこと考えていたわけじゃないだろう。僕がスープカレーを食べやすくなるように、なんとなくで喋ったんだろう。けど、僕はたまにその言葉を思い出しては、なぜか少し救われた気分になるんだよ。
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