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友達の定義とは
※全編無料で読めます。読めますが、わかっているな?
今年はどんな一年になりましたか。
僕は、結構良い一年を過ごせた。音源も出せたし、生きててよかったよ。
年の瀬だけど、特に書くこともない。けど、年の瀬だからなんか書こう(使命感)
これを見てるあなたには友達はいるかな。
周りにたまにこういう人がいませんか、
「私って友達多くって〜」
「友達との約束が多くて1人の時間が欲しい〜」
「あなたって友達少なそうだよね〜」
...etc
昔から良く考えていた。友達ってなんなのみたいな友達の定義をここに書いておく。年の瀬だからね。ちなみに僕は知り合いや同志は多いけど、友達と思ってる人は少ない方だと思う。
友達は等しく平等という考え方をしていて、友達と思っている人はみんな同じ。そこに優劣は一才ないと思っている。
友達と知り合いって考え方が結構違うんじゃないか。
結論から言おう。その相手に自分の寿命を見返りを求めず無償であげられるかどうかである。
わかってる、年末にお前はいったいなんの話しをしているんだと。仕方ないじゃない、唐突に持論を語り出すおじさんだから許して。
閑話休題。簡単なルールとして、
友達が死の間際、自分の寿命を差し出すことでその友達が差し出した寿命分を生きられるとする。友達がもうこのまま死にたいと考えるといった情報はないものとする。
また、その一連の出来事を相手は全く知らないものとする。
そのあげる寿命の日数、年数は自分で決めて良い。あなたは今友達と思っているその人に、どのくらいの寿命をあげられるでしょうか。
10年、5年、1年、3ヶ月、1週間。
それとも、自分は死んでもいいから全部の寿命?または、あげることそのものがおせっかいだとか思ったりする?
この日数分が友達と知り合いの基準になると思っている。基本的に僕は自分のことが1番大事なので、1日もあげたいとは思わない。そんな僕でも、こいつならある程度寿命をあげてもいいなと思う人が少なからず居る。
要は自分の時間をそいつのために惜しまず使えるかということでもある。
たくさん友達が居るという人は、自分の寿命を削ってでもそのたくさんの友達を救いたいと思っているだろうか。そのことに関して相手に感謝されるわけでも、お金がもらえるわけでもない。
ただ、無償でその人とまだ一緒に居たいそれだけの理由で迷わずに寿命を差し出すことができる相手こそが友達だと考えている。
我ながらよくわからないnoteの締めくくりになったけど、2023年は色んな友達に支えられたと思う。2024年は一体どんな年になるだろう。
それでは、みなさま良いお年を。
来年も音源作れたらいいなあ。
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