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暗い海のこと

母の生まれ育った島は、本当に海と山以外何も無くて、中学入学と同時にぽんっとそこへ投げ入れられたわたしに馴染めるはずなんてなかった。

まわりは同じ病院で産まれ、同じ保育園に通い、小学校6年間を同じ1クラスで共有し続けてきた家族より絆の深い子供たち。

余所者で都会からやってきたわたしの場所なんて初めからあるわけなかった。 

『都会から引っ越してくるやつは訳あり』というのをこの島の子供たちはよく知っている。
わたしが話さずとも、親たちの間で瞬く間に広まった噂話によりわたしに父がいない事もこの島に越してきた理由もすぐに暴かれてしまう。

田舎訛りのないわたしの喋り方は「気取ってる」という理由で女子たちに真似され笑われた。

中学3年間の記憶は殆どない。
中1から中2になるまでの間、学校に馴染めず新しい家や生活にも疲れてしまってご飯が食べられなくなり、体重が30キロになったのが健康診断でばれて母は学校に呼ばれた。
母は学校で保健の先生に、お母さんの愛情が足りないのでは?と指摘されたようで、
「わたしは一生懸命あんたを育てるために遅くまで仕事してるのに、悪いっていうの!?ご飯だって用意してるんだから無理してでも食べなさいよ!」とわたしを責めた。

誰も悪くなかった。母が生活を守るために夜遅くまで働く事も、いろんな男の人を家に上げることも、そのせいで変な噂が学校で流れてしまい、こそこそ後ろ指を指されることも もう誰のせいでもなかった。
そうしなくては仕方のない生活をしていたから。
彼女はそうやってお金を稼ぐ事しかしたことが無かったから本当に仕方のない事だった。

とにかく早くこの島を出たいと願って中学高校を勉強だけして過ごした。
そんな日々の間にも少しだけ恋愛をした。

好きな人ができて、向こうもわたしを好いてくれた。
一緒に花火大会へ行き、初めて手を繋いで、初めてのキスをした。
彼の練習しているギターに合わせて歌を歌った。
クッキーを作って渡したら大袈裟に喜んで、全部食べるのが勿体無いからと一枚残して部屋に飾ってくれた。

高校生になって彼はわたしと別の島外の高校へ進学したが、長期の休みは実家へ帰ってきて、毎日自転車でわたしを迎えにきてくれた。小さな島を2人乗りで何処までも行った。
わたし達は無敵だった。なんの後ろ盾もなく、ただ彼のことが好きだった。
純粋な好きという気持ちだけで彼のことを大切にしたいと思ったし、彼もそう思ってくれた。


大晦日の夜、朝日を見に行こうと約束して夜中に家を抜け出して、行く当てもなくふらふら田舎道を歩いて海へ出て、桟橋に2人で寝転がって星空を見た。
物凄く寒くて、ふたりで鼻の先が冷たいねと笑いながら、でも親に内緒で抜け出してきてしまったから朝日を見るまで帰れないねと変に高揚した気持ちで夜空を見上げた。
何もない 本当に何もない田舎の真っ暗で吸い込まれそうな暗闇。
冬の澄んだ空には満天の星空。どこまでも深い海が私たちの周りには広がっていて、その上に寝転がっている。
目を瞑ったらそのまま暗闇に溶けて無くなりそうだと思った。
夢のようだった。

あの時わたし達はずっと一緒にいられるとなんの疑いもなく信じていたし世の中には2人だけみたいな気持ちがしていた。

わたしは本当にあの島が今でも大嫌いで、母のことも周りの大人たちのことも許せていなくて、未だ帰りたいなんて思えないけれど、
あの満天の星空と深くて暗い海のことだけはたまに恋しいと思うことがある。
気を抜いたら吸い込まれてしまいそうな 足元が掬われそうな暗闇に瞬くあの星たち。
凍えるような冷たい風と海の匂い。
あの場所には絶望しかない。

それでも、夜中の暗く満ちた海や 怖いくらいに輝く星空を見て、誰かと一緒に虚無や絶望を分けあえれば孤独じゃないのに。と思う。
励ましや綺麗な言葉なんかはいらないよ。苦しくなってしまうから。

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