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#Himalaya はじめてのお使い

あれは、私が4才か5才くらいだったと思います。

今でいうところの、

『はじめてのおつかい』

と、言ったところでしょうか。


おばんです♪


あの時に味わった感情は子どもながら強烈でした。


どんなお話かというと、

当時 私は保育園に通っていました。


保育園から親への連絡事項はプリント用紙が入った封筒を渡されるので それをそのまま親に渡せば良かったのですが、


その日は 封筒でなく、

「今から先生がお話することを覚えて、お父さんお母さんに伝えてくださいねぇ。」


そう言われて私は 心の中で、動揺しました。


「何月何日に なになにがありますので、
なになにになりますから
なになにを用意して来てくるように言ってくださいね」


私は一生懸命聞いてました。

日付けはだけはしっかりと覚えたんですが、

あとの話しがちんぷんかんぷんで、


先生は 、「判りましたかぁ?」

の質問にみんなは 「は~い」


私は、

「判らない」って言えなかったんです。


その日 家に帰ってから親に その事を伝えることが出来なかった。

判っていたんです。

叱られるってことを、


何月何日に なんかあるみたいだよ。って言えたら良かったのですが、

何があるのかを覚えてこれなかったから

「何で覚えてこないんだ」って叱られるのがイヤだったんです。


一日一日と その日は近づいて来ます。


当日は いつも通り お弁当の入った肩掛けカバンをかけて保育園に向かいましたが、


着いてから驚愕しました。


誰一人として肩掛けカバンをかけてきていなかったんです。


そしてそのまま、先生に連れられて向かったのが
歩いて数メートルほどの小学校。


そう その日は学校祭だったんです。


みんなで前列に座り 見ていましたが、

何をやっていたかなんて何一つ覚えていません。


午前中の催し物が終わり

さあ お昼です。

先生は、

「じゃあ家族のところ行ってご飯を食べて来てくださいね。」


みんなはそれぞれ家族のところに向かうのですが、

私だけは親に話していないので居るわけがない。

幼いながら考えました。


「そうだ!先生に 言おう。」


しかし、時すでに遅しで

もう先生の姿も居なくなっていた。


呆然として、

体育館の壁に寄りかかって立っているしかなかった。


どうしたら良いのか判らず、

すごく寂しい気持ちと悲しい気持ちとが入り交じった複雑な感情があって泣くに泣けない状態だったのを今でも強烈に覚えています。


一人でポツンと立っているものだから、気づいて声をかけてくれた家族がいたんです。


「親はどうした?いないのかい?

一緒に お昼食べるかい?」


『うん!』

って私は思いっきりうなずきました。

ものすごく 救われた気持ちになりましたね。


午後からも催し物はありましたが、終了後は現地解散で

問題の一日が終わってホッとして家に帰っていきました。


その日の夜です。

誰からの電話だったのかは知りませんが、今日のことを連絡してきた人がいたんです。


結局、
「なんで言わなかったんだ」って叱られましたけどね。


今 思うと小さい頃とは言え、色んな感情を味わった一日だったことを記憶しています。


あなたは、

幼い頃の強烈な思い出は ありますか?


ではでは、したっけねぇ♪

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