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『徒然草』―名言ハイライト1 第八十五段―(2013年7月21日)
狂人のまねとて大路を走らば、則ち狂人なり。悪人のまねとて人を殺さば、悪人なり。驥(き)をまなぶは驥のたぐひ、舜(しゅん)をまなぶは舜の徒なり。偽りても賢をまなばむを賢といふべし。(第八十五段)
※驥(き)…一日に千里をいくというすぐれた馬。また、すぐれた馬。
※舜(しゅん)…古代、伝説上の聖天子。
『徒然草』には、シンプルで鋭い物言いが数多く存在します。高校生の時に初めてこの一節に出会って以来、『徒然草』と言えばまっさきにこの八十五段を思い浮かべるくらい私にとっては印象的な兼好の言です。
高校生だった当時、私は言い訳ばかりしていました。
〝受験勉強など本当の勉強ではない〟
〝本当はそうしたくないのに、先生や親の目を気にしていい子ちゃんでいる奴なんか馬鹿だ〟
客観的に高校生の私を見てみましょう。
まず、〝受験勉強など本当の勉強ではない〟という言い分です。
〝受験勉強など本当の勉強ではない〟と言いながら、クラスメイトと同じように良い大学に入ることは当然のことととらえていました。しかしながら、良い大学に入りたいと思っているのに受験勉強もできないというのは、大学入学後の基礎学力の面でどう考えても不安があり、良い大学に入りたいと思って一生懸命受験勉強をしている人に比して劣った行為です。
〝本当はそうしたくないのに、先生や親の目を気にしていい子ちゃんでいる奴なんか馬鹿だ〟の方はどうでしょうか。
「いい子ちゃんでいる奴」の全てが、「先生や親の目を気にして」そうしているのでしょうか。――望んで、そうしている人の方が多いのではないでしょうか。なぜなら、「先生や親」の言うことは学校生活や社会生活を送る上で正しく、望ましいものであることがほとんどであるからです。
〝巧みな言い訳〟ではなく、まっすぐに〝行動する〟ことこそが、現実世界を自分で支配する力であり、その人を決定づけるという事実は、今なら痛いほどわかります。兼好のこの名言に心魅かれながら、行動できなかった私、本当に愚かでした。
――驥(き)をまなぶは驥のたぐひ、舜(しゅん)をまなぶは舜の徒なり。
まずは、そうしたい(そうなりたい)のであれば、そのように行動することが、すでにそうである(実現している)ことでもあるのです。
小説家や漫画家になりたいのならば、多くの作品を読み、自分でも書か(描か)なければなりません。同時に、その状態を維持できている人が、小説家とか漫画家と呼ばれる人であるわけです。
――偽りても賢をまなばむを賢といふべし。
一方で、そうしたくなくとも(なりたくなくとも)、正しく、望ましい方向が何かを知り、そのようにふるまうこともまた重要なのです。
私は教員になった当初、あまり教員になりたいとは思ってなかったのです(不謹慎で、申し訳ありません!)…が、長年、教師としてそのようにふるまっているうちにベテランと呼ばれる域にまで入り、私自身も教員の仕事がとても好きになりました。上司の一人は、私が〝私は一生その(上司の)役職には就けないだろう〟と言うと、「役がつけばそのように行動してそうなるよ。自分がそうだった」と、さらっと言ってのけました。
おのれすなほならねど、人の賢を見て羨むは尋常(よのつね)なり。いたりて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これをにくむ。「大きなる利を得むがために少しきの利をうけず、偽りかざりて名を立てむとす」とそしる。(第八十五段)
第八十五段の、先に示した引用よりも少し前にあたる部分ですが、「すはほ」がなければ、人としてのあるべき道、望ましい方向性は見いだされないことを兼好は述べています。
愚かな人間は「賢」という人として譲れないものを、簡単に「利」に置き換えます。「利」とは、現代では〝お金〟と、誤った意味での〝権利〟や〝自由〟といったところでしょうか。「いたりて愚かなる人」は、「利」のためなら「狂人のまね」「悪人のまね」などと言って、勝手なふるまいをしかねない危険性を、第八十五段は示唆しています。
――そんなことはしない?
「狂人のまね」「悪人のまね」とは〝言い訳〟です。私たちは、〝お金がほしい〟とか〝したいことをして何が悪い〟とかいう「利」のために、小賢しい頭で〝言い訳〟を持ち出し、人としてあるべき道を平気で踏みにじり、望ましい方向性を簡単に放棄してはいませんか。
わーっと叫んで裸で人通りの多い道を走ってみたり、人を殺してみたりしていないというだけで、「すなほ」を失って行動したそれが、「狂人」「悪人」のするそれではないと自信を持って言えるでしょうか。
そういった人間を「かりにも賢を学ぶべからず」と兼好は断じるのです。
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