YouTube動画「【智と論の太平記・補遺】脇屋義助、吉野にて後村上天皇に拝謁~洞院実世と四条隆資の見方~」配信
冒頭の写真は、新田神社の案内と太刀斬守です。URLは公式HPです。
https://www.nittajinja.org/
(動画などお子さんでもわかりやすい秀逸なものです。また、ご朱印やお守りがとても素敵です。)
先日、南北朝時代を楽しむ会・東京を再発見する会共催の史跡巡りで、「新田神社」とその周辺を訪れました。気合の入った宮司様のお話、引きも切らず参拝に足を運ぶ地元の人たち、そして新田神社周辺の新田一族に関わるいわれと祠(ほこら)の存在に、多摩川で無念の自害を遂げ怨霊となった新田義興への信仰が、今も息づくのを感じました。
新田義貞もその子供たちも、志半(こころざしなか)ばで最期を迎えています。義貞の弟・脇屋義助もまた、これからという時に四国の地で病死。今回取り上げるのは、その脇屋義助が北国から息子・義治と逃げ出し、美濃で土岐頼遠に破れ、吉野で後村上天皇に拝謁した際のエピソードです。〝落武者〟の義助を天皇が厚遇したことをあざける洞院実世(とういんのさねよ)に対して、四条隆資(しじょうたかすけ)は、中国の孫子と太公望の故事を用いて、後村上天皇の真意を説きます。
文学の世界や地元の信仰に生きる新田一族への人々の思いをあらためて話してみたかったことと、先に展開したシリーズ「智と論の太平記」の補遺ということで、新しく動画を作成しました。
※新田義貞の最期についてはこちらをご覧ください。
https://youtu.be/KSAtVYJNJIs
※新田義顕と尊義親王の最期についてはこちらをご覧ください。 https://youtu.be/G1Gp9A7T4mw
※新田義宗・義興と脇屋義治の活躍した武蔵野合戦にについてはこちらをご覧ください。
https://youtu.be/a2Ye2yyQTsg
※新田義興の最期についてはこちらをご覧ください。
https://youtu.be/gPznkGI91qk
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【新田神社の宮司さん、気合入ってたなあ(祭りとか、とても盛り上がりそう……)】
昨年秋に思い立ってひとりで初めて参拝しましたが、やはり仲間と行くのは楽しいですね。
先に参拝した際には閉まっていた宝物殿も開けて見せていただきました。この日のためにと、刀や絵巻を昨日出しましたとさっぱりお話ししてくださる宮司さん、すっかりファンになってしまいました。
新田義興とその部下たちが無念の自害を遂げた多摩川のこの地に、それを偲ぶたくさんの祠があることを初めて知りました。大田区が〝新田ランド〟だったとは……。
参加していたご夫婦が〝だまして川に沈めるなんてひどいね〟と、ド直球な感想を述べてましたが、新田の一族が、たとえ負けても(当時の政治的な実権は握れなかったとしても)〝武士らしく義に殉ずる〟と誓って一生懸命生きた姿が、物語の世界や地元の信仰にいつまでも生きているのだなあと思いました。
当日の案内をされた南北朝時代を楽しむ会の代表・齊藤さん、東京を再発見する会の皆さん、ご一緒した皆さん、ありがとうございました。
「南北朝時代を楽しむ会」の以下の投稿に、上記のレポートを添えてシェアしました。
〔動画の概要欄の説明、および、2021年3月16日のSNSの投稿をそのまま掲載しています。〕