好き好き!大好き!!ミクスチャー・ロック!!Vol.3
「警察暴力から経済機構、社会組織全てにおいて、理解力や慈悲を持たない今の社会構造」すなわち、「理不尽な社会構造」
それに対して、反旗を翻し闘い続けたバンド
Rage Against the Machine
「レッド・ツェッペリンとパブリック・エナミーの融合」と呼ばれる特徴的なサウンドと、マルコムX、チェ・ゲバラ、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアなどから思想的影響を受けた政治メッセージを持つ歌詞が特徴。彼らのライヴにおいてはしばしばゲバラの肖像画が掲げられ、アンプの前などに星条旗が逆さまに吊るされた。また、ムミア・アブ=ジャマールの釈放を求めたり、無料の反戦コンサートを開いたりするなど、音楽の枠にとどまらず実際に政治活動も行っている。
1991年、ザック・デ・ラ・ロッチャ(ボーカル)、トム・モレロ(ギター)、ティム・コマーフォード(ベース)、ブラッド・ウィルク(ドラム)の四人によって結成される。翌1992年に12曲入りのデモテープを制作し、約5000本を売る[5]。これによりレコード会社の関心を集め、「創作活動の最大限の自由」を条件にエピック・レコードと契約。先のデモテープに収録された曲を中心にデビューアルバムのレコーディングに入る。
同年11月3日、一作目となる『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』を発表。過激で政治的な歌詞をラップするボーカル、ブラッシングやスイッチング奏法などを駆使した変態的なギター、重いグルーヴを醸し出すリズム隊によるサウンドは、のちのミクスチャー・ロック、オルタナティブ・ロックの先駆けとなった。また、アルバムのジャケットには抗議の焼身自殺をするティック・クアン・ドックの衝撃的な写真が使われた。同作は500万枚のセールスを記録し、90年代ロックの金字塔として評価される名盤となった。
4年後の1996年4月には二作目『イーヴィル・エンパイア』をリリース。ビルボード1位を記録。1999年にはウッドストック 1999に出演し、「キリング・イン・ザ・ネーム」の演奏中に逆さに吊るした星条旗を燃やした。同年には三作目となる『バトル・オブ・ロサンゼルス』を発表。収録曲「スリープ・ナウ・イン・ザ・ファイア」のPVの監督にマイケル・ムーアを起用した。
メキシコ人としてアメリカで初めて認められた画家であり、警察の暴力批判や、農場労働組合の運動を、絵画を通して主張した人物である父親と、公民権運動や検閲反対運に関わった反戦活動家であった母親を持つザック・デ・ラ・ロッチャ。
ケニアの民族過激派マウワウ団の一員である父と検閲反対運動の活動家である母を持ち、ハーバード大学を首席で卒業後、クランストン上院議員の秘書を経験したこともあるトム・モレロ。
この二人の侠(おとこ)の出会いが、後に伝説のロック・バンドとなるレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの誕生の切っ掛けとされている。
「No Samples, Keyboards Or Synthesizers Used In The Making Of This Recoding」
これはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのデビュー・アルバム『レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン』にクレジットされている文章である。この決意表明ともとれる宣言は首尾貫徹して、最後の最後まで貫き通された。
そうである レイジのサウンドの魅力はそこである
トムのある種反則とも言える
変態的ギタープレリからくり出される、サウンドが
ヘビーなリズムた隊のグルーヴに乗ることで
サンプラーもキーボードもシンセサイザーも使わずに
重厚なサウンドを構築している
ボーカル、ギター、ベース、ドラムス
の必要最小限の4ピースで作り上げられた
サウンドに
当時の私はひどく衝撃を受けたものである
という事で 今回はここまで
では また次回