グッドモーニング,レボリューション(11)(2014)
11 ラジオ・ジャンク
カオスモーズにおける分子革命の実践として──実際には、カオスモーズ提唱前だけれども、カオスモーズからフェリックスの全体像を考える方が有意義──、フェリックスはラジオをとりあげている。でも、権力に許可されたラジオ放送じゃない、自由ラジオ放送です。それはスキゾ分析、ミクロ的階級闘争や政治的に破壊的なものとして存在する最小要素の分析に適している。自由ラジオには流動モザイクモデルがある。フェリックスはWWWが普及する前に、この世から去っちゃったから。それもあわせて考えなきいけないだろうね。SNSは自由ラジオの延長線上にある。
ラジオは、今日、四tトラックを運転しながら、アイロンをかけながらなど他のことをしながら聴く。でも、最近はタクシーの運ちゃんなんか、お客が乗ってくると、ラジオのスイッチをきっちゃうんだってさ。理由は携帯電話。今の客って、タクシーに乗りながら、携帯かけっから、ラジオの音がうるさいって言われちゃうんだってさ。なんか、さびしいよねえ。ところで、今何をしている?そんなことこの場で言えるかって?ハハハ!もっとも、そんなハッピーな奴は──苦痛ということもあるなあ、『昨日・今日・明日(Yesterday, Today and Tomorrow)』の第一話のマルチェロ・マストロヤンみたいに。しかし、あっこのソフィア・ローレンはかわいい──、後から小突きたくなりますよねえ、ま、聴いてないでしょうけど。でも、この放送が、本当に、無聴衆番組だったら、どうしよう?おいおい、勘弁してくれって、甥は二人もいないんですけどね。今のレイディオ──ラジオじゃないのよ、本当はレイディオ──は集中ではなく、分散のメディアだよね。扇動は集中から生じるよね。ラジオは最初の共時的メディアで、複数の空間を同時につなぎ、チューニングするだけで、別の放送を聴くことができる。音楽だろうと、ニュースだろうと、ワイド番組だろうと。バチカンから国連、ハノイ、キト、メルボルン、テヘラン、ダッカ。沈黙と雑音、混信のメディア。新たなメディアが生まれて発達してくると、それは集中の機能を果たす。新しいために、人々が飛びつき、熱中してしまうからね。でも、しばらくすると、分散する。メディアはその特性に基づき、その過程の中で、役割が限定されていく。今じゃ、映画と言やあ、物語が中心で、もうニュース映画はないでしょ。
ラジオはタイム・テーブルにテレビほど厳密に従わなくてすむ。大阪の毎日放送なんか、番組表通りに番組が始まったり、終わったりしない。誤差がある。ラジオは番組制作費が、テレビに比べて、低く抑えられるので、テレビでは視聴率が期待できないために実現が難しい硬派の番組でも可能。それにラジオは地元に密着している。蝮さんが荻窪教会通り商店街に来て、「汚ねえジジイとババアだらけ」と悪態をつくと、笑いが巻き起こる光景はグローバリゼーションに飲みこまれにくい。なんつったって、ラジオには、特にAMには、安っぽさがありますなあ。それは悪いことじゃない。もちろん、全部が安っぽいわけじゃない。『ラジオ深夜便』もあれば、『秋山ちえ子の談話室』もあるから。小沢昭一さんもいいね。ラジオはB級メディア。パンクで、オルタナティブってこと。自由ラジオはそうしたラジオの特質を最も具現化していて、分子革命のモデルを提供している。フェリックスはカオスモーズへ向けた脱領土化のための地図を作成する。地図は実用的でなきゃ意味がない。実用性にあわせて、多種多様な図法がある。海図にはメルカトル図法、面積ならランベルト正積方位図法、航空図には正射図法って具合に。最近じゃあ、GPSもあるから、地図という認識もさらに多様化している。認識、ニン!ニキニキニキニン。ニキニキニキニン。ちょっと古いかな?こんなことに、くじけてはいけない、次いってみよう。新しいネタ、恥ずかしいんですね。
地図という観点から見れば、欲望も配置の問題ってわけ。欲望は生産から捉えるべきじゃない。ここがフェリックスはいける。現代人は、根本的に、脱領土化されている。この領土という概念は、そうねえ、通俗的な言い方をすれば、アイデンティティのことかな。国籍や民族、宗教、家族、身体、身の回りの空間は土地に固定化されているわけではなく、不断に変化する安定を欠いた世界の表象にすぎない。ローレンス・レッシグ教授風に言えば、プログラムに組みこみ、情報コードによって人々を規定する社会が到来している。固定化しつつある配置を流動化させよう。非平衡的にね。自由ラジオはその好例。リゾーム、草の根のメディア。それがフェリックスの意見です。
ラジオがらみで、次の曲。「ラジオ」ってタイトルに入ってるのに、あんましかかんないのはなぜ?どうして!どうして!おせーて!イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)、『ラジオ・ジャンク(Radio Junk)』。
Don't think
It's a only trick
A bottle of bear makes the head clear
Don't waste my time
Feed the box a dime
Fill me with radio junk
Radio junk radio junk
Filled up with radio junk
Some days are all the same
Like a face in a crowd in a tow-bit town
No action
No reaction
Just fill me with radio junk
何を言ってるか、意味がさっぱりわかんない。クリス・モスデルの歌詞だもん。そんなもんさ。「考えるな」って言ってるし。でも、それって、あり?