谷崎潤一郎、、あるいはアンチエロティシズムの文学(7)(2022)
7 谷崎の今
2019年5月11日付『朝日新聞』の「(経済気象台)『陰翳』の文化の重要性」は谷崎の『陰翳礼讃』をめぐって次のように述べている。
ある人から薦められて、今さらながら谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」を実におもしろく読んだ。われわれの祖先は日本の風土の中で「暗い部屋に住むことを餘儀(よぎ)なく」され「いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至」り、それが日本の様々な文化をかたどっている。
初出は1933年。近代化が急速に進むなかでこれを書いたのは、単なる批判ではなく、当時の近代化は西洋の風土の中で発見され発明されたのであって、日本の風土に合った、つまり、陰翳を大切にした近代化の道もあったのではないかという思いからである。
谷崎の目には当時のまちづくりは、近代文明の明かりに照らされた都会と、陰翳の中に日本文化の妙が残る田舎というようにみえていたようだ。例えば吉野の山奥で習ったという柿の葉すしのうまさをたたえ、都会には年寄りがうまいと思うものがないと嘆く。
現在からみると、田舎にも光が入り込み都会化していくのではという彼の危惧は見事に的中した。一方で「機能的」で「年寄りいじめ」の都会から老人は田舎に移り住むという予測は外れ、いまの都会には一人暮らしの高齢者が多く住んでいる。
だが近代化の光の影で、今も田舎や都会の陰翳の中には日本に長く息づいてきた何かが残っていることに気がついている人たちによって、消えそうになっていた伝統文化が地域資源として再発見されている。陰翳を、合理性、普遍性を追い求めた近代とは違う価値観として理解するならば、たとえばふらりと農村におもむき、出会ったものを見つめ、解釈し、そこに楽しみを見いだすような過ごし方の中にこそ、重要な価値が含まれている。(着)
このように谷崎は今も読まれている。しかも、それは文学の愛好家や研究者だけではない。政治経済を考える際の手掛かりとして新たな読者を獲得している。今でも谷崎は広範囲に示唆を与えている。
このコラムの筆者は「日本の風土に合った、つまり、陰翳を大切にした近代化の道もあったのではないか」と谷崎の批判を読み解き、もう一つの近代化の可能性を問いかけたと理解している。これは、もちろん、いわゆる日本的な近代化のことではない。日本に限ったことではないが、近代化が輸入されると、自分たちの文化に合った修正が唱えられる。しかし、それらはあいまいで、恣意的でしかない。一方、谷崎は近代から見れば不合理な文化であったとしても、前近代においてはある種の合理性に基づいていたと主張する。「東洋の神秘」など「かくの如き暗がりが持つ不気味な静かさを指すのであろう」と認めつつ、彼はそこにも合理性があったと説く。
谷崎は、『陰叡礼讃』において、その理由を環境や技術などの制約に次のように見出している。
けだし日本家の屋根の庇が長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。たとえば煉瓦やガラスやセメントのようなものを使わないところから、横なぐりの風雨を防ぐためには庇を深くする必要があったであろうし、日本人とて暗い部屋より明るい部屋を便利としたに違いないが、是非なくああなったのでもあろう。が、美というものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰叡のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰叡を利用するに至った。事実、日本座敷の美はまったく陰叡の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、唯灰色の壁があるばかりで何の装飾もないという風に感じるのは、彼らとしてはいかさま尤もであるけれども、それは陰叡の謎を解しないからである。
「陰叡」を礼讃するようになったのは、価値観が先行していたからではない。谷崎によれば、「機構風土や、建築材料や、その他いろいろの関係」から屋内が暗く、そこに美を見出すほかなかったというのが真相である。かつての諸条件による合理性がそこにはある。近代化に反発して日本的なものを声高に唱える意見は、この合理性を無視して連続性ばかりを強調する復古主義にすぎない。無批判的日本賛美もだいたいこういう恣意に基づいている。
谷崎は、『いわゆる痴呆の芸術について』において、「知性」を欠いた「不合理や矛盾」を嫌い、「非人間的な残虐性」を「不快」に感じている。彼は義太夫を笑った占領軍兵士の意見に同意する。義太夫を代表としたそういった「馬鹿げた」芸術が外国人に見られ、日本人自体も誤解されてしまうことに危惧を覚えている。谷崎が日本の伝統芸能を好むのは、それがかつて基づいていた合理性を始めとする時代精神を表象しているからである。そういった文脈の理解されることもなく、「世界的」にして再生することや「年歯も行かない少年少女」を学校の教師が引率して「見学に行く」ことにも否定的である。
谷崎は、『春琴抄後語』において、「春琴や佐助の心理が書けていないという批評に対しては、何ゆえに心理を描く必要があるのか、あれで分っているではないかという反問を呈したい」と反論する。これはまったく正当である。政教一致の前近代には内面の自由がない。当時の人々は共同体で共有される規範に基づいて認知行動をするので、心理描写など不要である。心理描写は、内面の自由を前提にして、等身大である近代人を文学作品の主人公にするための方法である。さもない人であるが、心の中にはドラマがあるというわけだ。前近代の登場人物を理解するために読者に必要なのはその頃の規範に関する知識だ。それをわかっている谷崎は、『正宗白鳥の批評を読んで』において、「私の近頃の一つの願いは、封建時代の日本の女性の心理を、近代的解釈を施すことなく、昔のままに再現して、しかも近代人の感情と理解に訴えるように描き出すことである」と書いている。近代の読者は封建時代の規範を共有していない。それを知らない限り、当時の人々の認知行動の理由が十分に理解できない。小説は個別的具体的な世界を扱うが、規範は一般的・抽象的である。作者も読者も作品舞台も封建時代であれば、規範についての暗黙の了解が成り立っているので、説明されなくても、登場人物の心理がわかる。ところが、近代ではこの関係が成立しない。そこに執筆の難しさがある。
こういう見逃されてきた認識を谷崎は示そうとする。『陰叡礼讃』でもその問題意識を示して次のように結んでいる。
私にしても今の時勢の有難いことは万々承知しているし、今更何をいったところで、既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇壮邁進するより外に仕方がないが、でもわれわれの皮膚の色が変らない限り、われわれにだけ課せられた損は永久に背負って行くものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこういうことを書いた趣意は、何らかの方面、たとえば文芸芸術等にその損を補う道が残されていはしまいかと思うからである。私は、われわれが既に失いつつある陰叡の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない、一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう具合になるか、試しに電灯を消してみることだ。
谷崎はたんに昔をなつかしがっているのではない。日本が西洋化を目指したことは仕方がないが、高齢者などそれに適応できないマイノリティーを排除している現状がある。しかも、文学も加担しているのではないかと問いつつ、谷崎は少数派をめぐって書こうとしている。実際、彼はマゾヒズムを通じて多種多様な生き方を描いている。『鍵』は中年、『瘋癲老人日記』は高齢者における性の問題をそれぞれ扱っている。高齢化社会が到来するはるか以前より、こうした性の問題をめぐって創作している。また、『秘密』は女装を趣味とする男が主人公となっている。その取り上げ方は好奇の目ではなく、一つの生き方である。寺山修司は『幸福論』所収の「演技」において「変装」の「はたす、一ばん大きな役割」は、「実像としての生活を虚像化する」ということではなく、「『差別』の克服ということである」と述べる。変装は見られることを強調し、見ることの「差別」を解体する。同様に、マゾヒズムは差別を無化することである。谷崎はLGBTQへの差別も射程に入っている。彼は今日の読者にとって同時代的である。
佐藤春夫によれば、谷崎は彼に『異端者の悲しみ』が当時評判の高かった志賀直哉の『和解』に比べて劣るかどうか真剣に尋ねている。その小説は次のように終わる。
それから二た月程過ぎて、章三郎は或る短編の小説を文壇に発表した。彼の書くものは、当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た。それは彼の頭に醗酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術であった。
今後、多様性がさらに発見されることだろう。しかし、その時、谷崎がすでにそれについて書いていたことも再発見されるに違いない。「当時世間に流行して居る自然主義の小説とは、全く傾向を異にして居た」谷崎の「頭に醗酵する怪しい悪夢を材料にした、甘美にして芳烈なる芸術」である。現在のみならず未来も、そんな過去の谷崎の圏内にいる。アンチエロティシズムの文学としての谷崎は遅れた時代が追いつくのを待っている。
うんこ びちびち
しっこ じょんじょん
青っぱな じゅるじゅる
(吾妻ひでお『ちびママちゃん』)
〈了〉
参照文献
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同、『猫と庄造と二人のおんな』、新潮文庫、1951年
同、『卍(まんじ)』、新潮文庫、1951年
同、『少将滋幹の母』、新潮文庫、1953年
同、『細雪』上中下、新潮文庫、1955年
同、『鍵・瘋癲老人日記』、新潮文庫、1968年
同、『刺青・秘密 』、新潮文庫、1969年
同、『谷崎潤一郎随筆集』、岩波文庫、1985年
同、『吉野葛・蘆刈』、岩波文庫、1986年
同、『文章読本』、中公文庫、1996年
同、『幼少時代』、岩波文庫、1998年
同、『潤一郎ラビリンス』全16、編・解説千葉俊二、中公文庫、1998~99年
同、『谷崎潤一郎犯罪小説集』、集英社文庫、2007年
同、『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』、集英社文庫、2010年
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マハトマ・ガンジー、『ガンジー自伝』、蝋山芳郎訳、中公文庫、2004年
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L・ザッヘル=マゾッホ、『毛皮を着たヴィーナス』、種村季弘訳、河出文庫、2004年
マルキ・ド・サド、『悪徳の栄え』上下、渋澤龍彦訳、河出文庫、2010年
ジル・ドゥルーズ、『サドとマゾッホ』、 蓮實重彦訳、晶文社、1998年
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フリードリヒ・A・ハイエク、『自由の条件III 福祉国家における自由』、 気賀健三他訳、春秋社、2021年
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カール・マルクス、『経済学批判』、竹田高隆夫他訳、岩波文庫、1986年
同、『資本論』1、岡崎次郎訳、国民文庫、1983年
着、「(経済気象台)『陰翳』の文化の重要性」、『朝日新聞』、2019年5月11日5時00分配信
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14009345.html
青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/index.html