朝10時の挑戦
一口に挑戦といっても本当に様々なものがある。目的も自分のためであったり、大好きな誰かのためであったりするし、自分一人で長時間かけて挑むもの、チームで短期間で決めるものなど、考えるときりがない。そんな中、私の知る挑戦の一つに、あまり一般人からは理解されなさそうな挑戦が存在する。自分一人で挑むように見えて実はそうではない、運に左右されるように見えるが実際はそうではないかもしれない、というなかなか語り甲斐のあるものだ。
その挑戦が何かというと、いわゆる「10時打ち」である。10時打ちとは…
朝10時ちょうどに駅のみどりの窓口で1ヶ月後のきっぷを購入すること。JR線のきっぷは基本的に乗車日の1ヶ月前朝10時から発売される。しかしラストランの列車やイベント列車、寝台列車などのきっぷは発売と同時に売り切れることが多く、確保するためには朝10時ぴったりに入手する必要がある。
そんな「激レア」きっぷを買いに行く挑戦について綴ってみたいと思う。今回はそんな話。
前座
まずはみどりの窓口の発売システムについて簡単に整理しておきたい。みどりの窓口というのはJRの主要駅に設置されているきっぷ販売窓口である。最初に登場したのは1965年のようで、もう55年の歴史を重ねていることになる。当時は手書きの赤や青のきっぷが主流だった中、新設された窓口の機器で発券するきっぷが緑色だったことから「みどりの窓口」という名称になっている、らしい。ちなみにJR東海だけは頑なに「JR全線きっぷ売り場」という名称を使っている。ほんとになんなんだよあの会社。
まあともかく、定期券の購入などでみどりの窓口を訪れたことのある人は多いだろう。そのとき、係員が機器をタッチして操作しているのを見たことがないだろうか。その端末こそが「マルス」端末と呼ばれるもので、全国のきっぷ発売の中央装置「マルス発券システム」に接続されているのである。(※MARS: Multi Access seat Reservation System)
だんだん話がマニアックになってきているのでそろそろ切り上げようと思っているんですけど、要は全国のみどりの窓口や旅行会社などのマルス端末からの情報は全て中央装置に送られるようになっている。そして中央装置が発券可という合図を出せば、各みどりの窓口で晴れてきっぷが出てくるという具合だ。まあ本当はたぶんもっと細々としたプロセスが多々あるのだろうけど、その方面には詳しくないし誰も得しない情報なので割愛する。なお全国の端末から中央装置にアクセスがあるとはいっても、日がな一日全ての窓口が客で埋まっているわけではないので、アクセス過多になるということはあまりない。
ところが、そうは言っても最もアクセスが混雑するタイミングも一応存在する。それは、朝10時である。
挑戦に参加せざるを得ない
昨年の夏休み、高校時代の級友4人で四国に行こうという話になった。なんか四国に行ったことのない人が多いみたいでそういう話になったんだけど、四国に行くにあたりなぜか寝台列車を使って行くということでまとまってしまった。一昔前であれば寝台列車など珍しくも何ともなかったのだが、車両の老朽化や人件費削減、採算が取れないことなどを理由に次々と姿を消していき、残る寝台列車は「サンライズ出雲・瀬戸」のみになっている。そんな希少な存在の一つである「サンライズ瀬戸」に乗ってみたいという話になったのだ。
しかしちょっと困った。
サンライズ瀬戸という列車はいわゆる人気列車で、きっぷが入手しにくいのである。今回は2人用寝台個室の「サンライズツイン」を2部屋取りたいっていう話だったのだが、サンライズツインは特に部屋数が少なく、争奪戦は避けられない。朝10時ちょうどに発券してもらっても取れるかどうか、といったレベルだ。そんな入手困難なきっぷを誰が取りに行くのか?
結論から言うと、なんか自然な流れで私が取りに行くことになった。まあ鉄道好きである以上仕方がない。観念して朝10時の挑戦に参加することにしよう。
挑戦の下準備
朝10時ちょうどに発券する、とここまで再三書いてきたものの、実はこれが意外と難しい。例えば端末が1台しかないような駅の場合、朝10時に先客がいたら即アウト。端末が多い中核駅であったとしても、朝10時に全ての端末が客で埋まっていたり混雑していたりしたらやっぱり即アウト。そういうわけで、まずは駅選びが何よりも重要になってくる。
そんな古風なことをせずにネットで予約できないのか、と思われるかもしれないが、こんなにIT技術が発達した昨今でも寝台券と個室券(コンパートメント券)だけは窓口でしか発売されていないのである。どうかしてるだろ。
なので三日三晩死ぬ気で考えましたよ。何駅で発券するべきか。大きすぎず小さすぎず適度な規模感で、それでいてマルスの端末数も多い駅がよい。あとは自宅からの距離も大切で、あまり遠方の駅に行くとその分の交通費もかかるし時間もかかってしまうのでなるべくなら近場で済ませたい。
必死な検討の結果、都内のK駅がふさわしいのではないかという結論に達した。そして乗車日の1ヶ月前に行われる争奪戦のため、下見をして事前に窓口の営業時間や混雑状況などを入念に調べておいた。なぜ自分はこんなことをやっているのかという懐疑心も多少はあったが、もう後には引けないので押し殺して調査した。
そんな調査の結果、ものすごく有用な情報を得ることができた。なんとK駅では「10時打ち専用レーン」が設置されるのである。9時55分くらいから、4台あるうちの2台の端末が10時打ち用として使用されるのだ。このレーンに並ぶことができれば朝10時ちょうどの発券が保証される。K駅を選んだのは正解だったもよう。やったぜ。
勝負の朝
K駅のみどりの窓口は朝7時から営業開始となる。そして10時打ちに使われる端末は2台なので、最低でも2番目に並んでいないとダメ。誰かに先を越されたらアウトなのだ。
というわけで、朝7時の開店と同時に窓口に飛び込んだ。開店前から並んでいるような輩がいたらどうしようとも思ったのだが、幸いなことにそういったガチ勢は見当たらず、窓口に一番乗りした。って、よく考えたらこれじゃ自分がガチ勢じゃないか。
どうも窓口の係員にもそう映ったらしくて、「1ヶ月後のきっぷですか?」と質問を投げかけられる。私も「ええそうです」と返答。「ここで3時間待ってもいいですか?」と言ったら懇切丁寧にイスまで出していただいた。感謝しかない。
というわけで7時から10時まで、みどりの窓口の端の方でイスに座って待つことになった。こういうことも想定して文庫本を数冊持ってきたので全く問題は無い。途中で一人の係員がどんな列車を予約したいのかと聞いてきたので、サンライズですと回答。係員もああ、というような慣れた反応で、やはりサンライズ目当てで10時打ちする人は多いのだろう。
まあそんな感じのやりとりもありつつ、ずっと本を読んでいたんだけど、朝9時くらいになって同業者が現れた。私の隣にイスがもう1脚追加され、50歳前後くらいのおばちゃんが登場したのである。
向こうも私のことを同業者だと認識しているようで、何のきっぷを取るんですか?と尋ねられた。
「サンライズです」
そう答えると、おばちゃんはアラ!というような表情を見せ、私もなのよと言ってくる。なんということだ。サンライズ狙いのライバルが出現してしまった。こりゃあ血で血を洗う展開になるかもしれないぞと身構えたのだが、聞くところによると、どうやらおばちゃんはサンライズ「出雲」の寝台券を予約するらしい。私が取りたいのは併結される「瀬戸」の方なので、列車が違う。ライバルではない。
ということが分かった途端にお互い気が緩んだのか、その後は2人で他愛ない雑談に花を咲かせていた。サンライズに乗る動機とか、旅行の話とか、本当にとりとめのない話をした。ちなみに途中で「今日は何時くらいに窓口に来たんですか」と問いかけられる場面があり、「7時くらいです」と答えたら絶句していた。まともに驚かれた。そんなに頭のおかしい時間に来ていたのか、私は。
その後も9時半くらいから2、3人パラパラと同業者が現れた。やはり7時に訪れたのは早すぎたのだろうか。いや、もし遅く来て先客がいたら悔やんでも悔やみきれないだろうから、これで良かったのだ。
決戦のとき
9時55分。例によって10時打ち専用レーンが設置され、私もそこに通されることに。今まで端末2台体制で運用されていた窓口だったが、ここでまだ使われていない2台が加わり4台体制になる。
係員は30代くらいの男性。第一希望サンライズツイン2部屋、第二希望シングルツイン2部屋、第三希望シングル4部屋と伝える。係員は慣れた手つきで端末を操作し、あとは10時を待つのみとなった。
ピッピッピッポーン、ピッピッピッポーン、ピッピッピッポーン、、、と時報の音が聞こえ始めた。一番緊張する瞬間でもある。なんだか胸が高鳴ってきた。
成功しますように、と祈るほかない。日本中に同じ挑戦をしている同業者がたくさんいるはずだ。その誰よりも早く中央装置にアクセスしなければならない。
朝10時になった瞬間に全国の端末から中央装置にアクセスが行われ、そのアクセスは早い者勝ちになる。ところがそのアクセスは10時ちょうどでなければいけない。もしも9時59分59秒80とかにアクセスをした場合は弾かれてしまい、そもそも受け付けてもらえない。一方で1秒でも遅れるとすでに売り切れというパターンもあり得るため、いかに10時00分00秒00ぴったりにアクセスできるかがカギになる。
人間の認識できるフレーム数には限界があるため、10時00分00秒00ぴったりにアクセスできる保証はない。こればかりは係員の腕前と運に左右される。ここがこの挑戦の恐ろしいところの一つで、いくら努力して窓口に並んでも運次第ではあっさりと敗北を喫する可能性があるのだ。
9時59分30秒。係員と私の間で神妙な沈黙が流れる。仕事とはいえ、やはりこの瞬間は緊張するものなのだろうか。
9時59分50秒。係員が送信ボタンに手を添えた。送信ボタンを押すと中央装置にアクセスする仕組みだ。
10時00分00秒。係員がボタンを押す。するとすぐに隣の機械からビ、ビーッという音がして、何やらレシートのような紙がベロベロと出てきた。きっとあの紙に取れたかどうか載っているんだろう。結果やいかに!
挑戦の結果
結果からいうと、第1希望のサンライズツインは確保できなかった。10時ジャストに押したように見えたがダメだったか…。わずかな差で他の挑戦者の誰かに先を越されてしまったらしい。
ただ、第2希望のシングルツインと第3希望のシングルは無事に確保できた様子。ところが、係員が難しそうな顔をして話してくる。
「シングルツインなんですが、喫煙と禁煙の1部屋ずつで取れてしまったんですよ。」
「というと??」
「号車が少し離れてしまいます。」
なるほど、そういう感じなのか。これは悩ましい問題だ。やはり4人で仲良く旅をするのであれば、アジの群れのように仲良く固まって行動したい。2+2で別れたりして、さらに部屋が遠いとなると複数人で旅をする意味が薄れてしまいそうだ。なので、
「じゃあシングル4部屋でお願いします。」
と係員に言い、シングルツインではなくシングルを選択。1人用個室のシングルであれば4部屋固まった号車で取れているらしい。
このとき、仮押さえしていたシングルツインをキャンセル扱いにするのだが、このようにキャンセル扱いにすることを俗に「放流」と呼ぶ。だから例えばどうしてもシングルツインが欲しかったけれどもシングルしか取れなかった、という人がいた場合、この放流が発生したタイミングで再度アクセスすると確保できたりする。粘り強さと運がものを言う世界なのである。
おわりに
今回の挑戦では残念ながら第1希望のサンライズツインを確保することができなかった。だがしかし、シングル4部屋は取れたのでまあ乗車できるだけ良かったねという結論になった。
だから挑戦は成功でもなく失敗でもなく、といったところだろうか。朝7時から3時間待ちぼうけをしたのに第1希望が取れなかった、と若干落胆した部分もあったが仕方がない。現実を受け入れるしかない。
ちなみに、実は朝10時にきっぷが取れなかったとしても、キャンセルがそれなりの確率で発生するといわれている。したがって、乗車日までの1か月間に何度もしつこくみどりの窓口に足を運び、空席確認を繰り返せば目当てのきっぷが入手できるかもしれない。実際にキャンセル待ちで寝台特急「カシオペア」のプラチナチケットを手に入れたという人もいるらしい。このように敗者復活戦的な要素もあるのがまた面白い。
とまあこのように、きっぷにまつわる挑戦を綴ってきたが、この一連のきっぷ確保を挑戦と考えるかどうかは人それぞれだろう。とかって書いたら今までの内容は何だったのかという話になってしまいますが、たかが列車の予約でしょ、と考える人だっているはずだ。なんならむしろそっちの方が多数派かもしれない。きっぷ予約に恐ろしいほどの情熱を注いでいるのはマニアだけかもしれない。
しかし、何事もストーリーである。些細な作業だと思われがちだけれど、きっぷの予約、購入を挑戦と見立てたほうがなんか楽しいじゃないですか。日常のちょっとした行動を挑戦と位置付けてみると、毎日少しは楽しくなると思う。
人生を楽しむうえで、小さな物事を「挑戦」化して考えるのは良策なんじゃないかとずっと思っている。
かなり雑にまとめてしまったような気がする。まあこんな風に、レアなきっぷを買う人は挑戦頑張ってね。
(ちなみに、私の後に来た同業者のおばさんは無事に第1希望のきっぷを入手できていた。よかったね。)
おしまい
お読みいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?