書くことの意義 —及び己の傾向と対策—

推奨BGMは、

錠剤/TOOBOE

ダンスホール/Mrs.GREEN APPLE

の、どちらか好きな方を。

 自分は、昔から、物語が好きだ。

物語の導入、中間地点、オチ。

 世の中には、さまざまな物語がある。

現実のものであれ、空想上のものであれ。

 物語の登場人物たちは、
困難という壁にぶち当たり、
時には挫折し、逃げ出したり、
立ち向かい、成長したりする。

 物語を知れば、しばし、己を囲む状況を、捉え直す機会を得る。

 自分は、昔から物語が好きだ。

 多くの場合、主人公は、困難な状況におかれた末、特性や、知性や、ときには根性で、
状況を打破する。

 物語の登場人物たちがかわす、時にキザで、時に感情を内に秘めたような台詞は、素晴らしい。

 自分は、昔、暇で暇で仕方がないとき、
脚本の勉強をしたことがある。

今思えば、物語が好きだから、
それを作ってしまえるのではなかろうか、と考えるに至ったのだろう。

結論から書けば、人間的経験が浅すぎて、
脚本として成立しなかったのだが。

 物語に間違いなく必要とされるのは、
登場人物であろう。

登場人物が出てきた。

 さて、次に必要なものはなんだろうか?

時間の経過、だろう。

登場人物と、時間の経過。

これらが揃えば、あとは、
その話を、いかにうまく伝えるか、腐心するひと、が、でてくる。
語り手、という人だ。
ストーリーテラー、ともいうらしい。


 あらゆる人々は、物語的である。
と、同時に、語り手的でもある。

客観的事実としての、登場人物たちの時間経過
と、
語り手の伝えようとするなにか
は、ときに一致し、ときにすれ違う。

語り手から伝わった、メッセージは、
人を奮い立たせたり、
人を失意のどん底に叩き落としたりする。

 自分は、人は常に楽観的であれ、とは思わない。
波があって当たり前。

その中で、前を向く、
流れゆく時間に自覚的であれ、と考える。

 自分自身は、
登場人物、語り手、
どちらに多く時間を割いているのだろうか。

登場人物として立ち振る舞う時間
と、
語り手として立ち振る舞う時間。

どちらが長いのだろうか?

 なんてことを考えて過ごした、そんな一日でした。

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