なんだ、この文章は。

 人間は、食事をして、生きていく。
動物は、といってもいいだろう。
 食事は、別の生き物の命をいただく行為である。これは客観的事実だ。

 昔の出来事を後悔しながら、生きている人がいる、としよう。
 昔の出来事は、どうやったって変える事はできない。これもまた、客観的事実である。

 しかし、(前の記事にも書いたように)昔の出来事の『意味』は、変えることができる。
失敗と捉えて、同じ過ちが起こらないように防止する、
挫折と捉えて、成功へのモチベーションにする、
といったように。

 100円のりんごが売られていたと、しよう。
あなたはそのりんごを買った、としよう。
この事実を、あなたはどう捉えるだろうか?

 ある人は100円を失ったと考えるかもしれない。
(その100円はあなたにとって高い?安い?)

 ある人は、1このりんごを得たと考えるかもしれない。
(1つのリンゴはあなたにとって多い?少ない?)

 100円というお金と1つのりんごを交換した、これは客観的事実である

 しかし、その捉え方は、人の性格やものを見る角度によって、いくらでも変化し得る

 この記事で、読者の皆さんに伝えたいこと。

それは、悲観的であれ、楽観的であれ、人生いろいろ訳があり、そして、これからもいろいろ起こるのである!ということ!

といったところで、これにて。
ほな!

 (いかんせん、若い子が歌って踊るMVは、ロリコン感でちゃうから嫌なんだよなぁ‥)
(つんくの説教ききたいだけだっつーの🫠)
(ほな❗️)

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