『めくらやなぎと眠る女』は「目に見えないもの」についての話
はじめに
私は村上春樹の小説の良さがわからない残念な感性の持ち主なので、村上春樹原作の映画の感想を書いたところで誰にも共感してもらえない可能性が高いし、自分自身書いていて楽しくないのかもしれない。でも、映画を観終えて1週間ほど経つというのに、何か文章を残しておきたい・残しておかないとくやしいような思いに駆られるので、感想と言える代物ではないけど何か文章を残しておこうと思います。
映画館に 行くということ
映画の作品そのものに興味がある場合もあるけど、それに加えてお気に入りの映画館で時間を過ごすために映画館へ行くということに最近ハマっています。最近知らぬ間にリニューアルオープンしていた梅田スカイビルの「テアトル梅田」がその映画館。映画館に併設されている広々としたカフェの居心地が良くて、人の少ない夕方以降の時間帯に行くのがとても気に入っている。ここでアイスカフェラテとソーセージパイもしくはプレッツェルを食べながら、梅田スカイビルから大阪駅へ帰路に就く人の流れをぼーっと眺めるのが至福の時間。しかも。カフェだけでも十分楽しめるのにこの後に映画が待っているという二重の贅沢。映画を観ながらポップコーンもいいけれど、お腹を満たして心を落ち着けてから観る映画が好きだなぁと、テアトル梅田のお陰で気付くことが出来ました。
めくらやなぎと眠る女は、「目に見えないもの」についての話
めくらやなぎと眠る女は、どんな映画だったんだろうと思い返したときにまず浮かんだのは、物語序盤のかえるくんの言葉「大切なものは目には見えない」や、物語中盤の甥の言葉「実際の痛さよりも、想像することで痛く感じる」といったキーワードたち。(実際はもう少し違った台詞だったと思うけど忘れてしまいました)
この映画はアニメーションなのですが、2011.3.11東日本大震災がテーマの一つである一方、本屋やホテルのエレベーターなど街の細かいところは日本らしくなくどの国に居るのか分からなくなるような背景や、登場人物の顔や体形が全員とてもリアルで動きも実際の役者の動きのようである一方、わざとかなと思うほど現実の日本人よりも10歳ぐらい老けて見える不気味な人物たちが、現実なのか空想なのか分からない世界観を醸し出していました。
そんな中での「大切なものは目には見えない」「実際の痛さよりも。想像することで痛く感じる」といった言葉に、ついつい意味を見出したくなってしまいます。客観性・事実・正確さ・現物に重きを置かないと他者との間で認識齟齬を生じさせ、うまく回すことが出来ないとされている日常生活においては、ないがしろにされがちな目に見えないもの・主観・想像・個人的なもの達について、じっくりと向き合う時間を取りなさいと教えてくれる映画のように思いました。幼稚な感性では何を書けばいいのか思いつかないけれど、何か書かずには終えられないような映画でした。
おわり