わたしをお嬢ちゃんと呼んだじじいの話
わたしは本業は看護師をしている。小児科、産婦人科がわたしのジャンル。
成人看護もやったが、あることに気がつく。
わたし、子ども相手の仕事がしたいのだと。
中学生の頃、幼稚園の先生になりたくて親に相談すると医療系が良いよと。
わたしの母もまた看護師であったのだ。
わたしの家族は医療従事者ばかりだったのだ。一家で病院開けるレベルで医療従事者勢揃いなのだ。
念願の診療科に勤められた!
新卒で配属されたのは、成人病棟。いまいち、刺さらなかった。
もちろん勉強にはなるし、成人看護は看護の基礎の基礎。
でもわたしは小児、産婦人科をやるために資格を取ったのだ。
新卒でマイナー科に行くと、将来使い物にならない。とにかく我慢して3年は成人看護をやりなさい。色んな上司に言われた。
果たしてそうかな?と今は思う。
数年経ち、念願の小児、産婦人科へ。
夢が叶った瞬間だった。
たくさんのテキストを購入して勉強しなおした。
好きなジャンルだったから、毎日が楽しかった。
そのうち、オペ室にも入ることになった。産婦人科のオペといえばカイザー(帝王切開)がメイン。その器械出し(ドクターにメスなど渡す役)につく事になったのだ。
何も分からない、わたし。先輩看護師に相談すると、「わたしがやっているのもメモして覚えて。次からは一人でやってね。」
え?マニュアルとかトレーニングとかないの?見て覚えろって感じ?
オペ中必死に手順、物品、ドクターに渡すタイミング、注意点、観察点など必死にメモる。
分からない。
そもそもオペで使う器械の名称が分からないところからスタート。
縫合の糸の種類。持針器の糸の掛け方、子宮収縮剤の注射の準備など、覚えることはたくさんあったのだ。
だけど、誰も教えてはくれなかったのだ。
わたしのなかの反社が芽生えた瞬間だった。
あなたが教えてくれなくても
看護という世界は本当に封建的なのである。
自分がしてきた苦労をそのまま新人に還元するシステムが根強く残っている。
白衣の天使なんていない。
いるのは、ただただ気が強い自己肯定感という盾を手にした人々が多い。
諸先輩方が、教えてくださらなく患者さんに侵襲が大きいオペにわたしが携わる訳にはいかない。ニュアンスでできるものでもない。
あなた方が教えてくれないなら、わたし、ドクターに聞きますね!
夜な夜な、夜勤の時に当直医を捕まえ教えてもらう。
必死に教えてもらう!!
真夜中に実際にオペの器械全部滅菌バックから出して教えてくれたドクターもいました。一つ一つしっかりとオペの器械の名称から使い方、手順、どのタイミングで使うかなどよく教えてもらいました。
おかげで器械出しはできるように。
ジジイとの出会い
そんなわけでオペ室で器械出しをするようになってすぐの頃。
緊急カイザーに現れた、高齢のドクター。
産科この道数十年。有名なドクターだった。
手技は上手いが、外科医あるあるの気性の荒さ。少しでも渡すメスが遅れれば、
メスが飛んでくるという噂。怖・・・・。
そんなオペにフレッシュナース、スイミーがつく事に・・・・。
ジジイ登場。
「今日はお嬢ちゃんが直介?(メスをわたす役)」
「はい、まだ不慣れで申し訳ありませんがよろしくお願いします。」
とご挨拶する。
夜な夜な当直医捕まえて練習しまくったのにジジイのオペの速さは半端ない。
本来は、わたしが渡さなければならない、オペの器械をどんどん清潔の台から取っていく。そしてガシャンガシャンと、返されていく。
これは、わたしの器械出しが遅いということを意味する。
返された血のついた器械をガーゼで拭う。
これは、完全に直接介助看護師の役目が担われていないということだ。
オペの速さについていけない。
ガーゼカウントだけ必死にやる。
縫合の糸だけ必死にかけておく。
冷や汗が背中を伝う。
ぐちゃぐちゃになった清潔台の上を震える手で片付ける。
無我夢中でなんとかオペ終了。
ジジイは「お疲れ様。」とだけ言って帰って行った。
ジジイ、再び。
数ヶ月後、またジジイがオペにやってきた。
眼光鋭い、ジジイ。
わたしを一瞥すると、さっさとオペ開始。
この前のような遅れにならぬよう、機械を渡していく。
この数ヵ月でだいぶ流れもわかってきたこともあり、なんとか喰らいつく感じで
オペ終了。通常のドクターの約半分の時間のオペ時間である。
手技も早くて正確。出血点もすぐにわかるし、まさにゴッドハンドなのである。
ジジイが帰り際、「お嬢ちゃん。すごく練習してきたでしょう。上手になった。あなた、この仕事頑張って行きなさい。辛いこともあるけど、良い仕事だから。」
報われた気がして、胸が詰まって、涙が落ちそうだった。
でも、涙を拭う手は滅菌グローブが血まみれだったから、泣くのを我慢した。
ジジイ、ありがとう。
その後も何度かジジイオペに携わりながら日々を過ごした。
ジジイが来る日は安心した。オペ中にどんなトラブルが起ころうとも、ジジイが神の手でどうにか無事に赤ん坊を取り出してくれるから。
多少、気性は荒くともそれが一番大切なことなのである。
280日、胎内で育んだ大切な命を当たり前にご両親に渡す。それがわたしたちの仕事なのだ。しかし、みんな当たり前に生まれてくると思っているがそんなに簡単なことでは実はない。
それは、現場にいる人間と実際、産んだ人にしかわからないのだと思う。
今年の春。
ジジイが亡くなったことを知った。
突然の知らせだった。
たくさんの赤ちゃんを取り上げてきた、しわしわの手をフラッシュバックのように思い出して泣いた。厳しい人だったけど、優しくて見守ってくれていた。
ジジイに認めてもらった時に、本当は泣きたかった。
血まみれの滅菌手袋では、涙が拭えなかったあの日。
今日は血まみれの手袋してないから・・・・、と思った瞬間
号泣。
もう、どんなトラブルでも赤ちゃんを取り出してくれるジジイはいないのだ。
「お嬢ちゃん、あなた、この仕事頑張って行きなさい。」
ジジイの声が聞こえた気がした。
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