自伝のこぼれ話 38
こぼれ話<36><37>と、2話に渡って19歳の頃に渋谷で出会ったアクセサリー売りの人たちの話を書いた。引き続きしばらくこの「こぼれ話」のコーナーは街で出会った人たちのことを書こうかなと思っている。
今回も同時期にあの辺りで出会った人の話。あの話より数か月くらい前だったと思う。
あの日は仕事が休みだったっけな。多分。何故そう思うかってのはあの日着ていた服を覚えているから。ラメが入った銀色のへそ出しのカットソーに黒いショートパンツを穿いてた。いくらなんでもそんな恰好で職場には行かないもんね。一度家に帰って着替えたのかも知れないけど、そこら辺は覚えてない。でもやっぱり時間的にそれはないな。17時半に上がって、家に帰ったらば19時頃に都内にいるなんて無理。
ラフォーレの前を歩いてたらおじさんに声を掛けられた。なんか格好悪い冴えないおじさん。
「ねぇ、彼女!お茶しない?」
ナンパにしたってあまりにも古典的というか、手慣れてないというかなんていうか。あまりにも堂々とでっかい声で、オーバーアクションで話し掛けてくるもんだからびっくりしたね。そんなダサいおじさんになんて興味ないし、なんで立ち止まってしまったのかな。
「ありがとう!!今日はお姉さんが初めてだよ!足を止めてくれたのは!ねぇ、お茶しようよ。キリンシティ行かない?おっちゃん、怪しい人じゃないから!おっちゃん、ここらでは『トラさん』って呼ばれててちょっとした有名人よ」
ヒマだし、いいか。
ラフォーレの2階だったかな。キリンシティに入るやいなや「トラさん」は常連なのか店員に「いつもの1つね!あ、彼女、何にする?」と言った。
そう言われても何があるか知らんわと思いつつ席に着きメニューを見てオレンジジュースを頼んだ。
「僕はね、いつも杜仲茶なの。健康に気を付けてるから。あ、なんか食べる?遠慮しないで好きなの頼みな」
「大丈夫です。お腹、空いてないんで」
「そっか。でも本当に遠慮しちゃダメだよ。何か食いたいならおっちゃんが奢るからな」
「はい……」
見知らぬ人に奢ってもらうなんて嫌だ。後々どんな恩を着せられるか分かりやしない。何か食べたいなら自分でお金を払うし、オレンジジュースも自分で払う。
「ねぇ、彼女。僕は彼女の名前、訊かないけど、僕は山田っていうの。大阪で生まれ育って、東京に来てもう何十年経ったかなぁ……」
ホント、どうでもいい。興味ない。そんな話をされても楽しくもなんともない。なのに何で私はこんなおっさんと一緒にいるんだろ。
「僕ね、もう年だし、まぁ色々あったんだけども、今はそれなりに楽しく暮らしてるわけよ。僕が何で彼女に声を掛けたか分かる?」
分かるわけない。
「僕ね、いつもここら辺で女の人に声を掛けてお茶してるんだけど、自信たっぷりに歩いてる子には絶対声掛けないの。彼女はなんか寂しそうというか、自信なさげだったから」
うーん、私ってそんなにしょぼくれてるように見えるのかな。ていうか、自信なさげな子だけに声を掛けるなんてなんか闇が深い気がするなぁ。弱そうな子に付け入って何か良からぬことを企んでたり?
「そうですか?私、そんなに自信なさげに見えますか」
「うん。僕にはそう見えた。僕は女の子には元気でいてほしいんだよ。強く生きてほしいって思ってるの。僕はそういった子たちとお話して、少しでも元気になってもらいたくて」
やっぱり怪しいというか、病んでる気がするよ。一見、ポジティブに見えるけどそういう人って心に闇を抱えているってことを知ってる。けどまぁ、もうこの人に会うこともないし、名前だって連絡先だって教えないし。
「彼女、無口だねぇ。僕はそういう子嫌いじゃないけどさ」
え、私が無口!?普段はめちゃくちゃ喋るんだけど。ま、さっき会ったばかりの謎のおっさんの前では無口になるのは当たり前だ。第一何を話していいか分からないしね。
おっさんは杜仲茶をおかわりして私にも何か飲むかと勧めた。要らないと答える。
「彼女はこの辺の人?よくここら辺に来るの?」
「たまに」
どこら辺に住んでるかは答えなかった。
「僕、一度見かけた子のことは忘れないのよ。彼女を見かけるのは今日が初めてだから訊いてみたの」
ああ、この辺をぶらつくのは今後止めようかな。しかしそれじゃ狭い日本がもっと狭くなるじゃないか。私は行きたいところへ自由に行きたいのに。けど別に特にここらで楽しいこともないしどうでもいいか。欲しい服を売ってる店は沢山あるけど買えないから眺めるだけ虚しいし。
「僕ね、こっちに来たばっかりの時、仕事してなくてね。たまたま知り合った中野に住んでる大学生の女の子のアパートに転がり込んで。東北から出て来た物静かでいい子だったんだけど、1年くらい経った頃かなぁ、親御さんがアパートに突然来ちゃってね。そりゃぁ猛反対よ。彼女は真剣に付き合ってるって言ってくれたんだけど、僕は居候だしお金も入れてないし。彼女は親の仕送りで暮らしてたし。だから『すみません、僕が出て行きます』ってその場で何も持たずに出て行ってねぇ。それっきり彼女とは会ってないの。幸せに暮らしてるんならいいんだけどねぇ」
その彼女のことずっと忘れられないんだな、おっさん。そのせいなのかね、女の子に話し掛けまくってるってのは。でもね、おっさん。もうやり直せないんだよ。上手く行かなかった人間関係を別の人と、自分が書いた昔と同じシナリオでやり直そうと試みるなんて無理なの。私の3倍くらい長く生きてそうなのに分からないのかしら。
「さっきから僕の話ばっかで退屈だよね?ごめんごめん。何か食う?僕、ちょっと腹減ったからスパゲティ頼もうかな。今の若い子はパスタって言うんだってこの間お茶した子に笑われたよ」
ナポリタンが運ばれて来た。食う?って言われたけどあんまりお腹減ってないし、そんな気分じゃないし断った。けど喉が渇いたのでオレンジジュースをもう一杯頼む。
「彼女さ、元気出しなよ。僕は今、そこそこ楽しく生きてるよ。生きてるってのは素晴らしいことなんだよ。まだ彼女は若いから分かんないかも知れないけど」
ああ、私の大嫌いな言葉。生きてればいいことあるとか、生きてるだけで幸せと思わないといけないとか、そーいう言葉大嫌い。これまでいいことはあったかも知れないけど、その何倍も嫌なことがこの19年間ずっとあったから。
おっさん、あんたさ、つまりはその彼女を好きだったけど幸せに出来なかったんでしょ?あんた自身がそもそも不幸せだったわけじゃん。どんな仕事でもして稼いで、彼女が卒業するまで待つとか出来なかったんじゃん。ま、彼女も親に反抗してまであんたと一緒にいたいって思わなかったってことだ。ダサい、正直。
「今、僕、少年野球の監督やってるの。トラのおっちゃんって子供たちが慕ってくれて、そこそこ強いチームなんだよ。来週の土曜、予選があって……」
ああ、つまらないなぁ。時間を無駄にしてしまったけど、行くところもなければ家にも帰りたくない。暇つぶししたと思うしかない。
「彼女、時間大丈夫?そろそろ帰る?」
「明日、朝早いんで帰ります」
「おう、そうか。引き留めて悪かったね。もし連絡くれるってなら僕の電話はこれだから」
おっさんはナプキンに電話番号と「トラ(山田)」とボールペンで書いて渡してきた。
「なんかあったら電話してよ、いつでもいいから」
電話なんてしないよ。あんたが怪しいおっさんだからじゃなくてあんまり面白くないから。
オレンジジュース2杯は自分で払うと言ったけど払うと言ってきかないので奢ってもらった。ラフォーレの前で別れる。
「彼女、元気出すんだぞ!」
ああ、鬱陶しい。
その後、おっさんをまたラフォーレの前で見かけた。今度は真っ昼間だった。2人組のギャルファッションの女性に
「ねぇ!彼女たち!お茶しない!」と両手を広げて声を掛けていた。
話し掛けられたギャル2人は完全におっさんをシカトし、
「なに!あのオヤジ。嫌だっての。だって金なさそうだし」
「だよね!」
と言いながら去って行った。うーん、おっさんは「自信満々で歩ってる子には声を掛けない」と言ってなかったか?おっさん、人を見る目、ないんだな。
「ねぇ!彼女!お茶しない?」
懲りずに別の女性に声を掛けているおっさん……
「ね、あれ、援助交際ってやつかしら」
「そうじゃない?」
「嫌ぁねぇ」
上品そうなご婦人たちが汚らわしいものを見るようにおっさんを一瞥し渋谷方面に歩いて行った。