雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<198>
第二の故郷
ジェロニモス修道院の見学が終わると20分の自由時間が与えられた。さて、どうしよう。そばにあるパステル・デ・ナタで有名なカフェにはテイクアウトする人が並んでいる。中で一服、コーヒーだけでもと思ったがゆっくりしていられないから諦めよう。修道院の回廊部分はツアーに組み込まれていないので希望者は拝観料3ユーロが必要だと案内があったがこれもパス。疲れているから少しでも休みたい。
人が少ないところに移動して一服しながらテージョ河をボーっと眺める。スペインから流れ、ここリスボンで大西洋に注いでいる…….河と海の境目ってどこだろう。昔読んだマンガに
「川の上流は流れが速くてきれいだけれど下流は淀んで濁ってて……けれど海に向かうにしたがってゆったりと広くなっていくんだなぁ……お前はどっちがいい?」
「そうだなぁ……」
といったセリフがあったっけ。正確なセリフもタイトルすらも思い出せないのがもどかしいけれど複雑な事情を抱えた高校生たちが苦悩を抱えつつも逞しく、面白おかしく生きようとしている様に共感した。ああ、吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』だ。普段は、少なくとも表面上はおちゃらけている男子高校生が橋の上でドブ河を眺めながらこんな会話を交わしているシーンにジーンときた。あのマンガを読んで人生を儚むには若すぎるけれど既に汚れちまった少年少女は運命に逆らって逞しく生きるか、若くして死ぬしかないと思っていた10代の私は本当に若かったーーToo Fast To Live Too Young To Dieってやつだ。あのマンガはまさしくパンクじゃないだろうか。私はもうすぐ26歳になる。まだ辛うじて若いといえる年齢だけれど、人生は分からない。あっという間に日々が過ぎて気が付けばおばあさんになっているかも知れない。
それにしても吹き抜ける潮風と青い空が気持ちいい。4月25日橋が架けられた先、対岸を眺めながらこの2週間のあれこれを反芻するーーもうねぇ、こんな旅は二度とないと本当に思う。肺の奥深くまで煙を吸い込んでゆっくりと吐きだすとテージョ河の向こうが少し煙って見える。詩でも詠みたい気分だ。けれどメモ帳はあるもののペンが見つからない。あ、ロカ岬で宮本さんのご主人に貸したままだったかも。どんなに巧い言葉が浮かんでも煙と風に乗って消えてゆく……せめて誰かに届けばいいのに。ああ、目の前を黄色い路面電車がゆっくりと通り過ぎる……
集合時間3分前、感傷に浸ったままで修道院の入り口に向かう。
「ミホちゃん、どこに行ってたの?回廊、素晴らしかったわよ」
「ちょっと、ここら辺で休んでました」
「カフェで一服してたの?」
「いや、ボーっと海を眺めてました」
「ミホちゃんは海が好きだものねぇ」
「ええ、海というか、港町が好きなんですよね」
「さすが、ハマッコ」
親子三代に渡って江戸の下町に生まれ暮らさなければ江戸っ子とは呼ばないのとは違って、ハマッコというのは横浜に住んだその日からハマッコなのだと子供時代から聞かされてきた。けれど私はハマで生まれ育ったことを誇りに思っているし、港町に惹かれるのはそのせいか分からないけれど両親、祖父母はみな横浜の人だ。だから私は生粋のハマッコといっても差し支えないだろう。
「お次はジェロニモス修道院と同じく世界遺産に登録されているベレンの塔へと向かいます。ベレンの塔はその美しさからテージョ河の貴婦人と呼ばれており、侵入者や出入りする船を見張る目的で造られた要塞ではありますが、ここから命がけで旅立った有名無名の船乗りたちが戻って塔が見えたとき、いったいどんな想いだったことでしょうか……」
ああ、こういう話にはどうしても心を打たれてしまう。「貴婦人」は二度と故郷の地を踏めないかも知れない海の男たちを見送り、長い長い過酷な旅や戦から無事戻ることが叶った彼らを優しく迎えてきたのだ。ああ、私は命を賭してこの国にやって来たわけじゃないけれど見送ってくれた人に再び出迎えてもらえるなんてことはごく当たり前の、日常のひとこまのようでいてそうでないのかも知れない。私は明日この国を発つ前、最後に見たものに、いつか戻って来たときに真っ先に出会えるといい。そうでなくとも瞳に映ったこの国の美しいものに再び出会いたい。
たった今、私は決めた。ポルトガルは私の第二の故郷だ。
船乗りたちの想いに馳せようと思っていたのにベレンの塔に到着すると塔に続く橋にロープが張られている。今日は金曜だから開いているはずなのにどうしたことかとユミコさんが確認しに行くと修繕のために臨時休館だとのこと。
ああ、この国に戻ってくる理由がまた一つ出来た。ポルト名物の臓物煮込み、黄色い路面電車、赤いブーツ、自由気ままな街歩き、ベレンの塔…….
ベレンの塔を見学できなかったのは残念だけれど、潮風、海の香りがたまらなく気持ちいい。釣竿を下ろしている人、散歩を楽しんでいる人…….人の数だけ人生がある。
「君はまだ若い、人生を楽しめ」と誰かさんに言われたっけ。さっきからずっとその誰かさんの姿が見当たらない。最後に見たのはどこだったか……。ジェロニモス修道院でバスを降りて、それからここまで歩いて来たんだっけ。あのひとは今、どこかのカフェで一服しながら新聞でも読んでいるのだろう。