自伝のこぼれ話 36
あれは確か19歳の頃だった。私が大学を中退して少しして父が出て行き(母が追い出したんだけどね。アパートは父の名義で借りてた)、母と妹と暮らしていた頃。
母は父だけでなく、私や妹にも逃げられたら困るとばかりに厳しすぎる制限を課すことをしなくなった。どんな服を着てもいいし化粧もしてもいい、男の人からの電話もOK、夜遊び、朝帰りさえ何も言わなくなった。
だけどそれでも私は家に出来るだけいたくなかったので、仕事が休みの日はもとより、仕事の日でも終わってから街に出た。
ある夜、私は原宿にいた。別に何をするでもなく竹下通りとかラフォーレの前をうろついて。お金がなかったから憧れの服屋はただ外から眺めるだけ。ああ、もっとお金が欲しいなぁ、って思いながらね。
宮下公園のそばを歩いているとアクセサリーを売ってる露店があった。別にアクセサリーなんて興味ないし、いや、興味ないわけじゃないけど特に心惹かれるようなものがなさそうだしってとこだから素通りした。そしたら
「ねぇねぇ!お姉さん!カッコいいね!」って声を掛けられた。
声の主は露店の女の人。小柄で民族調の服を着ている。チャイハネとかで売ってそうなやつ。私と同じ年くらいかな。思わず立ち止まってしまった。
「お姉さん、ありがと~!お姉さんと話したいんだけど時間ある?」
時間ならたっぷりあるけどさ。
「ん?何?」
「お客さん来なくて暇だから、お喋りしない?」
何か怪しいなぁ~と思いつつもエリカと名乗る女の人と喋ることにした。あ、他に男の人が2人いる。
「私ね、韓国人なんだ。日本で生まれたんだけど韓国行ったことないし。だから韓国語全然分からないの 笑」
「そーなんだ?」
「うん。露店やる前はテーブルダンサーだったんだけど、稼げないし変態が多くて辞めちゃったの」
つかみどころのない子だなぁ。何を話していいか分からない。さすがに露店よりテーブルダンサーの方が儲かるんじゃないかなって思ったけど黙ってた。
「あっちの、白い服着てる方、私の彼氏なんだよね」
「そうなんだ?」
そうなんだ、としか言葉が出ないよ。
男二人はどこの人だろう。日本人じゃないのは明らかだけど。エリカの彼とやらは黒髪でエキゾチックな風貌をしているけどもう一人は金髪で肌も白くてヨーロッパ人に見える。サングラスをかけているから目の色は分からない。
「ねぇねぇ、アヒダ、イケメンでしょ?私の彼の方がカッコいいけどね!」
金髪の奴はアヒダって名前なのか。
「私の彼、優しいんだぁ。この服も彼が昨日買ってくれたんだ」と言ってエリカは自慢げにクルっと回って服を見せた。
なんだかよく分からんけど、男二人は不法滞在なんだろうなぁ。
「ねぇ、彼とはどこで知り合ったの?」
「どこだか忘れちゃった。けどね、確かどこかのクラブ!」
「そうなんだ~」
「ねぇ、お姉さんなんて名前?」
「ミホ」
「あ~!仲良かった子と同じ名前!なんか嬉しいっ!」
エリカの勢いに気圧される。けどここにこのままいてもいいかぁ……暇だし、行くとこもないし。
何人か足を止めてアクセサリーを見ていく。けれど誰も買わないで立ち去る。エリカも男二人も積極的に売ろうともしてない。
「売れるの?」
「あんまり売れないけどね、けど売れるときは売れるよ」
「そうなんだ」
「あ、ミホ、ケータイ持ってる?」
「ピッチなら持ってるよ」
「私もピッチ!番号教えてくれる?」
エリカと番号を交換する。ああ、私、なにやってんだろ。
「あ、ちょっと待って。この間買ってくれたお客さん来た」
中年らしきカップルがアクセサリーを眺めている。
「これ、どう?ドリームキャッチャー。悪い夢を食べてくれるの。お守り」
「うーん、私には似合わないな」
「そんなことないけどね!持ってるだけでもいいし!」
「うーん、また来るね」
「分かった!またね!今度は別のも持って来るよ!」
また来るかどうかは知らんけど、カップルは手を振って去って行った。
「いつも何時までやってるの?」
「適当だよ。稼げればすぐ閉めちゃうこともあるし、そうじゃなくてもテキトー」
「そうなんだ?」
「まぁ、稼げれば彼が服とか買ってくれるからいいんだけどねー」
好奇心から彼はどこの人なのと訊こうとしたけど訊いても訊かなくてもどうでもいいや。
「そろそろおしまいにする?もうお客来ないと思うし……」
エリカの彼が英語で言った。
「そうだね!でも昨日は1つしか売れなかったけど、今日は7千円売れたしね!すごいよ!新記録!」
エリカも英語でそう言った。
アヒダとかいう男が黙々と片付けている間、エリカと彼氏は抱き合っていちゃいちゃしている。
「ねぇねぇ、ミホ、アヒダとミホ、付き合っちゃえばいいじゃん?」
なんだそれー。答えに窮するって。
「アヒダ、もう2年も彼女いないんだって。だからいいじゃん?お似合いだよ!」
アヒダは日本語が分からないみたい。
エリカと彼氏とアヒダで利益を分け合うと
「じゃぁミホ、またね!電話するよ!」
とエリカは言って彼氏といちゃつきながらまだ片付けをしているアヒダを置いて夜の街に消えて行った。
「手伝おうか?」
英語で話し掛けるとアヒダは
「ダイジョブ、アリガト」と答えて片付けを続ける。
ああ、本当に私、何やってるんだろ。アヒダが黙々と片付けているのをただ見ている。
「終わったよ。これから君はどうするの?帰る?」
「どうしようかな」
「時間あるなら、ちょっと話そうか?」
「いいけど、どこで?この辺に喫茶店ある?」
「分からない。けどちょっと話さない?」
「どこで?」
「あそこにベンチがあるけど、そこでもいい?」
「いいよ」
街灯がかろうじてある暗い公園みたいなところにあるベンチに座った。
「君、名前は?」
「ミホ」
「僕はアヒダ。ほら」
そう言って小さなバッグから財布を取り出し、外国人登録証を見せてきた。
国籍、ドイツか……。なんでったってドイツ人が日本にやって来たんだろ。どうして露店なんてやってんだろ。アヒダって名前は本名ならドイツ人らしくない名前だ。まぁ、ドイツ人じゃないかも知れないけどね。そもそも偽造かも知れないし不法滞在かも知れないけどどうだっていい。
煙草を吸いながらどうでもいい話をしている。もう秋も終わりに近づき落ち葉が足元を覆っている。
「時間、大丈夫?」
「そろそろ帰ろうかな」
「うん、僕も帰る」
どこに住んでいるんだろ、この人。どうだっていいけどね。
「ねぇ、また会える?」
「いいよ」
携帯の番号を交換する。それにしてもこの人、英語に全くクセがない。何者なんだ、一体!?
「気を付けてね」
「あなたもね」
握手を交わす前にアヒダはいつの間にかサングラスを外していた。薄い青みがかった緑の瞳……金髪も染めたものじゃなく生まれつきなのかも知れない。国籍や人種なんてどうでもいいけど、ヨーロッパの血を引いているのは確かかもなぁ。
(続く)