自伝のこぼれ話 6
前回に引き続き、若い頃に海外ペンパルをしていた話です。これも以前書いた記事の焼き直しなので、前に読んだよ!って方は目を瞑って下さいね。
ペンパル雑誌に載せてもらい、世界中の手紙のやり取りをしていたある日、こんな手紙が届きました。
アメリカの切手が貼られたごく普通の茶封筒には '~PRISON' と赤いスタンプが何か所も押されていました。え、刑務所から......?そうです、囚人からペンパル希望の手紙が届いたのです。娯楽室に置いてあった雑誌に私の文通希望の記事が載っていたようで、それを見て手紙を出したとのこと。
それから私は最大、同時に3人の囚人と文通をしていました。カリフォルニアから2人、フィラデルフィアから1人。いずれも黒人の男性でした。数か月にいっぺん写真を撮ってもらえるそうで、ポラロイド写真が同封されていることもありました。もちろん私が出す手紙も、向こうから来るのも中身は検閲されます。あ、封筒に私がステッカーを貼って出したら
「君が貼ってくれたステッカー?かな?剝がされちゃうから貼ってくれるなら手紙に貼ってくれると嬉しいな」と書かれていたこともあります。
その3人が何の罪で収監されていたのかは詳しくは知りません。別に知る必要もなかったです。少なくとも私の方は他のペンパルたちとは区別せず同じような気持ちで文通をしていました。
私は今までに刑務所や少年院等に収監されたことはありませんが、彼らが外と、社会とつながりを持つということが大事だということは分かっているつもりです。文通はその一環で、おそらく刑務所側でも推奨していたのだと思います。当時はネットはあった気がしますが一般的ではなかったですし、新しい情報を得るのは主に雑誌やテレビという時代でした。
海の向こうにいる、塀の向こう側にいる人が書く「日常」が綴られた手紙。「BGMはR・ケリー」などと書いてあるところを見ると、自由に音楽が聴けるのか、それともたまたま娯楽室でかかっていたのかなぁなどと想像しながら返事を書いていました。
それから彼らとは自然消滅というか、こちらも怒涛の日々を送っていましたので、彼らに手紙を段々と書かなくなってしまいましたが、その時のことをふと思い出してかなり前に(アメリカの)囚人と文通できるようなサイトがあるかどうか調べたら簡単に出てきました。かなり大規模な組織が運営しているようで、そこには囚人の本名、顔写真、年齢の他、性的志向、宗教、そして収監先、罪状、いつ釈放予定(当然、終身刑の人や死刑の人もいます)か、あとは趣味やどんな人と文通をしたいかなど自己紹介が詳しく掲載されています。そのとき、とても気になる人を見つけました。なんていうか、理由はよく分からないのですが、この人に手紙を書きたい!って感じたのですね。ビビビと来たってやつでしょうか。テキサスの刑務所に収容されている白人の彼。彼は私が昔文通した人たちとは何の関係もありません。けれどとにかくこの人に手紙を書きたいな、と思ったのです。初めの手紙はなんて書いたらいいのかな、写真は送ろうかなと考えつつ、そのサイトの規約や注意書きを読んでいたら、囚人との文通を希望する方へ、というページに
「精神が健康であること。まずあなたが健全でなければ、人を励ましたり救ったりは出来ません。まずあなた自身を救ってください。健康になったならばその時はぜひまたこのサイトを訪れ、囚人たちに手紙を送ってください」という内容のことが書いてありました。私は尤もだと納得し、手紙を送るのをやめました。
そして数年後、なんとなくそのサイトのことを思い出してその彼を探しました。まだわたくし、全然健全とはいえなかったのですがーー彼はサイトから消えていました。彼は元交際相手の女性を射殺して終身刑だったはず......。もうペンパルは募集していないのか、それとも......?彼が犯罪を犯したテキサス州の犯罪者リストからも名前が消えており(そうです。私は彼の名前をはっきり覚えていたのです)、なんだか妙にさみしい気持ちになってしまいました。異常ですかね、こんなの。別にずっとその彼が気になってたまらない!と思っていたわけでは全然なかったのですが。何故かとても惹かれたんですよね、詩人みたいな文章を書く人で............。だけど私が健全になることはなさそうだから、永遠に彼に出会えることはないでしょう。けれど、どこに行ったら彼に会えるの?彼はどこでどうしているの?と時々思ってしまうのです。