雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<203>
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どこの国のどこの街でも、旧市街の細く入り組んだ路というのはグッとくる。有名な観光スポットや華やかな建造物はないけれど、そこには日常があるから。おそらくここらに住んでいる人たちしか来ない、観光客目当てではない小さな商店やレストランやカフェが住宅の間にぽつぽつとあってーーお店の人は現地の言葉しか話せず、英語のメニューの用意もなく、観光客が来たら片言の英語と身振り手振りとで注文を受けて……いいなぁ。こういうところ、大好き。
欧州、特に先進国ではないところでは食材やなにかの材料そのものは日本よりもずっと安価で手に入れることが出来るけれど、人の手が加わっているものは決して安くはない。日本ではファミレスで千円、いや数百円出せば一定の水準が保たれた料理が提供され、絶品とまではいかないまでも不味いなんてものもほぼないから想像通りの味のものが出て来るという点では安心ではある。けれどせっかく旅行をしているのにそれではつまらない。世界のおおよそどこでにも展開しているチェーン店より地元の人、こんな下町に暮らしている人たちが一杯二杯とやりながら一品料理をつまんで店主やお客とお喋りを楽しんでいる店にどうしても惹かれてしまう。たとえ注文して出てきたものが少々口に合わなくたってそれも思い出になるし、雰囲気と楽しい時間にお金を払ったと思えば全然惜しくなんてない。またここに来ることがあればゆっくりと散策したいものだ。
こんなところで暮らしてみたいなぁ。エレベーターなんてないであろう石造りの共同住宅の3階くらいに住んで、窓の外をテラコッタの植木鉢で飾って……そうだなぁ、色鮮やかなゼラニウムの花なんて南欧らしくていいじゃない。水やりくらいでさほど手入れも要らないしね。
中心部にある観光客目当てのカフェやお土産屋で働いて、帰宅前に馴染みの近所の店に顔を出していつもの席で食事とお酒、そしてお喋りを楽しんでから部屋に戻って朝に干した洗濯物を取り込んでシャワーを浴び、洗いざらしのシーツを敷いたベッドでぐっすり寝て朝日が窓からこぼれてくる頃に起きてコーヒーを飲みながら一服する……これ、まさに私の理想の人生!うん……まずはポルトガル語を勉強しなきゃね。
小さな子供たちが狭い路地を駆けずり回って、息を切らせてキャッキャと楽し気な声を上げている。ああ、子供ってのはいつの時代のどこの国の子でもしらふでハイになれるんだ。
私がこの子たちくらいの頃には既に家庭環境の異常さ、うちはよそのお家とは違うと薄々気付いてはいたものの、まだ純粋で汚れてはいなかった。
私が生まれたときから住んでいたボロアパート、けやき荘から急坂を少し上ったところに広い庭というか雑木林といってもいいくらい沢山木が生い茂っている家があり、一人では外出が出来ないほど足腰の弱ったおばあさんが一人で住んでいた。そこで私は幼稚園の友達と一緒に虫捕りをしたり木に登ったり、男の子も女の子も泥だらけになってはしゃぎまくった。おばあさんは我々、小さな訪問者たちにいつもお菓子や缶ジュースを振舞い、歓迎してくれたっけ。あれはきっと、一週間に一度様子を見に来るという息子さんが用意してくれたものだったのだろう。
あのおばあさんーー母ややんちゃな男の子たちは「石原のばあさん」って呼んでいたけれど、元気にしているだろうか。存命ならもう百歳くらいかしら。けれどもうあの家はないかもなぁ。しばらくあの辺りには行っていない。だって、用がないから。けやき荘は数年前取り壊されて跡地には一軒家が3つくらい建っているらしい。
男女も年齢も関係なくみんなで遊んだ子供時代。名前すら知らない子もいたけれど、一緒に鬼ごっこやだるまさんがころんだをしたらもう友達。やがて「石原のばあさん」の庭は卒業したけれど、ファミコンを持っている子の家に集まっては誰が一番早く難しい面をクリア出来るかを競って大騒ぎ。ソフトを沢山持っている子は羨望の的で、ゲームが得意な子は勉強が出来る子より、かけっこが速い子よりも尊敬された。
アルファマの路地を歩きながらこんなことを回想しているのははしゃいでいる子供たちがいるからだけれど、木登りにせよゲームにせよ夢中になって遊んだ子供時代が懐かしい。そう、しらふでね。遊びに行ったお家でカルピスやケーキが出てきたら更にハイになってさ。しらふでも思いっきり楽しめる時期ってのは本当に、本当に短いんだ。
お正月やお盆には伯母さんの家で10歳くらい離れた従姉たちとトランプや人生ゲームをして遊んだ、否、遊んでもらった。私は真剣にルーレットを回して車の形をした駒を進め、億万長者になって大喜びしたけれどお兄さんお姉さんたちが「所詮ゲームじゃん」と言わんばかりに鼻で笑っているのに気付くと急に興ざめして、早く大人になりたいと思った。
ゲームというものは興じている全員が真剣じゃなければつまらない。白けながらやっても楽しくもなんともない。
「イエーイ!また勝った!」
「ああ!負けた!もう一回!」
そんな風にはしゃいだり悔しがったりワイワイとやるのがゲームってものじゃないだろうか。まぁ、お金を儲けるのが目的なら別かも知れないけれど……マデイラのカジノは遊びだったからこそ、楽しかったじゃない。
酒と煙草とを仲立ちに共通の仕事や趣味でもなければ誰かと親しくなることが出来ないような大人に私はなってしまった。
あ……そうか……さっきから頭の中で燻っていたものの正体って……
「一番愛しているのは家族だ」と釘を刺しつつも今夜私の部屋に来たいらしいあのひとーーああ、そんなつまらないことはもう言わないで。粋なあなたらしくないし白けるじゃないの。遊びなら真剣に遊んでよ。一緒にお酒を飲んで煙草を吸って、他愛もない会話をしてさ。
♪バイ バイ
Bye Bye
だけど大好きだから
もっと遊ぼう
まだ辛うじて純粋さが残っていた頃の私が夢中だったバンド、The Stalinの曲を思い出すのはどうしてだろう?
今夜、酔いつぶれないくらいに少しだけハイになってあなたと過ごしたい。少し覚めちゃってはいるけれども、強がりたくもない。だって、もうあなたとは二度と会うことはないんだから。