自伝のこぼれ話 42
自伝本編を書き始めて早2年半以上。最早自伝なんだか最近は書いてる本人もよく分からなくなってるけども、たまに「そういえばこのエピソードって書いたっけ?」と読み返すことがある。
中学時代は「問題児」だったわたくし、高校に入ってからは真面目になろうとしたんだよね。大学に行きたかったから、というか、大学を出ないとなれない仕事に就きたかったから。その仕事に就きたかったのも家を出たかったからというのは散々書いている通りだ。
で、私の母校は横浜の女子高で底辺に近い学校だった。受験さえすればほぼ誰でも受かるんじゃ、ってくらいに(ま、同じ中学から8人受けたけど2人落ちた)。けどそれなりに楽しかったんだよね。真面目な子もいれば、元ヤンやギャルもいて、オタクっぽい子もいて。私はそのどれでもなかった。そのどれでもないってのが面白がられたのか、クラスの子たちとはゆるく仲良くしてた。だけどそれは高2からの話。高1の頃は色々と嫌な思いをした。そんな「嫌な思い」の話を自伝本編で書いてなかったよなぁ、というのが今回の話。
勉強を頑張ろう、教師に目を付けられないようにしよう、クラスで浮かないようにしようと努力?したんだけどそれが裏目に出てしまった。どの属性にもなれなかった私は孤立してしまったのだ。一応ね、入学して1か月くらいは一緒に弁当を食べるような子たちがいたんだよ。けどある日、今日はグラウンドでお弁当食べない?と言われて行ったら誰もいないし少し待っても来ないの。え、と思って弁当片手に教室に戻ったらその子たちが楽しそうに弁当食ってた。私はどうして?って訊かなかったよ。黙って自分の席で一人で弁当を食べた。惨めだったなぁ。
もういいや、学校には勉強しに来てるんだし、友達なんていなくてもいいやって割り切ったのね。けど、ハブにされるということは勉学に関することでもハブにされるわけで。ペアを組んでもらえないとかグループに入れてもらえないということは成績に直結する。一番きつかったのは音楽の課題。昼休みや放課後、音楽室に行って音楽教師(古田)の前でペアで合唱(1分くらい)するというものがあった。誰とも組んでもらえなかった私、一学期の音楽の成績は「1」だった。ていうかさぁ、授業内ならともかく、昼休みとか放課後ってのもさらにきつかった。だって、相手の都合もあるからね。仲のいい子なら、いつにする?とか相談出来るけど。奴は5クラスくらい受け持ってたから長蛇の列だったよ。もし不合格と言われたら列に並び直すか後日出直すという。
で、2学期にも同じく別の曲でそれをやらされることになったので、悩んだ挙句、担任に相談した。担任は教員免許を取ったばかり、新任の家庭科教師でめちゃくちゃ頼りにならない人だったんだけどね。お嬢様育ちっぽくて。そしたら担任は「古田先生に相談したら?」って。「いや、もう相談したんです、けど、どうにかペアを見つけろと言われたんです」って言った。担任はオロオロするばかり。本当に役に立たないな、と正直思った。
それから数日後かな?昼休みに古田とばったり会ったからペアを組んでくれる人がいないことを改めて訴えた。
「お前、なんでペアを組んでくれる奴がいないの?」
「友達がいないからです」
「なんで友達がいないの?」
この時代、ハラスメントという言葉はまだなかったけども、充分ハラスメントだよなぁ。
「嫌われてるからじゃないですかね」
「なんで嫌われてるか考えてみたことはあるのか?」
ああ、本当に勘弁してくれよ!もういいや、面倒くさい。けれど思わず涙が出てきてハンカチを制服のポケットから取り出した。
「お前なぁ、泣いてもしょうがないだろ?泣いてもペアを組んでくれる奴が出て来るわけじゃないんだから」
最低だな、あんた。あんたはいじめに間接的に加担してるってこと、露ほども思ってないんだろうな。
私が古田と話しながらハンカチで涙をぬぐっている間、生徒や先生が通って何事かとじろじろ見てくるんだわ。いじめじゃん、マジで。
「まぁ、何とかペア組んでくれる奴探して」と古田。
結局、担任がクラスの学級委員の子に頼んでくれたんだな。その子は嫌な子じゃなかったけどさ、その子は既にペアになってる子がいたから私のせいで2回受けなきゃいけなくなって。クラスの人数が奇数だったってのもあれだけど、そういう問題じゃないよな。
2学期の音楽の成績は「2」になった。
しかし相変わらずそれ以外ではハブにされてたなぁ。いわゆる「スクールカースト」上位の子からはいつもバカにされてた。
「あ、ヤバい!マニキュア落としてくるの忘れちゃった!ねぇ、南さん、除光液持ってる?あ、持ってるわけないかぁ。南さんはマジメちゃんだもんね」
ってからかわれたときはムカつくというか心で苦笑いしたな。私は制服のスカートも標準丈で学校では化粧も全くしてなかったからお洒落なんかしないと勝手に思ってたんだろうけどさ……中学から引き続き、出掛ける時には親に内緒で派手な服(中学時代の唯一の友達、パンクだったカナちゃんとお姉さんのおさがりだけど)を着たり、化粧もしてた。そう、あんたたちみたいな中途半端なギャルより派手だよ。
まぁ、そんなこんなで高1時代は全然楽しくなかった。2年になってからクラスが変わって(3年はクラス変更なし)、ようやく家より学校の方が楽しいくらいにはなった。
で、ビックリというか、意外性がないというかなんだけど、その音楽教師の古田にも熱烈なファンがいたんだわ。女子高だからね、男性教師がそこそこモテるのはあるある。私もさえないおじさん英語教師に憧れてたから人のことは言えないが、古田はロバみたいな顔しててやたら毛深くてさ。噂ではバツイチで京都出身のボンボンだって。古田にはあだ名がいくつかあったけどそのうちの一つが「ボン」。
卒業してだいぶ経った頃、mixiで母校の私の代のコミュを見つけた。早速参加して書き込みを見たら
「古田って生徒に手を出してクビになったらしいって本当?」
「私もそれ知ってる~。気に入った子にわざと(成績)1付けて、音楽室に呼び出してやっちゃったって」
ってのがあった。古田が学校を辞めたってことは風の噂で知ってたけどそんな理由だったのか!けど彼奴ならやりかねんなと思った。うちの学校は私立だから転勤とかないし、もしいなくなるならばトラブルか、亡くなったか、何か特別な理由しかないはず(私の憧れの先生は留学するために辞めたしね)。
そしたら数日後に書き込みがあって
「違うよ。古田は労働組合を作ろうとして職員室でビラを配ったんだよ。教頭に止められたけどそれでも止めなかったから自主退職迫られたんだよ」って。書いた主は古田のファンだった子。
それを読んで、それも彼奴らしいなって思ったわ。お坊ちゃまがそういう活動にのめり込んでしまうのもあるあるだからね。ブルジョワ階級の奴が出自に疑問を持って迷走したり、弱者救済との大義名分で承認欲求を満たそうとするのはマジであるあるだから。洋の東西や時代関係なくそういう人が出てきて大概が失敗に終わるんだよなぁ。太宰しかり、ムンクしかり。
私が最後に母校に行ったのはもう20年くらい前だ。書類を取りに行くためだった。その頃には私が嫌いだった担任の平井は辞めていたっけ。その話はいずれ、自伝本編で書く。
ヘッダー画像は高校生の頃の私、教室にて。