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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<155>

カーニバル

白いベットの上でひとり、横になる。ジョゼさん、今夜の宿は見つかったのだろうか。今どこにいるのだろうかーーああ、そんなこと私に関係ないのにね。

いつの間にか朝になっていた。顔を洗って化粧をする。朝食までまだ少しあるけれど、今日は散歩をする気にはなれない。どうしてだろうか。こんなに気持ちのいい晴れた朝なのになんだか気だるいのは。

それでもなんだか部屋にいたくなくてロビーで煙草を吸う。なんだか苦くて少しくらくらする。
「おはようございます」
「ミホちゃん、なんだか眠たそうね」
「昨日なにかあったんじゃないかしらぁ」
ツアーメンバーの女性たちが揶揄う。
「……なんのことです?」
「分かってるくせに~!」
「またまた~!とぼけちゃって」
「なにもないですよ~」
「本当に~?」
「みなさんが聞きたそうな話は全くないです、残念ながら」
「そうなのぉ?」
「残念ながらって、なんか含みあるわよねぇ」
「本当に、ですよ!」
「ホントに?」
「まぁ、そういうことにしておきましょ。あ、朝食ルーム開いたわよ」

本当に、なにもなかったんだけれどなぁ。昨晩のフロントでの出来事は誰にも言わない。一生の秘密にしよう。ああ、けれどみんながおかしなことを言うから意識してしまうじゃないか。

朝食を終えて部屋に戻り、歯磨きをして口紅を塗り直した。観光に必要なものだけをバッグに詰め込んで外に出るとバスの前でジョゼさんがくわえ煙草で新聞を読んでいる。私には気付いていないと思う。多分。
「ボ、ボン・ディア」
毎朝バスに乗り込むときのように朝の挨拶をした。
「ボン・ディア」
ジョゼさんは新聞に顔を向けたまま小さい声で挨拶を返した。いつもは(誰にでも)ニコッと笑顔で返してくれるのに。ああ、気まずい、気まず過ぎる。

午前中はエルヴァスを観光。仮装をした小さな子供たちが大勢、町を練り歩いている。今日はカーニバルだと電柱にチラシが貼ってあったっけ。
「どこどこ幼稚園」と書かれた看板を手にした保護者か先生らしき人も子供たちと同じ衣装を着ている。カメラを向けると足を止め、
「撮って!撮って!」とポーズを取ってくれる。
子供たちも大人もみんな楽しげだ。いいなぁ、こっちまで笑顔になる。こんな小さな町にもこれだけ沢山の幼稚園があるんだなぁーーみんな、すくすく育つのだよ。この世の楽しいものを出来るだけ味わって生きるんだよ。
私は子どもが好きでも嫌いでもない。けれどこの世に生を受けた者はみんな幸せであってほしいと思う……私に害をなす人間以外は。尤も、誰かを傷つけるような人間は往々にして人生や己に満足していない奴らで、つまり幸せではないってことだ。
ああ、こんなことを考えるのは今は止めよう。一生懸命みんなで作ったであろう思い思いの衣装を着た子供や大人、そしてそれを楽しんでいるツアーメンバーの前では私の黒い感情などは封印したい。

かつてポルトガルの植民地だったブラジルといえば多くの人が真っ先に思い浮かべるのはリオのカーニバルだろう。それともフットボールか、コパカバーナのビーチか。ともかくカーニバルに参加するリオ市民は年に一度のこの日のために働き、全てをつぎ込むといっても過言ではないのだと聞いたことがある。

いつかブラジルにも行きたいなぁ。門田さんのホームページのブラジル紀行には成田から何度か経由しブラジル到着までに7回も機内食を食べたと書いてあった。
「にしドイツ、ひがしドイツ、カナダ、メキシコ。ちゅうごくはちかくて、アメリカとフランスはとおい。ブラジルはもっともっととおい」
永田のおじさんが話してくれた海外の話やテレビのニュースで耳にした国の名前をお絵かき帳にクレヨンで書いた幼稚園時代。目の前を通り過ぎてゆくカラフルな衣装の子供たち……いつかポルトガルを飛び出して世界を見たいと夢見ている子はいるのだろうか。

「知ってるかい?日本に初めに行ったヨーロッパ人ってのは我々、ポルトガル人なんだよ」
私が日本人だと知ると誇らしげに片言の英語で話し掛けてきたカフェの親父。
「今となってはブラジルとポルトガル、一体どっちが植民地なのかね」と揶揄されているこの国、哀愁のポルトガル。栄華と没落。サウダーデ。

そんなことを考えているとマイクを持った男性が現れた。
「どこから来たのですか?」
流量な英語で話し掛けられる。
「日本です」
「WOW!ジャパン!ポルトガルのカーニバルと日本のお祭りはどこが違うと思いますか?」
唐突に訊かれて戸惑ってしまう。
「みんな笑顔なのがいいですね、ポルトガル、エルヴァスのカーニバルは」
「あなたも楽しんでますか?」
「Sim(ええ)、もちろん!」
「日本からのお客様はポルトガル、そして我が町エルヴァスが気に入ったようです!以上、カーニバルで盛り上がっているエルヴァスから○○がお届けしました。お次のコーナーは…….」
マイクを向けたのは地元のラジオ局の人だったことにようやく気が付いた。エルヴァスの人が耳を傾けている生放送。もっと気の利いた、面白いことを言えばよかった。ああ、ポルトガル語を勉強したい。そしたらもっとこの国が分かるような気がするーー私はとってもポルトガルが好きだ。Eu gosta de muito Portugal.これで合っているかな?