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自伝のこぼれ話 63

「こぼれ話 46~」からの続きです。

ようやく高校時代の「事件」の本編を前回で書き終えました💦
私にも高校生だった時代があったわけでいろんな出来事があったけどあれはそのうちの印象深かったことの1つ。

さてさて、前回予告したように今回はあの話に出て来た人物などの「その後の話」を書きますよ。あれは高校2年の2学期の出来事なので、あの時点で高校生活は1年半残りまだあった。あれから学校では大きなトラブルはなかった。小さなトラブルも記憶がないなぁ。

しかし…..私が憧れていた英語の元木先生がロンドンに留学するということで私たちが3年生になる直前に辞めてしまった。あれはショックだったなぁ。辞めるってことはかなりの子たちが知ってたらしいんだけど私の耳に入れるなって先生から口止めさせられてたんだって。みんな口が堅いよね、すごくない?ある日ね、校内で雨宮に会ったらおかしなこと言ってたんだわ。
「これから何があっても驚かないでね」って。私はいつものように「なんじゃそりゃ!?」って返したんだけどね。後にして思えば先生が辞めるってことだったわけ。で、私が先生が辞めるってどうして知ったかと言うと、選択授業、英文法の授業の前に他のクラスの子がおばさん先生に
「元木先生って辞めてロンドン行くって本当ですか~」って訊いたんだわ。おばさん先生は「そうよ」って。もう修了式まで1か月とかそんな時期。教室に戻ってトンちゃんにその話知ってるかって訊いたら「知ってたけど、南くんには絶対に言うなって言われてたんだ」って。みんな私のためを思って黙ってたのに思わぬところで秘密ってバレるんだなぁって思ったよ。私が大泣きしてたら平井に見られて「あ、もしかして……気付いちゃったのね」なんて言って、放課後呼び出されて「元木先生が心配してらしたのよ、俺がいなくなったらあいつは勉強しなくなるんじゃないかって。これからも勉強頑張りなさい、そして絶対にアメリカ行きの試験に合格なさい」だと。
※アメリカ行きの話は散々前にも書いたから省略するけど、2年生の冬休み前に平井に「こんなのあるんだけど、参加してみない?」としつこく言われてダメ元で受けたんだわ。見事合格して3年生の夏休みにアメリカ行ってきましたとも。

雨宮とは何故か仲良く(?)なって放課後一緒によく寄り道するようになった。菓子屋とかだけじゃなくレンタルビデオ屋とかちょっと遠くの図書館とかも行った。もともと私に懐いてたし、お互い軽口叩き合ったりずっと変わらなかったな。卒業してからもたまに会ったり手紙出したりしてた。私が働いてたスーパーにも遊びに来たわ、そういえば。それから自然消滅して何年も連絡してなかったんだけどmixiの学校のコミュで発見。会うことはなかったけどネット上で繋がってた。音楽教師の古田が退職したのは生徒に手を出したからじゃなく労働組合を作ろうとしたことがきっかけだと書き込んだのも雨宮だった。相変わらず情報屋なんだなと感心したわ。まぁ、あいつは古田のことが好きだったしね💦古田は2年くらい前、警察に迷惑電話を掛けまくって逮捕されてたのをつい最近知ったけど、雨宮は当然知ってるんだろうなと思って笑ってしまった。

キクちゃんは事件後も相変わらず大人しかったけど前よりずっと喋るようになったしよく笑うようになった。今思えばキクちゃんは場面緘黙症ってやつだったんだと思う。そしてやはりというべきか、キクちゃんも虐待をされていたのだ。親とお兄さんから。場面緘黙も家庭環境のせいなんだろうな。事件前は普通の話すらあまりしてこなかったのにそんなことを打ち明けてくれた。

あれは高校3年の冬だったか、突然キクちゃんの家にお邪魔した。学校が休みの日の昼間、親が怒鳴り合いの喧嘩をしてたから(いつものことだけど)うんざりして、小さいポーチに財布とメモ帳だけ入れてとりあえず家を出たんだ。あてなんかなくひたすら歩きまくった。気が付けば家から6駅くらい離れたとこまで来ちゃっててさ。3時間くらい歩いたんじゃないかな。こりゃ、どうするべ?って考えてたら「そうだ、キクちゃんの家この辺りじゃなかったか?」って。まぁ、「この辺り」といってもいた場所とキクちゃんの家、区が同じなだけなんだけど。とりあえず電話するべと電話したんだな。はっきり覚えてるけどシーサイドライン「海の公園柴口」駅のそばから。電話に出たのはおばさん。けど無事に代わってもらえてキクちゃんに「今から遊びに行ってもいい?」って言ったらいいよって。そしてシーサイドラインに乗って……キクちゃん家は見るからに高級そうな高層マンションだった。当然、オートロックなんだけどカードを挿さないとエレベーターも乗れないやつ。おばさんに挨拶してからキクちゃんの部屋(広くて綺麗)で喋ってたらおばさんが梅ゼリーとジュースを持って来てくれた。梅ゼリー、森〇のじゃなかったから小さい声で「これ、大丈夫なの?」って訊いたら笑ってたっけ。

学校卒業したばかりの春休みにもキクちゃん家に行った。その前に日の出町の小さい映画館で封切されたばかりの『レオン』を観た。2人とも学生証を忘れちゃってね、大人料金払った。平日の昼間だったからかキクちゃん家には親もお兄さんもいなくてリビングで私がアメリカ行った時のビデオ観ながらキクちゃんが作ってくれたパイを食べた。

それから私は色々波乱万丈すぎて、連絡を取らなくなってしまった。けど、ようやく念願だった一人暮らしを始めて生活が落ち着き、旅行にも行かれるようになった頃に手紙を出したらメールで返事が来た。短大を無事卒業したけど就職出来なくてバイトをしてる、けど何度もクビになって今は元町の靴屋でバイトしてる、けどまたクビになりそうだ、そして父親が紹介した、父親の部下の人と付き合ってるって。で、会ったんだわ。横浜で。私たち、25歳。写真を見せてというからブルガリア、ルーマニア旅行で撮った写真を持って行った。もう少しでロシア旅行なんだって言ったら「ロマノフ王朝しか分かんないや~。けど私も行きたいなぁ」って言ってたっけね。

それからメールで連絡を取り合った。高校時代よりずっといろんな話をしたよ。んで、彼氏と結婚することになったから是非披露宴に出席してほしい、友人代表でスピーチしてって頼まれたんだけど運悪くポルトガル旅行(代金支払い済み)と重なってしまってたからめちゃ悩んだけど断った。返事はなかった。そしてそれきり。もうあれから22年が経ってしまった。元気で、そして幸せでいてくれたらいい。

トンちゃんとは卒業後一度も会ってない。キクちゃんに手紙を出したときトンちゃんにも出したんだけどね、返事は来なかった。トンちゃんとはたった一度だけだったな、遊んだの。高3の頃、私がアメリカに行くちょっと前にキクちゃんと3人で横浜に行って(横浜、ってのは当時の横浜市民にとっては「横浜駅周辺」のこと。もっというと横浜西口のこと)、ダイエーとビブレで服を買った。買い物の後はダイエーの向かい辺りにあった「京らーめん 糸ぐるま」で一番安いラーメンのセットを食べたっけ。「てまりセット」って名前でたしか炊き込みご飯がおかわり自由だったような(懐かしすぎて、泣きそうになりながら書いてます💦)。糸ぐるまは学校を卒業してからもクラブ遊び仲間とよく行ったなぁ。金のないときはその近くのマック。

平井は当然、卒業後一度も会ってない。平井は私たちの卒業後に旦那と離婚して、すぐに学園の数学教師と再婚して退職した。何で知ってるかって?例の雨宮情報じゃないよ。私が一人暮らしする寸前に平井から手紙が届いたんだわ(クラス全員に)。封筒の裏に「工藤弘美(旧・平井)」って書いてあるから平井、離婚したんか、って思って封を開けたらさ……
「〇〇学園、D組の皆さんへ」から始まり、手紙を出したのはクラスメイトだったヤマが交通事故で亡くなったことを知らせたかったからだ、ヤマが所属してた水泳部(平井は顧問)の子たちと葬儀に参列した、ヤマはどんなに無念だったことか、みんなで冥福を祈ってくれ、とあった。ヤマ、近くの席でよく喋ったなぁ、ヤマは平井を慕ってたよなぁ、って思いながら続きを読んだら、離婚して工藤と再婚したって書いてあってびっくり。工藤なんてありふれた苗字だし、平井の旧姓(生まれたときのね)かなって思ってたらまさかよ。あ、手紙の他になにか入ってるっぽい?って確認したら披露宴の写真が。「Happy Wedding 工藤雄介 弘美(旧姓 八幡)」って書いてある。工藤と仲良さげに腕組んでウエディングドレスなんか着ちゃってよ。ああ、工藤は最後の授業の終わりに「みなさん、誰にでも愛される女性になって下さい」って言ってたわ。そんな工藤が伴侶に選んだのが平井ねぇ。

しかしなぁ。工藤と再婚したなんてことはどーでもいい。なんでヤマの訃報と同時に目出度いことを報せたかってのがさ……ヤマのことなんて半ばどーでもよくて、ついでじゃね、結婚しました!幸せです!って言いたかっただけじゃないか。訃報と慶事、同時の報せっておかしいよ。平井は本当に変だと改めて思った。

ああ、そうだった。平井と仲良かったタケ(「事件」の話には出て来ないけど、自伝本編では出て来る。卒業してから何回か会った)が、私が大学を辞めたって話を平井にしたら「つまんなくなって辞めちゃったのかしら」って言ってたって。タケはミーハーな子で、ハリウッドスターのイケメンが大好きだったけど「全然カッコよくないけど私に惚れてる人」と結婚した。旦那にも何度か会ったことがあるけど旦那、ヤバい奴だったなぁ(その話はいずれ書くかも?)。あと、平井から来た年賀状を見せてもらったら「生活はハードでもハートで乗り切ってね」て書いてあった💦よっぽど好きなんだな、ハートって言葉。

「事件」の話に出て来る人で一番最後に会ったのは渡部だ。学園にいた頃、ほとんど喋ったこともない先生だったんだけどね。私が27歳のとき、大学生やり直しをするにあたって最終学歴の調査票が必要だってことで学校に電話を掛けたら知らない先生(事務員かも)が出てね。「ええっと、もう10年くらい前ですね、当時の先生、今、いますかね?」と言われて名前を思いつくままどんどん挙げたら「いませんね」と言われてうーん、と思ったんだけど、渡部先生……と言ったら「いらっしゃいます」ってね。で、行ったんだ。郵送でも構わないって言われたんだけど久しぶりに行きたくなってね。卒業してから2度目だった。学校に行ったのは。大学生になったばかりの頃に雨宮と遊びに行って以来。懐かしの学園、周りの風景はさほど変わってなかったけどノザキは閉店していた。坂を上るとグラウンドには野球部らしき子たちが練習をしてる。ああ、2年前くらいに共学になったんだよなぁ、制服もダサいジャンパースカートじゃなくてお洒落になってるなぁ、もう、あの頃の学園じゃないんだなとしみじみしながら事務室に行くと「調査票は用意出来てますけど、渡部先生に会いますか?」と言われたのでお願いしますと言ったら内線で渡部を呼んだ。通されたのはこんな部屋、あったんだって感じの狭い応接室。

「南さん、久しぶり」
応接室に入って来た渡部、さらに肥えてた。
「お久しぶりです。先生はお元気にしてましたか?」
「うん、もう元気過ぎるくらい元気よ」
カンちゃんはついこの間結婚したってさぁ。ゆっぴーとはメル友だってさぁ。あまりに懐かしい名前を聞かされて泣きそうになる。
「修学旅行、覚えてるか?」
「もちろんです。楽しかったです。九州一周なんて高校生にしては贅沢な旅で。長崎の夜景が印象的で……」
印象的ってのはホテルの周りが歓楽街でいかがわしい店のネオンがギラギラしてたってことなんだけどね。
「俺の息子、長崎にいるとき生まれたんだよ」
「え、そうだったんですか!」
「うん、もう息子は小学生。生意気盛りでねぇ」

それからしばらく、学園にいた先生の話なんかをした。本当に懐かしくて泣きそうになる、っていうか泣いた。
「南さん、そういえばアメリカ行ったじゃない、あれから海外行った?」
ロサンゼルス、ロンドン、東欧、ウィーン、旧ソ連、ポルトガルにスイス、スペイン、パリ、台湾にインド……沢山旅行したなぁ。
「来週、ボストン行きます」
仕事じゃなくて遊びだけどね。
「すごいな。君は海外をまたにかける奴だって思ってたけど、すごいわ。新たなスタート、頑張ってね。俺、応援してるから」
いつかトンちゃんが渡部は事なかれ主義って言ってたな。けど今の私には分からない。
「ありがとうございます。頑張ります!」
「おう、頑張ってな!あ、合格してもしなくても連絡してな」
「はい!」
けど、これまた色々あり過ぎて連絡するのを忘れてしまった。

「大判コーン」、この間気になって調べてみたらもうずっと前から売ってないんだねぇ。「株式会社 全珍」は健在だけど。思い出補正ってやつもあることを加味してもすっごい美味しかったんだよ。パッケージの裏になんとか時代のなんとか小判とほぼ同じ大きさですって書いてあった。けど小判というか草鞋みたいだった。大きさも色も形も。今でも味と歯触りを覚えてる。検索しても残念ながら画像が出て来ない💦似たような駄菓子、ありそうでないんだよな、また食べたいんだけど。ジャイアントコーンってあるじゃん?ナッツとかにちょこっと入ってたりする。味だけならあれにちょっと似てる。もっと塩味が強いけどね。

色々思い出してたら懐かしくてたまらん。地元に帰りたくなった(住みたいってことね)けど今は無理だから、1日、2日くらい掛けてゆっくりじっくり散歩したいなぁ。私が住んでた辺りはかなり昔の面影があるというかそのまま当時の建物が残ってたり、当時あった個人商店もまだ営業してたり、してなくても建物どころか看板などもそのままだったりする。グーグルマップで今見て、やっぱり変わってないなと懐かしくて泣ける。私が住んでた辺りに最後に行ったのは5年前。けど用事を済ませたらさっさと帰ってたから散歩なんてロクにしてない。

もう10年以上前だけど、高3の頃キクちゃん家に突然行った時のことを思い出して住んでたボロアパートの最寄り駅からあの辺り(金沢区)まで歩いたことがある。地図なんて見ても分からんから(私は極度の方向音痴)、適当に道路標示だけを頼りにね。私は横浜を愛しているけど、特に好きなのは自分が住んでたいわゆる横浜旧市街と金沢区。金沢区ってのは八景島シーパラダイスがあるとこね。すぐ隣は横須賀市。あの辺り、散歩してるとめっちゃ気持ちいいんだよ。潮の匂いがたまらんし吹き抜ける風もいい。釣り用のボートを貸す店が何軒かあってボートが沢山、平潟湾に浮かんでてさ。

というわけで、長々と書いてしまったし、本当はもっと書きたい気もするけどここらで終わりにしましょうかね。ああ、ヘッダー画像の卒アルの寄せ書き…..「キ〇〇イには気をつけよう!!」はトンちゃんが書いたんだよ。でもね、キ〇〇イってのは気を付けようがないんだよな💦だってキ〇〇イだから。ベージュ色のサインペンで書いたのに退色してないね(薄いピンクとかは消えかかってて読めないのもある)。親と住んでたボロアパートにいた頃は同窓会の手紙が来たけど、一度も参加したことはない。引っ越し後、住所変更の報せも出さなかった。mixiの学校コミュで雨宮が「同窓会やろう」と呼びかけたけど誰も集まらなかったなぁ。(卒アル見て)全員に手紙出す?とも言ってたけど、何百人いるんだよ、莫大な切手代は誰が出すのかよって言ったら諦めてた💦

みんな、どーしてるのかなとたまに気になるけど、みんなそれぞれの人生を歩んでて、私も同じ。高校時代「勉強出来るけど面白キャラ」だった私はもういない。色々あり過ぎたし今も……。だから高校時代の子たちには会いたくないんだよね。けど、地元に帰りたい…

<終>
読んで下さった方々、ありがとうございました!気が向いたらまた高校時代の話を書きたいと思っています。けど今は中途半端なとこで終わってる自伝本編の続きを書きたくて仕方ないです💦