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雷雨の翌日にわたしは生まれた(仮)<196>
poet
チーズ、色鮮やかなサラダに続き、メインはカルネ・デ・ポルコ・ア・アレンテージャーナ。エヴォラでの昼食でも出てきた、豚肉とアサリの炒め物。名前の通りアレンテージョ地方の名物だけれどポルトガル全土で広く食されているのだろう。料理は得意じゃない私でもこれならチャレンジ出来そうかな。美味しく作れるか分からないけど、私一人だけが食べるのだから多少失敗しても問題はない。帰国したら書店でポルトガル語のテキストを買うついでにポルトガル料理の本も見てみようか。
ハンガリーではグヤーシュ(牛肉のパプリカ煮込み)、ブルガリアではヨーグルトの冷製スープ、ロシアではキエフ風カツレツ……に舌鼓を打った。十数か国を旅して美味しいものを沢山いただいたけれど、名物料理を自分でも作ってみようかなどと思ったのは初めてだ。私はずっとポルトガルと繋がっていたい。たとえどんな形であれ……。
まだ母と妹と暮らしていた19歳の頃、海外ペンパルの雑誌に掲載してもらったことがある。ほとんどがアメリカから。それに加えドイツ、オランダなどのヨーロッパのみならず、遠く南アフリカや南米からも手紙が来た。性別不問と募集したのに全員、男、男、男……。いきなり馬のぬいぐるみを送って/贈ってきた人もいれば、10ドル紙幣が同封されていたこともあった。ああ、囚人から便りが届いたときは少し驚いたっけーーしかも3人から。いずれもアメリカの刑務所に収容されている黒人。封筒の表には
'~PRISON'と赤いスタンプがいくつも押されていた。
「Hey,Miho!What's up?俺はラルフ、35歳で健康状態すこぶる良しな誇り高きアフリカン・アメリカンの男。常に身体を鍛えてるから細いけど筋肉質。娯楽室に置いてあった雑誌で君を見つけて手紙を書いてるんだ。今日は初めてだからどんなこと書いていいのか分からないけど、君のことをもっと教えてくれるかい?俺も君からの質問はどんなことだって答えるよ。だからなんでも訊いてほしい」
数か月にいっぺん写真を撮ってもらえるとのことで、ポラロイドが同封されていた。なるほど、上半身裸でハーフパンツ姿の彼は確かに筋肉隆々だ。彼にとっては引き締まって健康的な肉体を保っていなければ自分ではいられないのだろうと思った。というか、刑務所では身体を鍛えるか娯楽室でテレビや読書を楽しむしか娯楽がないのかも知れない。いや、日本とは違ってもっと自由なのかしら。そして文通は「外」の世界に住んでいる人たちと繋がることの出来る数少ない機会で、社会復帰にも役立つと刑務所側が推奨しているのかもと思った。それにしてもラルフの文章はしっかりとしている。犯罪者にも色々いるだろうが、まともな教育を受けられず文字がちゃんと書けない人も多いだろうにーーただの英語学習者の私がネイティヴの文章をあれこれ言うのもおかしな話だけれど。それにこれって、偏見ってやつかな。
「こんにちは、ラルフ。お手紙どうも有難う。私は広告に載せた通り19歳の日本人で、読書と文章を書くのが趣味。たまにクラブにも行くよ。『ポエティック・ジャスティス』って映画、知ってる?私、あの映画大好きなんだ。いつかジャスティスみたいに誰かの心を揺さぶる詩を書きたいの。だからもっと英語を勉強しなきゃ。私の英語、まだまだでゴメンね。もし間違いがあったら教えてくれると嬉しい。もっと書きたいこといっぱいあるけど、今日はここで終わりにするよ。私のこともなんでも訊いてね。日本のあなたの友人、ミホ。
PS. 私の写真も同封したよ。この間友達に撮ってもらったやつだよ」
手紙の中身はこちらからのもあちらからのも当然、検閲される。私が封筒に貼ったステッカーは剥がされていたそうで、もしステッカーやイラストを添えてくれるなら本文に、と言われたこともあった。封筒はダメだけれど中ならいいのはどうしてだろう。とにかく、異文化中の異文化に触れたような気がして彼らとの文通はとても面白かった。
私は彼らがなんの罪で収監されていたのか知らない。向こうも話してこなかったし私も訊こうとも思わなかった。ただ、ラルフは半年後に出所出来ると書いていたからおそらく殺人やそれに準ずるものではなかったのだと思う。
ラルフや他の2人、そして塀の中にはいない人たちともそれぞれ往復10通くらいやり取りをしたけれど、私が昼も夜も働くことになって忙しくなり、段々と手紙を出すペースが遅くなってやがて文は途絶えてしまった。
ああ……どうしてこの国では昔のことをやたら思い出してしまうんだろう。色んな国の人とやり取りをしたけれど、ポルトガルの人はいなかった。あの頃には既にネット通信ってやつはあったもののまだまだパソコンなどは一般家庭には普及していなかったっけ。帰って少し落ち着いたらちょいとポルトガルの人と繋がれるサイトがあるか調べてみよう。E-mailでも普通の手紙でもいい。
ツアーメンバーとお喋りしつつ食事をして、更にこんなことを考えて頭が忙しい。私が疲れやすいのは足りない頭を常にフルで動かしてるからかもと今更気づく。
デザートはケイジャーダが二つ。あ、これ、さっきのお店のだな。見た目も同じだし味も……。ケチを付けるようであれだけれど、あの店で食べたときの方が断然美味しかった。全く同じものなのに不思議。ああ、これは雰囲気ものってやつなのだろう。家で食べるおにぎりより行楽地で食べるおにぎりが断然美味しく感じるってやつ。お酒だってそうだ。ひとりで部屋で飲むよりバーで誰かと楽しくお喋りしながら飲む方が美味しいじゃないか……。
ケイジャーダをいただきながらコーヒーを飲んでいると土田さんが席を立った。
「お食事をお楽しみのところ、大変申し訳ございません。ガイドのカルラさんとはここでお別れです。これからリスボンに戻りますが、ユミコさんが案内して下さいます。カルラさん、ありがとうございました!オブリガーダ!」
え、本当になんだったの、あなたは。ガイドらしい仕事を全然してなかったじゃないの。カルラさんが水を右手に持ち、左手を軽く振って店を後にすると
「あの人って、本当にガイドさんなんですか」
誰かがそう土田さんに訊いた。ああ、私だけじゃなかったんだな。カルラさんを訝しげに思っていたのは。
「ポルトガルでは雇用確保のために、現地ガイドを付けなきゃいけないと法律で決まっていましてね……まぁ、そこは割と適当だったりしますけども」
そうなのか。けど、それにしたって、ねぇ。
あ……ジョゼさんはまた赤ワインを飲んでいる。ナプキンで口を拭う仕草がこれまたなんとも艶っぽい……。これからリスボンに戻るけれど、なんとなく怖いのはどうしてだろう……..?もしジョゼさんに話し掛けるチャンスがなかったら手紙でも書こうかーーでも、いつ渡す?
ああ、アバンチュールの相手に手紙を書くなんて格好悪すぎる。「またいつか会えたら嬉しいです」だの「あなたを一生忘れません」だのと認めるのは赤面するばかりじゃなく自分の美学に反する。第一そんな手紙を受け取ってもあのひとも困ってしまうだろう。これは私のわがままだけれど、あの夜の思い出を汚したくはない。だから成り行きに任せる。そうしよう。