サウダーデ
もう、3か月以上自伝『雷雨の翌日にわたしは生まれた』の続きを書いていないのだけど…。
昼間はスーパーで働き夜は夜のお店で働き、ようやく一人暮らしが叶い、奨学金を返すために頑張ってるけど虚しいってとこで中断してる。
その後、スーパーはとある事情で自主退社を迫られ(勿論その辺のことは本編で書きます)、夜のお店一本で収入を得ることになるのだが、もう真っ当な人生は歩めないだろう、定職にも就く気がない、そもそも就けないんじゃ?ってんで、海外放浪を始めたのが24歳の時。
その、海外放浪の時期の話は書いていて楽しいと思うので、スーパーをクビになったとかの辺りはさっさと進めて旅行時代の話に突入したいところなんだけどどうも筆が進まない。話の内容的に書く気が進まないのではなく、なんだろな、正直3か月も間が空いちゃったからってのはある。結構長い連載で、頻繁に掲載していたんだけど中断状態だから話がつぎはぎみたいになりそうで。まぁそんなことは気にしなくてもいいか……。
で、今は事情があって海外には行かれないんだけど(家を長時間空けるのが難しいって理由)、行かれなくなってからすぐの時は旅行の番組や記事を見るのが結構辛かったね、見たくなかった。だから出来る限り避けてきた。生きがいだった旅行に行かれないなんて、死んだも同然だったから。30代のほとんど~40代前半はごく身近な人(親しいってわけじゃない)や仕事でしか人と話してなかったし、友人もいなくなってね。そりゃそうだよね、家を空けるのが難しくなっちゃって、遊びに誘ってもらっても断るしかなくて。リア充の頃は頻繁にあちこち誰かと、そして一人で海外に行ったり国内でもどこか食事に行ったりしてたのに。のみならず、本当に不遇の時代だった。元交際相手と色々あったわ、母親が死んで母がこさえた私名義の借金が見つかるわ、ガンが発覚するわ、暴力被害に遭うわで。弁護士、役所、病院、患者会、警察etc何度相談に行ったことだろう。
今、その問題のすべてが解決したわけじゃないけど、楽しいこともいっぱいある。snsのお陰と言ってもいい。不遇の時代にはその手のものはやっていなく、以前からずっとやってたブログも全く更新してなかった。文章を書くのが大好きなのにできなかったんだ。
けど、3年前くらいに新しいことでも始めようかとツイッターを始めて、似た趣味の方と知り合えたりして本当に嬉しい。今、旅行には行かれないけど旅行関連のアカウントもフォローしてる。もう旅行の記事を見ても辛くなくなった。私は一応西洋の絵画が専門で、たった1枚の絵を観に行くために旅行をしたこともあるんだけど、絵画作品を見てもこれまた以前のように苦しくなることもない。
ふと、思い出すんだ、旅行先で出会った人のことをね。深く付き合った人もいれば、たまたまバーで居合わせて話しただけみたいな人もいるんだけど、私が特に思い出すのは後者なんだよね。ああ、サラエヴォで空港からホテルまで乗せてくれたタクシードライバーのおっさんと一緒に煙草を吸ったなぁ、フロントガラスには被弾した跡があってさ…どうしてるかな、名前も知らないあの親父。旅先で知り合った絵本作家のおばあちゃん。5駅くらいしか離れてないところに住んでたけれど、帰国後手紙のやり取りは何度かしたものの訪ねたことはない。ご存命ならもう100歳近いはずだ…手紙を出したらどうなるだろう?
そういった人たちのことを思い出すと、すごく切ないんだ。なんでだろね?特に会いたいってわけでもないし、どうしてるのか気になるってほどでもないのに。けど、私の中では忘れられない人たちなんだよね。その場の空気やその時の自分自身を含めて忘れられないし。そういった感情を表す言葉がある。サウダーデ。ポルトガル語。ポルトガル人にしか理解できないとされる心の動きで、郷愁、惜別、哀愁、失われた過去や人への想い…のどれもこれもが入り混じった感情。よく「翻訳できない世界の言葉」の一つとして紹介されていることがある。日本語の「わびさび」みたいなものなんだろう。
「今まで行った国で、一番好きなのはどこ?」と訊かれた時に迷わず「ポルトガル」と答える私に「サウダーデ」の何たるかを語る資格があるのだろうか。
今の季節のポルトガルは気持ちがいいだろうなぁ。6月にリスボンに長期滞在したことがあるから、あの心地よさははっきり覚えている。気が付けばもう20年も前のことだ。ああ、胸が締め付けられる。ファドの調べ、石畳、黄色い路面電車、茶色の屋根の家々と青空とテージョ河、苦くて甘い珈琲、潮風、リスボンに行く前にウィーンで出会った日本人のゆかりちゃん、ホテルのバーテンのマヌエル…まったくたまらない……。胸が締め付けられるーーこれをサウダーデと呼ぶ外、なにがあるだろう?