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自伝のこぼれ話 41
高校生の頃初めての海外旅行をした話をちょくちょく書いているけれど、今日はその話です。
あれは高2の2学期、冬休み直前だった。担任の平井(若い女性の体育教師。しょっちゅうヒステリックになるのでクラスの大半から嫌われてたし私も嫌いだった。ちなみにピンク色が好きらしく、ジャージもピンクで眼鏡もピンク、そしてピンクのマーチに乗ってた)から放課後呼び出されて何事かと思ったら
「ねぇ、これ、受ける気ない?」と「高校生国際交流プログラム」と書かれたパンフレットを見せてきた。初めて聞くプログラムだ。というか、全然その手のものに関心がなかった。ふむふむ。アメリカ東海岸で3週間、全国から集まった高校生と観光という名目の研修旅行、後半はプリンストン大学でアメリカ人の生徒と寝食を共にし勉強をすると表紙に書いてある。は!?プリンストン?全米どころか世界ランキングの常連じゃないか。
「どうしてまた、私なんですか」
「南くんなら受かると思うからよ~。なんていっても元木先生のお墨付きだしねぇ」
おいおい、簡単に言うなよ。パンフレットをめくりながらそう思った。だって、まず書類選考があり、そして一次試験、二次試験を突破した人が東京を除く各道府県の代表として参加出来ると書いてあるぞ。あのさ、うちの学校、偏差値40とかだよね?受かるわけねーじゃん。全国から優秀な生徒が沢山応募して来るんじゃん、きっとさ。
「無理ですよ」
「そんなこと言わないでよ~!先生の顔を立てると思って受けてみない?」
ああ、本音が出たか。こいつは体面が大事なんだよな。知ってる。自分の受け持ってる生徒が参加したら鼻が高いんだろうし、箔を付けたいんだろうな。しかし、落ちたらヒステリックになるに決まってる。第一私が受けたくないと言ってるのにそれは無視かい。それにうちの両親、特に親父はこういうのが大嫌いなのを知ってたので、親のせいにして断ろう。
「あ~、うちの親、こういうの参加させてくれないんですよ」
「じゃ、先生が説得するから!あとで電話掛けるわね」
おいおい、やめてくれよ。うちの親、頭がおかしいってことあんたは知らないだろう?普通の親じゃないんだぜ。
「先生が説得しても話を聞いてくれるかどうか……」
いや、本当は平井が説得、説明しても親は理解出来ないだろうというのが正しい。しかしそれを平井に説明するのも困難だ。
「だから!!先生が説得するから。任せなさいな」
任せられないわ。平井がキレてもいいから断ろう。
「受かる気が全くしないので、落ちたら先生に恥をかかせてしまうのは申し訳ないです。どうか参加したい人がいれば譲って下さい」
うん、これでいい。こいつは恥をかくのが何より嫌なのをよく知ってるし。
「南くんはいつも後ろ向きね!やってみないと分からないじゃない!いつも先生はみんなに言ってるでしょ?チャレンジ精神が大事なんだって。それにあなたは学園で一番優秀だから推薦してるのに!」
40の偏差値の高校でトップでも、ねぇ。勝ち抜けるわけないだろ。けどもう面倒くさい。受けるだけ受けるか。文句言うなよ?落ちても。しかし親になんて言おう。
「親御さんがダメって言ったら教頭先生から説得してもらうから」
え~、そこまで大ごとにしないでよ。
「分かりました。親に話します。けど、親がダメと言ったら……」
「だからぁ~!教頭先生から話してもらうって言ってるでしょ!それでもだめなら校長先生から親御さんに話してもらうようにお願いするわよ」
マジで面倒くさいなぁ。
「分かりました。それでいいです」
「良かったぁ~!じゃ、勉強頑張ってね。先生、受かるって信じてるから!」
もう知らん。けれどマジで受かっちゃったらこれからの私の人生で有利になるのは間違いなさそうでもある。海外旅行に行かれるだけでも嬉しいしね。
家に帰って、父の帰りを待ってパンフレットを見せながら
「これ、平井……平井先生に受けてみてと言われたから受けるだけ受けるね」と言った。案の定父は
「あ~!?アメリカ国際?お父さん、よく分かんねぇけどよ。そういうのはいいところのお嬢さんが行くやつじゃねぇの?お前なんかが受けても恥かくだけだろうよ。受かってもみんなのお荷物になるに決まってるだろ。まぁ、受けるだけ受けてみろや。落ちて恥をかくのはお前なんだからな。落ちても泣きごとを言うなよ?お前が受けたいって言うんだからよ」
とぶつくさ言った。
ああ、平井よりずっと面倒くさいし、落ちたら恥をかくのはお前じゃなくてお父さんだぞ、って圧がすごい。平井よりずっと体面を気にし、恥をかくのを恐れている父。ああ、もう本当に知らねぇ~!でも受けるからには絶対に受かりたい。平井のためでもなければ父のためでもない。私は受かりやしそうにないのにダメ元でやってみるなんてしない。万全を期して臨む。けれど、試験ってどんなんだろう?英語力を試されるのかな。
まず書類を書く。志望動機?担任の平井にごり押しされたって素直に書くわけにはいくまい。プログラムであなたがしてみたいこと?ニューヨークでライブが観たいって書いたら絶対に落ちるだろう。ああ、そんなことを書かずに真面目に書いても受かるわけないよなぁ。東京は別枠で、46道府県から1人か2人しか受からないんだから。プログラム主催者(米国資本の保険会社)は日本全国、全部の高校にパンフレットを送っているそう。書類選考が通るだけでも御の字じゃない?
その後のことは自伝本編で詳しく書いたからここでは改めて書かないけど、どういうわけか受かってしまった。驚いたよ。けどね、やっぱり参加してコンプレックスが、劣等感が爆発してしまったの。参加者は誰もが知っている超有名私立高校や県内の公立でトップの高校の子ばっかりだったから。ある意味ではあの子たちに肩を並べたともいえるんだけどね。
全額、主催者負担でアメリカに行けた。それのみならず渡航の準備金として1万円を支給され、アメリカでの自由行動には毎回10ドル支給された。枕銭も毎日1ドル支給された。
で、結局私はプログラムに参加したという「印籠」を無駄にしてしまった。こんな腐った家から出て行くためには外国で仕事をするしかないと勉強を頑張ったのに大学を中退する羽目になって、1年しか通ってないのに母が遣い込んだ奨学金を返すために夜の商売をせざるを得なかったから。
本当に皮肉だよなぁ。外国旅行は私の子供時代からの夢、悲願だった。夜の商売で稼いで、奨学金を返して家を出て、ようやく旅行出来るようになったんだよね。けど、どんな形であれ外国旅行をしたことは今でも財産なんだ。
あの時の義理(?)ってことで、海外旅行をするときには必ずあのプログラムの主催者だった保険会社の旅行保険に加入した。今度いつ、海外旅行が出来るか分からないけれどもまたそうすると思う。
あのプログラムはまだ続いている。ああ、あれから実に30年経ったんだなぁ。