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5年前 <13>

今日は日曜日だからか病棟が全体的に静かだけれど、2日前に私の隣のベッドにやって来た患者さんとその娘さん(チラッとお姿を見たけど20代かな?)らしき人のお喋りがちょっとうるさい。

その人は私と同じく形成外科の患者さんなんだけれど、どうやら手に皮膚を移植する手術をしたようだ。骨関連じゃないので担当は渡部先生じゃない。娘さんと一緒に今度行くらしいイタリア旅行の話をずっとしている。ああ、普通の家族ってこんな感じなんだなぁ、って改めて思って少し凹んでしまう。

向かいのストーマを付ける手術をした患者さんは弟さんとスポーツ新聞を読みながら、昨日の大坂なおみ選手の話をしている。
「向こうの人って、悔しい時には思いっきり感情表現するのよねぇ、こうして顔歪めて歯を食いしばって。日本の人はあまりしないわよね」
うんうん、そうなんだよね。いいか悪いか(?)はともかくね。

今の私は悔しくても歯を食いしばれないし思いっきり笑うことも出来ない。ああ~、早くこの上下の歯を縛ってるゴム取れてくれ~。ある意味では例のバンテージより拘束具だもん。

早く退院したいのはもちろんなんだけれど、病院ってのはある意味安心感がある。なんていうか、守られてる感?っていうのかな。高熱を出してもどこどこが痛いと訴えても怒ったり不機嫌になる人がいない。うん、医師や看護師さんはそれに対応するのが仕事だからね。けれどどうしても少しの不調なら遠慮してしまう自分がいる。ナースコールなんてしたことがないし、どこか調子が悪くても声を掛けるのを躊躇ってしまう。ああ、難儀な性格(?)だよなぁ。子供の頃、親に「お前は甘えてる」ってさんざん言われたけれど甘えてるのはあんたたちだったよ。ああ、よそう、よそう。入院中くらい娑婆のことは忘れて、ちょっとだけ高級なアイスクリームを流し込みながら本を読んでいたい。

いつもは貸し切り状態のラウンジに今日は家族連れが何組かいる。窓の外を眺めると昨日降った雪はかき分けられていて寒そうだけれど外出したい気分だ。

ナースステーションに行って、外出許可をもらう。病室に戻ってパジャマから普段着に着替え、コートを着込んでいざ娑婆に出発。

6日ぶりの病院以外の世界。寒い。時折吹く風は冷たくて芯まで冷えそうだ。少し歩いてから、もう戻ってベッドの上でぬくぬくしていたいと思ったけれど意地(?)がある。せめて商店街のドラッグストアに行って帰宅後に必要なものを買いたい。イソジンに液体歯磨きに洗口液。何も今買わなくてもいいんだけどね。

転ばないようにゆっくりゆっくり歩いて15分とちょっと。商店街に着いた。アーケードのあるこの商店街は故郷、私が生まれ育ってから22年住んだ町のそれにちょっとだけ似ている。活気がある、いろんな店がある、庶民の憩いの場所。昭和時代からあると思われるイカした洋品店や美味しそうなインド料理やラーメン屋を通り過ぎ、チェーンのドラッグストアに入る。必要なものは何も今日買わなくてもいい、だけど今はそんな心の余裕もないし、身体も当然のことながら本調子ではないから楽しそうなお店には行かれない。とにかく外に出れた、それだけでいいんだ。
身近な小さな幸せを感じられるような生き方をしなさい、ってのはよく言われてることではあるけれど、私はそんなものを感じたことがあっただろうか?手術後、思ったより苦痛はないこと、なんとか歩いてここまで来たこと、それらに感謝すべきなんだろうか。分からない。
「あんたは自分の不幸から一生逃れられないと思う。けど楽しく生きることは出来るべ?」って20歳くらいの時クラブ遊び仲間だった子に言われたっけ。彼女は私のことをよーく分かってた。一見ちゃらけてる子だったけれどね。楽しく生きる、か。楽しく生きるってなんだろう?いや、人生で楽しいって思ったことは幾度もある。だけど楽しく生きるってことがどういうことだか分からない。彼女は今、どこでどうしてるだろうか。もう20年近く会ってないし、連絡も取っていない。

そんなことを考えながらドラッグストアでイソジンだけ買って、病院に戻った。病室に入ると隣の患者さんはまた娘さんとお喋りをしている。しばらくすると夕食が運ばれてきた。いつもの味気ない食事を済ませてからシャワーを浴びる。ああ、温かい、気持ちがいい。これが小さな幸せってやつだろうか。分からない、分からない……