MHW:Iの楽しみ方 おまえはなぜ酒場で死んだのか?
まい日がたのしいおれからのメッセジ
おれはMHW:Iを楽しんでいる。100%とはいわない。面倒な仕様に苛立ったり、他人のプレイングにがっかりしたり、Twitterで腹立たしい言説を目にして、不ゆかいな気持ちになることだって、ある。その感情を制御することは簡単ではない。だが、概ねハッピーなモンハンライフを送っている。おまえにはそれができているだろうか?毎日怒りや悲しみにかられて、つらい気持ちでモンハンを遊んでいないだろうか?
おれはじつは、モンハンをおおむね楽しく遊ぶコツを知っている。これはモンハン以外にも応用がきいて、人生を豊かにするヒントにさえなりうるだろう。おまえさえ良ければ、ちょっと読んでいけ。手始めに、おまえには死んでもらう。
ここはメキシコの酒場
おまえの置かれた状況を説明する。想像しろ。マインドセットだ。
おまえのいる場所
おまえはメキシコのとある町の、古びたモルタル造りの酒場にいる。中はそれなりの広さがあり、カウンター席と、奥にはテーブル席もある。客入りはそれなりにある。おまえはカウンター席にすわり、料理を注文した。
おまえ
おまえは料理を食いにきた客だ。おまえは料理の味付けや食べ方ににうるさいが、食材の知識や調理方法についてはズブの素人で、同じ料理を作ることはできないし、料理人の思惑もなにひとつわからない。
店主
屈強なメキシコ人の大男で、無口だ。料理の腕前は確かだが、滅多に客と口をきかないから、なにを考えているかよくわからない。客のクレームもきいているのかいないのかよくわからないが、怒って客をつまみ出すようなことはしない。
ほかの客
店の中にはいろんな客がいる。呑んだくれや、剣呑な目つきをした男や、帽子を目深にかぶった老婆や、ホットな美女もいる。騒いでる奴も静かな奴もいる。MacBookを開いたメガネのサラリーマンは明らかに場違いで、異様な雰囲気だ。どいつもこいつも正体がわからないが、重要な共通点として全員おまえと同じ料理を頼んで、食べている。また、食材の知識や調理方法についてはズブの素人で、同じ料理を作ることはできないし、料理人の思惑もなにひとつわからない。
料理
店主が丹精込めて作った料理だ。
おまえの死因①
料理に手をつけたおまえは、一口食べるや否やこう呟いた。「なんだこのクソ料理は。店主は料理のことをなにひとつわかっていない」隣の客も同意した。「そうだ、そうだよな!」
だが、反対側の客はおまえにこう言い返した。「それはおまえの口に合わないだけだろう」
おまえはこう返す。「なんだと?クソをクソと言って何が悪い!」「「「「ア?なんだって?」」」」それをきいておまえを取り囲んだのは、テーブルで賭け事をしていた店の常連4人組だ。4人組は料理をうまいと感じていたので、自分達の価値観が否定されたと思い込んで激昂したのだ。おまえに同意したやつはもういない。逃げたのだろう。おまえは袋叩きにあって死んでしまった。だが、ここはメキシコなので、おまえの死体は麻袋に詰められてゴミ捨て場に放り出され、店はモップがけをして営業を再開し、おまえの死は誰にも顧みられることはない。
どうしてこうなってしまったのか?
おまえが料理をまずいと感じた時、なぜ人に聞こえるように呟いたのか?おまえは誰かの同意を得てそのちっぽけな自尊心を補強したかったのだ。あるいは、食ってかかってきたやつを返り討ちにして憂さ晴らしがしたかったか?だが、結果はこのザマだ。ここはメキシコなので、おまえの死体は麻袋に詰められてゴミ捨て場に放り出され、店はモップがけをして営業を再開し、おまえの死は誰にも顧みられることはない。よしんば4人組におまえが打ち勝ったとして、おまえは「こんなクソをうまいと思う奴がいるなんて」という苛つきから解放されることはなく、毎日店で料理の悪口を言い、毎日誰かと殴り合う、救いようのないクズの日常を送ることになる。おまえは幸せとは程遠い惨めな生活を続け、やがて路地裏でひっそりと死ぬ。ここはメキシコなので、おまえの死は誰にも顧みられることはない。全てはおまえが腰抜けだったからだ。おまえの取るべきだった行動は、脊髄反射の情けない怒りをぶちまけることではなく、黙ってしわくちゃの紙幣を置いて店を去ることだった。おまえはシアターにでも行くか、別の店に入り直すなどした方がよっぽど幸せになれたのだ。
おれもおまえもメキシコにいる
おまえはかしこいので、今のたとえ話が何の話かわかっただろう。
店はおまえを取り巻くツイッターとかの環境で、客はおまえ以外のプレイヤー、そして料理はモンハンを指す。店主は開発だがこのエピソードでは登場しなかった。4人組はおまえの発言の揚げ足をとって死ぬまで袋叩きにしてくるサイコパス軍団だったが、Twitterとはそうしたメキシコ環境なので、自衛できなかったおまえがマヌケということになるわけだ。おまえの“個人的な感想”を、虚空に向けたものだと思って油断しないことだ。4人組はどこにでもいる。また、おまえの隣にいておまえに同意した奴もべつだんおまえの味方ではあり得なかった。おまえが何を感じるかはおまえの勝手だが、まずはちょっとだけ、じっと黙ってみろ。“君主危うきに近寄らず“とはメキシコから伝来したことわざだ。結局のところ、おまえがおまえの怒りを制御し、おまえ自身の忍耐力を美しく鍛え上げるのがおまえが最も幸せになれる方法なのだ。練習だ。まずは口を噤め。そこがおまえのスタートであり、究極的にはゴールでもある。酒場で料理にケチをつけるおまえの姿がいかに惨めか、よく想像力を働かせることだ。おまえはそんな腰抜けではないはずだ。
ここまで読んでくれたのか?ならばせっかくなので、おまえさえ良ければもう少し死んでくれ。
おまえの死因②
おまえは料理の味を静かに堪能している。だが、隣の客はそうではない。グッチャグッチャと音をたてて料理を豪快に頬張っている。おまえは不愉快な気持ちになり、こう言った「音を立てて食べるのはマナー違反だ。静かに食べたほうがいいよ。善意で言ってるんだ」「「そうだそうだ!!」」外野が騒ぎ立てる。隣の客は言い返した「おれの故郷ではみんなこうやってたべるものだ。余計なお世話だ」「「そうだそうだ!!」」同郷と思しき外野が騒ぎ立てる。「これだからおまえ達のような無教養な田舎者は」「おまえ達こそマナーだ躾だと勝手なルールを振り回して威張り散らすクソ野郎だ」この乱痴気騒ぎに顔をしかめた一部の客は清算して店を出て行ってしまった。騒ぎはデッドヒートし、やがて響き渡る銃声。悲鳴。怒号。
…何人もの死人が出た。そのなかにおまえの姿があったが、ここはメキシコなので、おまえの死体は麻袋に詰められてゴミ捨て場に放り出され、店はモップがけをして営業を再開し、おまえの死は誰にも顧みられることはない。
どうしてこうなってしまったのか?
おまえはおまえのルールを振りかざした結果、乱闘に巻き込まれ、死んでしまった。なぜか?それはおまえが、自分のルールこそ絶対だと信じて疑わないウブさを持っていたからだ。外野の声援を受けて自分の正しさをますます確信したおまえは意気揚々と啖呵を切り、そしてこのザマだ。仮におまえたちが生き残り、田舎者を残らず撲殺し店から放り出したとしても、おまえは時々やってくる新顔の田舎者を血眼で追い払い、あるいは正しいテーブルマナーの立て札を立てビラを巻くのに躍起で、料理を楽しむことをすっかり忘れ、やがて老いて死ぬ。おまえの死は新聞にちょっと載るとかで、誰にも顧みられることはない。おまえが取るべき行動は、隣の客から距離を置いてテーブル席に移ったり、テイクアウトをして家で食べることだった。つまり、遊び方や考え方を他人に強要するのは全く不毛なことで、おまえにできるのは、おまえと考え方の合わないものたちと関わらないようにする知恵を身につけることだけ、ということだ。注意するべきは“こうなればよくなる”という善意と確信に基づいた他人へのアドバイスだ。そもそも「よい」とは何かすら認識を共有することは難しい。モンハンでは効率よく安定してクエストクリアを目指せることが「よいこと」であり、それを阻害する要素は「よくないこと」であるという前提条件でさまざまな議論が進行しがちだが、我々人類がゲームに求めている共通の目的といえばせいぜい「快」「不快」のうち「快」の感情を得るための道具であることくらいであり、あらゆるプレイングはそのための手段に過ぎない。事実、クエストの成否や、進行時間を気にしないプレイヤーは一定数存在する。おまえはそういったおまえと考え方の異なる人間の存在を認めなければならない。わかりあえる、わかりあえないではなく、そこに居るんだからしょうがない。そんなしょうがないものの存在をいちいち気にかけてはおまえの幸せは一向に訪れない。繰り返すが、しょうがないものは放っておけ。おまえはおまえのルール外で蠢く者たちを救おうとするな。そいつらはそもそも、救いなどを求めていない。
生きろ
ここまでにおまえは2回死んだ。あと1回のこっている、もう死ぬな。この先の人生を、輝かしい未来を楽しく生きろ。銃を捨てて花束を握りしめろ。メキシコ酒場メソッドであらゆる死因をシミュレートし、腰抜けの自分を客観視することで真の男の取るべき行動を考えろ。わすれるな、おまえが悲しいとき、おまえが怒りにかられた時、それを制御できるのはおまえだけだ。他人をやりこめ、悔い改めさせ、わからせようとするなどあほの極みだ。おまえを怒らせる誰かがいるわけではない、怒るおまえがいるだけだ。中指はいっぱい突き立てていい、あいつもこいつも全員ファック野郎だ。それでいい。だが、誰にもみられるな。口に出すな。おまえはやがて怒りをコントロールできるようになり、澄み渡ったメキシコの青空のような平穏が訪れるだろう。練習だ。
ここまでよんでくれてありがとう。この記事は全てが狂言であり、コラムニスト:逆噴射聡一郎先生のメキシコ観に着想を得た、悪らつな模造品です。
ヘビィ・ニンジャ