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ボイスパーカッション演奏者(プレイヤー)
重みのあるサウンド。重厚な音圧。
ある意味でリードボーカルを食ってしまうような音。
本当の楽器のような音色。
自分でこういうのを書くのは恥ずかしいのですが、私が作り出す音を聞いて周りが言う感想です。
音楽は好きで小学校の時に吹奏楽でトランペットを担当(始めたきっかけは当時好きだった女の子が吹奏楽をやっていたという単純かつ不純な理由であった)中学に進学後、一度ドラムもやったが長続きしないで歌う方が好きで市民音楽祭などにも参加していた。
ボイスパーカッションと出会ったのは中学の時である。テレビ番組で放送されていた「ハモネプ」。
アカペラという声だけで音楽を作り上げるサウンドは田舎の中学生に衝撃を与えた。さらに口でドラム、パーカッションを表現する「ボイスパーカッション(以降略:ボイパ)」は最も衝撃的であった。
皆。真似をしては「あの音ができない!あんなの難しい」と口にしていた。
私もその1人であった。(周りの目を気にして密かにやっていたのだけれど)
友人の誘いから地元山形のテレビ番組が企画するアカペラコンテストに出場するととなった。当時はコーラスでボイパではなかった。コンテストの結果は最終予選で敗退。決勝戦には行けなかった。
その後高校へ進学。高校には音楽の授業がなかったので専ら友人達とカラオケで歌う日々。ボイパはほんとに1人で楽しんで自己満足する程度でしかなかった。
社会人となって社会人アカペラサークルに所属。当時サークル新人でのバンドを結成した時に必然的に私がボイパを担当。
ここからが私のボイスパーカッション演奏者としての活動がスタートする。それからそのサークル内で活動していき、別のサークルへ移動。
別のサークルでもボイパを担当。サークルライブでは一度最優秀ボイスパーカッション賞を受賞した。その時は自分の中で相当苦戦した時であり、受賞後に号泣。
人前であんなに泣いたのは多分社会人になって初である。
そしてアカペラだけに留まらず、楽器とコラボしてパーカッションの代わりに自分がボイパとして演奏、披露していった。
ある意味で斬新である意味で他にやったことにないスタイル。
自分自身のボイパの音色から”楽器とやっても生きるだろう”と思ったからできた技だと思った。
そして青春時代に夢に見ていたあの舞台へ
そう。ハモネプに出演。もちろんボイパとしての参加。
実はこの時の出演は正規メンバーとしてではなく”助っ人”というカタチでの出演。(なので予選会には私は参加しないで本戦に登場したある意味で隠し兵器のような存在でした)当時の紹介のされ方はかなり自分にフォーカスされたカタチで放送直後に友人、知人、今まで連絡を来なかった昔の友人から連絡が殺到した。結果はそのブロックで終わり。私の遅すぎるくらいの青春の夢は儚くもあっさり終わった。
その後もハモネプ効果があったのかどうかは定かではないがアカペラ、楽器とのアコースティック編成でボイパを演奏することは続いていく。
ある時のライブ。アコースティック編成で出演する際、会場でリハを終えた後、主催者から「ボイパすごい!私のステージの時に1曲だけ参加して!!」とその時に言われ、その場のそん時のアレンジで合わせるいわば”即興”演奏もすることも
それ以来、その方のライブにアコースティック編成で出演する際は必ずといっていいほど引っこ抜かれることになった。
演奏者として約11年。
1人で遊び半分でやっていた期間を含めると約17年。
ある意味で人生の半分以上をこのボイパと連んでいるというかもはや自分の武器として昇華している。
これがボイスパーカッション演奏者さてぃ
としての私である。
そのボイパを現在は店のインスタなどでチョロっと披露しながらお酒の紹介もして使っている。
そんな今。ものすごく音楽熱が日に日に高まってきている。
”宝の持ち腐れ”、”名刀を錆にしたくない”という想いが強まっている。