人間万事塞翁が馬

「人間万事塞翁が馬」という諺をご存じだと思います。
諺辞典によれば

[意味]
一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。
[由来]
「淮南子―人じん間かん訓」に載っている話から。中国の北端、国境の「塞(とりで)」の近くに、占いが得意な「翁(老人)」が住んでいました。あるとき、彼の飼っていた馬が逃げてしまったので、みんなが同情しましたが、彼は「これは幸運が訪れる印だよ」と言います。そして、そのとおり、逃げた馬は立派な馬を連れて帰ってきました。そこでみんなが祝福すると、今度は「これは不運の兆しだ」と言います。実際、しばらくすると彼の息子がその馬から落ち、足の骨を折ってしまったのです。またみんなが同情すると、彼の答えは、「これは幸運の前触れだ」。息子はその怪我のおかげで、戦争に行かずにすんだのでした。

とあります。
解釈はいろいろありますが,今起こっていること,過去に起こったことが,その事象だけを見て良いことなのか悪いことなのかは判断できないということであり,その事象の結果,将来何が起きるかにより,その事象の意味は大きく変わります。
そして,それは,ある人にとっては最良の結果であっても,別の人にとっては最悪の結果になり得るということです。

既に起こった事実が変えられない以上,その出来事を嘆いても批判しても何も変わりません。それどころか,ネガティブに捉えれば捉えるほど,汚点として記憶に深く刻まれ,忌諱する対象やトラウマになる可能性もあります。

であるならば,どんな悲惨な出来事であっても,それを如何に良い未来に未来につなげていくかを考えなければなりません。
更には,過去の出来事のおかげで今があると考えると,過去の事実は変わらなくとも,その印象は随分と変わるものです。
言い換えれば,過去を変えるということです。

同じ出来事を経験しても,ただ悲観して恨んで生きていく人と,ただの悲惨な歴史として終わらせるのではなく,それを教訓やバネにして明るい未来につなげていこうと生きていく人では,未来は大きく変わりますし,過去の出来事の捉え方も全く違うものになり得ます。


明治維新も大東亜戦争も,その時の価値観だけで良かったとか悪かったとか判断してはいけない。ましてや価値観は個人によって変わるものですから,個人の価値観を他人に押し付けるものではありません。
だから,それぞれが自分の頭で考え,自分の価値観で歴史をとらえる必要があります。
ただし,正しい情報が必須です。現在のメディアが垂れ流す虚偽に塗れた情報では誤った考え方に陥ってしまいます。
だから,多方面の情報をインプットするとともに,正しい歴史認識が必要なのです。


コロナ茶番は,世界を大混乱に陥れ経済にも大打撃を与えましたが,それまで秘密裏に進められてきWorld Domination を一般大衆が知ることにもなりました。
世界中の政府・メディアは市民に毒物を接種させ,多くの人の命を奪いました。家族や親しい人々を亡くした方々や重い後遺症を負った方々にとって,身が引き裂かれるほど辛い出来事だったかもしれません。
しかし,その国の政府もメディアも医療機関も信用ならないことを白日の下にさらしました。
このまま政治に無関心でいるわけにはいかないと多くの人が気付きました。

悪行を実行した連中は,糾弾され正しく裁かれなければなりませんが,悪意を持って実行されたことも,それを単なる悪行ととらえるのではなく,それを糧に悪行を2度と起こさせない新たな未来を築くことで意味あることにしていけるのではないでしょうか。
それが過去を変えるということになります。

バイデン政権も露とウの紛争も日本の傀儡政権も,世界中の市民が招いた結果であり,ただそれを非難するだけでは何も変わりません。
間違いを正し,それをより良い未来につなげるために,過去を変えていきましょう。
俯いて嘆くばかりではなく,しっかり前を向いて歩を進めていきましょう。
それが,子供たちの未来を担う我々の責任であり覚悟です。

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