20221107_またもや久しぶり日記
なぜ私はこうも日記が続かないのだろうか?! 何日ぶりかは数えないことにする。
書いていない間、色々イベントごとがありました。主に趣味関係。名古屋美術館で本作長義をみたこと、オンラインでカリスマというコンテンツのイベントを観覧したこと、東京国立博物館で国宝展を見に行ったこと、虚構の劇団の舞台を見に行ったこと。
まず10月中旬の某日。名古屋市の徳川美術館の名物展に行ってまいりました。お目当ては「本作長義」。言わずもがな、ゲーム「刀剣乱舞オンライン」での私の大好きなキャラクター「山姥切長義」のモチーフとなった刀。
私は面倒くさいオタクで、モチーフの刀の前であまり刀剣乱舞について話したりしたくないし、そもそも架空のキャラクターと実在する刀を混同するような言動が嫌だと思うタイプだ(例えば、「山姥切長義に会いにいく」みたいな表現はぜっっっったいに使いたくない。仮に同じ名前で実装されていても、だ)。自意識過剰なので、「どうせゲームのキャラクターが好きだから見に来たんだろう」というような短絡的な理解をされるのが嫌だ。たしかに入口としてはゲームだが、私個人としては技術的な観点をベースに刀そのものを見るという行為が面白く感じるようになって、機会があればさまざまな刀剣の展示を見に行くようになったという経緯があるからだ。そんな私の心中など関係なく、外から見ればただのオタクであることはわかっている。
いずれにしても本作長義の刃文は見ていて全く飽きることはなく、しばらく少し離れたところから単眼鏡で観察するという幸せな時間を過ごした。
また、見て初めて分かるという意味では、徳川美術館の所蔵物のランク「仁」や「礼」の違いを実感できた部分が大きい。
本作長義という刀は明治に入るまでは「礼」という少し低めのランクであったが、のちに最高ランクの「仁」に格上げされたという。いっぽうで同じく刀剣乱舞のキャラクターのモチーフとなっている「南泉一文字」という刀はもとより「仁」であったそうだ。南泉一文字はキャプションによれば代々の尾張徳川家の後嗣が持つ刀だったようで、鞘から刀用の袋から何もかもが豪奢なのだ。本作長義はと言えば刀を帯刀するために必要な拵がなく、尾張徳川家に伝来してのち一度も帯刀されたことがないと考えられているらしい。ただの情報としては知らなかったわけではないが、改めて南泉一文字の豪華な刀装具の数々を目の当たりにすると、言葉は悪いが格差のようなものを感じた。やはり、現地に見に行くのは貴重な体験であることは間違いない。
つぎにカリスマイベント。
カリスマはオモコロの記事で初めて知って以来、少しずつ履修していたのだが、推しができて爆速で沼にハマった。推しは「理解お兄さん」です。自称常識人。
おそ松さんの脚本?演出?をされていた松原さんという方が脚本を書かれているそうで、私はここでハマった節がある。もともとおそ松さんが大好きでドッッップリと沼に使っていた過去があって、カリスマはおそ松さんと少し似た感じのギャグのテイストや会話のテンポが見受けられるので、ハマったのは必然と言える。
今日時点で理解お兄さんの好きなセリフ、パッと思いつくものではカリスマ忘年会という曲の合間の「もー! 忘年会がめちゃくちゃじゃないかぁ! ふみやさんも何か言ってください!」というところ。「言ってください!」の「さい!」が堪らないです。しっかりしている風を装っているのに困っちゃった感を出しているこの部分、声優さんのお芝居の絶妙さも相まって本当に本当に大好きです。
いやいや、理解お兄さんの好きな部分を書くのではなく、カリスマイベントの話でした。
なんでしょう、本当に声優さんたち実在したんだ(これ本当に演じている人がいるんだ……)みたいな、ほかのアニメのイベントなんかで感じるのとはまた別の感動を覚えました。
とりあえずこれからもコンテンツをたくさん出し続けてほしいです。お財布はしっかり準備してあります。ありがとうカリスマ。
お次はトーハク。
これに関しても刀剣乱舞オタクが原動力なので、美術品を見てもなんのこっちゃという人間が行っていいのか……とは思っていた。というか今でも思っている。
ただ、これは美術品の鑑賞に限った話ではなく、べつに難しいことが分からなくても、本物を見に行くことで「なんかこれいいな」「なんかこれ嫌だな」とその時感じるものを発見したくて色々と足を運ぶように私はしている。
それは良い感情だけではなくて、普段なら目をそらすような感情ももちろんある。別の日ならなんとも感じないであろう対象もある。ある意味で、外の何かを通して今の自分を知る、みたいなことのために本物を見に行く。外部刺激を与えて反応を見る実験みたいなものだ。それを自分の内面に対してやっている。ただ、全く興味をそそらないものを見に行くほど活発ではないので、どうしても起点が自分の趣味になりがちというだけの話である。
それはそうと、トーハクはすごかった。あまりに陳腐な感想だが、「千年も前の紙やら食器やら布やらが残っているの、やばい」である。価値があると思ったから代々受け継がれてきたのだろう。紙なんて、なんで文字まで残っているんだ。すごすぎる。そしてそれを集めて管理しているトーハク、すごすぎる。
ともすれば「役に立たない」物を莫大なお金をかけて受け継ぐという仕事、どうやって予算を取り続けるのだろう。私は天文学をやっていたのでその辺にも関心がある。
お次は「虚構の劇団」の解散公演、「日本人のへそ」の観劇。これも私の、本物を見ることで自分に刺激を与えて反応を調べる実験の一環だ。今回の起点は梅津瑞樹さん。性懲りも無く、やはり刀剣乱舞関係だ。舞台「刀剣乱舞」で山姥切長義役をされている俳優さん。
梅津さんのお芝居を初めて生で見たのは本当に最近で、今年の6月の「ひりひりとひとり」という作品だった。当時私はまだ梅津さんの「ファン」なのかどうか分からず、それならとりあえず本物を拝見して考えようと思って劇場に足を運んだのだった。結果は「ファンかどうかは分からないが、もう一度見たい」だった。というわけでその足で千秋楽の当日券を予約し、千秋楽は前から4列目というあまりにも恵まれた席で梅津さんのお芝居を目の当たりにし、文字通り一挙手一投足、さらには視線の動きまでじっくりと観察した結果、ファンになったと思う。おそらく。
というわけでやはり梅津さんの舞台を生で拝見できる機会は逃すわけにはいかないと、意気込んで高円寺に向かった。前から3列目。前回よりも近くなっていた。
内容は言ってみれば前時代的というか、今テレビで放映したら間違いなくNGだろうというシーンだらけ。それどころかYouTubeなんかでもうっかり炎上なんてこともあるのでは……という内容が多い。だがそういうストーリーを無神経に笑ったりできる場所というのが、もしかしたら演劇の醍醐味とも言えるのかもしれない。いや、私は観劇ど素人なのでこれは戯言です。
なお今回私のアンテナにひっかかったのは「恋」の描写だ。全然本筋ではないと思うが、主演の女優さんの「人を好きになった瞬間」の表現がとても心に響いたというか「いいな〜〜〜〜恋っていいよな〜〜〜」という気持ちを運んできてくれた。
愛媛の公演も見に行く予定なので、楽しみである。
え、ここまでが10月の話なのか…….。
最近脳内を占めているのは「電子機器の買い替え」。と言いつつiPhoneは14を注文してしまった。買うなら14Proだとか、13Proがいいだとか色々な評判を見かけたが、考えすぎて面倒くさくなったので14にした。今のSE第二世代よりバッテリーの持ちがよければそれでいい。
つぎにmacbook air。MacBook Air (13インチ, Early 2015)を使っている。スペックは悪くないがそろそろ電池の持ちがひどいし、動作も遅い。なんならnoteを書くのもカクついている。なぜ? noteのせいなのかPCのせいなのか……。
しかしこれもまた悩みどころで、M2はスペックあげないとダメだとか、それならM1のほうがコスパが良いとか、また色々見かける。まあでもアホみたいに高いiPhoneを買ったばかりなので、macbook airはまだお預けで良いと思っている。まだ動くし……一応。。
普段使いとたまにPodcastを編集したりPythonで遊んだりする程度なので、たぶんM1で十分なのだと思う。それにしてもカクつきますね……テキスト入力しているだけなのに遅延がすごい。
そして意味わからないのが、Xperia ACE IIIを中古で買いました。なぜ? 刀剣乱舞ポケットというアプリ版がiOSだと熱暴走によるデータ永久消滅の危険があるからです!!! これは完全にお金の無駄遣い。とはいえちまちまと課金してきたゲームのデータが消えるのは怖い。出費としては仕方ないと思っておく。戒めのために書きました。
obsidianをちょこちょこ使うようになってきた。テンプレートきちんと整備するといい具合に使えそう。
boostnoteというのも気になっている。クライアント先のPCだと好きなアプリを入れられないのだが、マークダウンエディタとして入れていいアプリリストに入っていた。obsidianはダメだった。