屋島の誉 那須与一
筆無精しているうちに年を越してしまいました。
昨年の演奏会の演目について書きます。
昨年、2023年11月5日。新潟市芸能まつりの一環として開催された「琵琶楽演奏会」にて、「屋島の誉」を演奏しました。
屋島の誉は、平家物語の中のお話です。
屋島は、現在も香川県高松市の北東の海辺にある、平たい頂を持った特徴的な地形の島です。島といっても、今は周辺の埋め立てが進んで陸続きになっているので、海に張り出した岬状の小高い山といった感じに見えます。
源平合戦の頃も、干潮になれば馬で渡れるような浅瀬で、かろうじて陸と隔てられている、という状態の島だったということです。
私は実際に屋島に行ったことがありますが、海辺の小島を想像していたので、「これが島?」と思うような形と大きさに驚きました。
その屋島の周辺で、1185年の2月に源平合戦の屋島合戦が行われました。
戦の最中の2月18日(これは旧暦なので現在の太陽暦では3月21日)の日没間近に、
「那須与一、屋島の誉」の出来事が起きたとされています。
教科書にも載ったりして、平家物語の中でも特に有名なお話なので、詳しい説明は省きますが、簡単にご説明すれば、
日暮れ間近、その日の戦が終わる頃合いになって、海上の平家船団、陸の源氏とも退きはじめたときに、平家の船団から一艘の小舟が扇を的にして掲げて現れて、陸の源氏に弓で射てみよと挑発。有名武将が辞退する中、地方出身の若武者那須与一が抜擢され、見事に的を射落とした、というお話です。
この曲は、私の習った流派の教科書のような曲集にもバッチリ載っている有名曲です。
しかし、私は、先生からは何パターンかの違ったバージョンも習い、
何より、一曲仕上がった後には、このままやったのではダメだ自分で作らないと、と、常に言われていた記憶があって、
この度も、この「屋島の誉」を、もう一度見直してみることにしました。
それにあたって、先ずは図書館にある那須与一関係の本をあるだけ調べてみたのですが、どうも今ひとつ心に残るものがなく、
那須与一の姿はフワフワとして定まらず、といった時間が過ぎました。
そして、
新しい手がかりを探すうちに、この本と出会いました。
「本書は、内容的には学術書です」と書いてあるこの本。
それを一般にも読みやすいように、写真、イラスト、地図などの図版を加えてあるというもので、探していたものは正にこれ!と思いました。出会えてラッキーでした。
この本の研究の内容に照らしてみると、琵琶の曲の言葉の中に、平家物語の原本と違っている部分や、明らかな後世の誤認、がいくつかある事がわかり、まず曲中のその部分を直しました。
また、この本によれば、屋島の誉の出来事はもとより、那須与一という人物すら本当に居たのかどうか怪しいと。
まあそれは、物語なのでそういうこともあるかなと思いますし、そういう話があるのは薄々知っていたのですけれど。
結局はそのことが、私がこの曲をやる時に那須与一の姿がいまひとつぼんやりしているように感じていた元だなということにも、はっきり気付きました。
では、何でこの物語がわざわざいかにも本物らしく作られて、有名になっているかというそこまで、この本の考察は及んでいます。
那須与一とは何者なのか?
正に、那須与一の謎を解く、です。
本を読んで感じることは人それぞれと思いますが、私なりに、
那須与一の物語の主題を見定めて、
あまり多くの言葉数を語れるわけでも無い琵琶の曲の中での、ポイントになる部分を調整する試みができました。
その結果がうまく行ったのかどうか、
そもそも変えたことを気付いた人がいるかどうかもよくわかりませんが、
自分なりにある程度納得のいく形の、那須与一像ができたのでは無いかと思います。
好きな曲なので、今後も手を入れながら、
より良く演奏できるように精進したいと思っています。
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