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板額御前のこと

2024年新作琵琶曲「板額御前」についてお話しします。

板額御前(はんがくごぜん)は、鎌倉時代の越後国(現在の新潟県胎内市)に実在した女性武将です。

私が板額御前という名前を知ったのは、もう30年以上も前のことです。
琵琶の師匠、故五十嵐雅水先生と、板額御前の曲を作りたいという話をしました。
その頃,新しい琵琶の曲をどんどん作ってみなさい、と、師匠から言われていた私は、主に郷土の伝説や、歴史上の人物の故事などを調べては、お稽古の時に
ご相談していました。

板額御前という不思議な名前のこと、弓の名手でとても強かったということ、
伝説ではなく実在の人らしいということ、
それなのに、新潟でもあまり知られていないのはなぜだろう?
など、話は尽きず、楽しく盛り上がった良い思い出があります。

しかし、結局、その当時は調べてもそれ以上の情報が得られず、
曲を作りあげることができませんでした。

三大御前のひとり

「板額御前」は、静御前、巴御前とともに、日本三大御前と呼ばれる女性です。
一般的には静御前、巴御前の方が有名で、大河ドラマにもこの二人は度々登場していますが、実は、この三人の中で実在したことがはっきりしているのは
板額御前だけだそうです。
板額御前だけが、鎌倉幕府の公式歴史書「吾妻鏡」に登場するのです。

そこには、鎌倉幕府の軍勢の敵(板額の一族である城(じょう)氏は平家方)として、得意の弓を使い戦場で一族の男性に勝るとも劣らない奮戦をする板額御前の勇姿が、驚きを持って記されています。

曲を作るにあたり、まずこの吾妻鏡に記載されている板額御前の姿をそのまま取り入れる、ということは、当初から考えていたことです。
しかし、吾妻鏡の記載は量も多くなく、しかも敵である鎌倉方の視点から一方的に見た姿です。
琵琶の曲とするには、これだけでは足りないものがある、と感じていました。

ちなみに、静御前、巴御前の曲は琵琶曲として昔から存在します。
史実では実在が怪しいこの二人ですが、琵琶の世界では人気の曲目です。
琵琶曲の静御前は、悲運の女性静の、義経に対する思慕の情と白拍子としての矜持。巴御前は、女武者としての圧倒的な強さに加えて、木曽義仲への忠誠心と愛情がテーマかと思います。

では、この静御前,巴御前に並べて、板額御前の曲を作るとしたら、吾妻鏡に描かれている姿に何を加えたらいいでしょう?
それは、板額御前の心情,ではないでしょうか。

板額御前の心のうちは?

800年前に生きた女武者、板額御前の心のうちを計り知ることは容易ではありません。それを補うために、今回、曲を作り始めるに当たって、胎内市の板額会にご協力いただき、会の方からお話を伺うことができたことは大きな助けになりました。
板額会は、「板額御前」を広く世に広め、それにより地域の発展を目指して、幅広く活動されている会です。

板額会の皆さんが長年調査研究された結果、諸説ある中、おそらくこうであろう、と今推測されている板額の姿や、地元に伝わる伝承、江戸時代以降に広く流布した板額の誤ったイメージ、地元の皆さんの板額への思い、などをしっかりとお聞きすることができました。
おかげで、板額という人の、単に「驚くほど強い女武者」というだけではない姿が思い浮かぶようになりました。

現場 鳥坂城へ!

曲作りに取り掛かり、ほぼ形が出来上がりかけた頃、
ちょうど、板額御前の物語の出来事「鳥坂(とっさか)城の戦い」があった季節になりました。

情報が得やすくなった今でも、その場所に立ってみて初めてわかることがある、というのは、2022年に制作した「八丁沖」の時に大いに実感したことだったので、今回も、その季節に、現地に行ってみたいと思っていました。

鬱蒼とした山道
予想していたよりはるかに広い、板額の一族、城(じょう)氏の城郭跡を示す案内板
鳥坂城のあった山。今はのどかな風景です。
鳥が鳴き、至る所に山の花が咲いていました

板額御前の守る鳥坂城が陥落したのが建仁元年の旧暦5月のはじめ、
西暦に直すと1201年の6月の初旬ということになります。
私がここを訪問したのはゴールデンウイーク中だったので、ひと月ほどの違いはありますが、春が終わり本格的な夏が始まる間の、一年の中でも特に穏やかな
この季節に戦いが行われたのだ、という感じは実感できました。

ここで感じたことを盛り込んで、
板額御前の曲が完成しました。

2024年11月の新潟琵琶楽協会の琵琶楽演奏会で、お披露目の予定です。

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