義仲忌、巴御前のこと
俳句の季寄せをめくっていたら、2月に義仲忌という言葉を見つけました。
木曽義仲の亡くなった日が季語になっているのです。
とあります。
1148年の旧暦の1月20日は新暦で表すと3月4日らしいので、これ2月の季語で良いのかな?という疑問もありますが、睦月だったので=冬の出来事というイメージなのかもしれません。
ちなみに、大津にある義仲寺で現在も行われている「義仲忌」は1月に開催されているそうです。
薩摩琵琶の世界でも、この木曽義仲の最期の物語は大切なレパートリーになっていて、そこには必ず巴御前という女武者が登場します。
この物語の元は平家物語の中の「木曽最期」で、
ストーリーは、
敗走する木曽義仲が残った少数の兵で最後の戦いをして、巴御前と別れて、
忠臣の今井兼平が防戦する中、その場を離れて自害しようとするも、
その前に敵の矢に倒れる。
その後今井兼平も壮絶な最期。
というような流れです。
木曽義仲と今井兼平の主従の物語という印象が強く、意外にも巴御前の登場場面はほんの少しだけです。
ところが私が習った薩摩琵琶の曲では、
「木曽殿最期」という平家物語と同じように木曽義仲が題名になっているものの中にも、大活躍したはずの今井兼平さんは出てこなくて、木曽義仲と巴御前だけのお話になっていました。
巴御前の人気はずいぶん高かったようで、
「巴御前」という巴中心の曲もあり、これは巴の出てくる場面だけをクローズアップしていました。
更に、その「巴御前」の曲にも何パターンかあって、その中には、
戦った後もう一度戻って、義仲が既に自害してしまっているのを見て嘆く、
というような場面で終わるものもありました。
これは平家物語とはずいぶん違うストーリーで、
おそらく、木曽義仲から巴御前の方に物語の主役が変わっていく過程で、より女性らしさを表現しようとして、
ストーリーが変更されたのではないかと思います。
いずれにしろ、巴御前という女性が主人公になったこの曲は、私にとっては演奏しやすく、演奏会で弾かせていただいたことも何度かありました。
私は、「義仲のむくろにすがって、よよとばかりに泣く」場面で終わるパターンより、
原典通りに、勇ましく戦って去っていって終わる巴御前の方が好きです。
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