真夜中のヘレン・メリル


今、窓の外は暗い雨です。
部屋もとても暗く、スタンドライトの光だけが、僕がペンを握る机に差し込んでいます。
あなたの教えてくれた、歌詞の意味もわからない古いジャズがとてもよく似合うこの部屋、
この机で、僕はあなたのことを書こうと思いました。これは日記ではありません。手紙でもないでしょう。ただ、あなたのことを忘れないようにしたいのです。

例えば、あなたに会ったのは入学式の日でした。僕と同じように誰とも喋らず、休み時間になると水飲み場で、飲みたくもない水を飲んでいましたね。
いつまで経っても誰とも喋れない僕たちは、まるで蝸牛のようにじわりじわりと互いにすり寄りました。決して仲良くなんかありませんでした。どうにかこの世界を生きていくため、ただ余り物がひっついただけの利害の塊でしたが、そうして僕らは一人が二人になったのです。

そして退屈な時間が経ったある日、あなたは言いましたね。
形あるものが嫌いだと。姿形の美しいものが全て嫌いだと。
それは到底許されぬ罪を告白する、懺悔のような言葉でした。思わず笑うのを呑み込んでしまうほどに、痛々しい言葉でした。
 人は「美しさ」という価値をもって、無意識に全ての姿形あるものに順列をつけます。そして人は「美しい」の箱に詰めたものを、何をおいても愛おしみ、それは時に、どんな悪意よりも無邪気に、残酷な結果を引き起こします。
 ならば、自分は美しさなどいらない。美しさを感じたとしても、きっと表現などするものか。
どこかに「醜い」とされたものが有る限り、どこかに「美しい」とされたものが有る限り、そしてそれらからこぼれ落ちるものがある限り、きっとするものか。そうあなたは言いました。

僕はその姿をたまらなく愛おしく思いました。こぼれ落ちるはずのものから目を離すことが出来ず、苦しみながら、決して普通にもなれずに生きるあなた。その日から僕とあなたは友達になりました。だからあなたの姿形を、ここに書くことは絶対にしません。
そんなことをしなくても書くことは沢山あるのです。
無口なあなたが初めて貸してくれた「サニー」のカセットのこともそうです。あなたと放課後に通った中華屋の、五百円のレバニラの味のこと。帰り道に恥ずかしがりながら乗ったブランコの風を切る音のこと。夏には僕の好きなハイロウズを聴いて、一日中寝転んで過ごしましたね。
意固地なあなたは僕に沈黙の心地よさを教えてくれました。「美しい」という言葉と引き換えに、無数のきらめきをくれました。あなたは、僕のやる事なす事全てを考えて、そして答えてくれました。僕も同じようにしました。あなたとの時間にこぼれ落ちるものなど、一つもありませんでした。少なくとも僕はそう思いました。

書いているうちに雨が強くなってきました。
明日はもっともっと強くなるそうです。卒業式、中止にならないでしょうか。
いえ、わかっています。
どれほど雨が降ろうと、卒業式はつつがなく行われ、あなたと僕はもう会うこともないのでしょう。悲しみも悔しさも、あの無数のきらめきすらも、時が消していくのでしょう。
だからせめて僕だけは忘れたくありません。
例え、誰かにこの記憶を「それは美しいものだ」と言われても、現実逃避、耽美なる青春の儚い夢と言われても、僕は首を横に振ります。
愛とも美とも、名付けることは間違いです。美しくなんかないのです。ただ僕らは、僕らなのです。僕はあなたとの時間から、そう学びました。

ヘレン・メリルの流れるように低い歌声が、夜の海のようにこの部屋へ満ち満ちています。
明日が来ないでほしい。このレコードを返す日が、永遠に来ないことを祈ります。



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