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【3分で読むエンジニア物語】 第8話 エラー404、見つからぬ心

黒川剛は31歳のフルスタックエンジニアだった。大手IT企業の高層ビル、窓からは東京の夜景が輝いている。しかし、その景色とは裏腹に、黒川の心は空虚だった。彼は成果主義の権化として知られ、数々のプロジェクトを成功に導いてきた。だが、その冷徹なプロフェッショナリズムの裏で、自分の感情を置き去りにしていた。達成感や喜びは、いつの間にか遠い記憶となっていた。

大型プロジェクトの完了を祝うパーティーの後、黒川は一人、深夜の無人コワーキングスペースに座っていた。ネオンの光が薄暗い室内に反射し、彼の顔に淡い影を落とす。モニターに映るのは「Deployment Successful」のメッセージ。しかし、心には「エラー404、見つからない心」という警告が鳴り響いていた。

「これが、俺が望んでいた成功なのか?」

黒川は心の中で呟いた。達成感は一瞬で消え去り、代わりに押し寄せたのは虚無感だった。彼は一体、何のために働いているのか。キャリア、金、地位、それらはすべて手に入れたはずだった。だが、心の隙間を埋めるものは何一つ見当たらなかった。

夜が更ける中、黒川はふと自分の過去を思い出した。子供の頃、彼は純粋にプログラミングが楽しかった。初めて動いた簡単なゲーム、意味もなく作ったアプリケーション。そのときの彼は、誰かの評価や成果など気にせず、ただ夢中でコードを書いていた。その記憶は、まるで埃をかぶった宝物のように輝いて見えた。

「いつからだろう、こんなに心が乾いてしまったのは。」

彼は苦笑した。過去の情景が次々と脳裏に浮かぶ。友人と一緒にバグを見つけては笑い転げた放課後、眠れない夜に夢中でコーディングした時間、そして初めて自分の作ったプログラムが動いた瞬間の、胸が高鳴る感覚。

引き出しの奥から、古びたノートを取り出した。それは中学生の頃に描いた、自分だけの「理想のプログラム」の設計図だった。紙は少し黄ばみ、端は折れていたが、そこにはかつての彼の夢と情熱が詰まっていた。ページをめくるごとに、忘れていた情熱が少しずつ蘇る。そして、心の奥底から小さな火が灯るのを感じた。

「俺は、これが作りたかったんだ。」

黒川は再びモニターの前に座り、新しいファイルを開いた。今度は誰のためでもない、自分のためにコードを書き始めた。指がキーボードの上を滑り、リズミカルなタイピング音が静寂を破る。その音は、まるで心の奥深くで失われていた何かを呼び覚ますかのようだった。コードが一行一行と増えるたび、彼の心に少しずつ温もりが戻っていくのを感じた。

「成果だけが全てじゃない。大切なのは、作る過程そのものだ。」

黒川は静かに微笑んだ。その微笑みは、冷たい仮面を脱ぎ捨てた本当の自分への第一歩だった。

夜が明ける頃、窓の外の空が薄紫からオレンジへと変わる頃、彼の顔には安堵の表情が浮かんでいた。モニターには、まだ未完成のコードが並んでいる。しかし、それこそが新たなスタートの証だった。完璧である必要はない。ただ、心の赴くままに作り続けること。

自分自身と向き合い、再び情熱を取り戻した瞬間だった。エラーは解消されたわけではない。しかし、探し続けること自体に意味があると気づいた黒川は、これからもコードを書き続けるだろう。自分自身を探す旅路の中で、そのコードが新たな物語を紡いでいくことを信じて。そして、その物語は、彼だけでなく、誰かの心にも小さな火を灯すことになるかもしれない。

おわり


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