なにもしないという生き方の提案。
リゾート地、観光地の忙しい時期が終わろうとしています。といっても、僕の住むまちは避暑地なので、別の地域ではこれから忙しい時期をむかえる場所もあると思いますが。
先日の台風19号の影響で山梨県は中央道と中央本線が土砂崩れのためにアウトになって、ある意味陸の孤島になりました。なので、例年よりもお客さんが流れてくることも少なくなり少し寂しい秋が通り過ぎていきそうです。
また続々と台風がやって来そうな予報が流れていてまだまだ気を抜けないところですが、なにごともなく穏やかに冬を迎えられたらいいなぁと思っています。
シンプルな生き方の提案。
ぼくはいま生き方の研究をしています。これからの時代をどう生き抜くか、一生懸命考えています。自分という体を使って実験をしています。
先日、SHOWROOMの代表である前田裕二さんの著書「メモの魔力」を読みました。それからメモ魔と化しています。
前田さんのメモ術はたんなるメモに留まらず、「第二の脳みそ」のような感覚でメモを使って考えるというもの。人生の過去を振り返り、未来をつくっていく、そのための思考術です。
さっそく自分も過去の棚卸しと未来をつくっていくための準備をしています。メモを使って。これまでもんもんとしていたことや納得をもってできていなかったこと、寂しいと感じていたことや悲しさや苦しみ、悔しさなど、こんなにちゃんと書き出したのははじめてのような気がします。
そんなこんなで少し心と頭がスッキリした気分です。
自分の目指す目的地はどこなのか?
ぼくがメモを使って必死に導き出そうとしているのは「自分の目的地」です。
なんだか自分探しのようなニュアンスがあって落ち着かないけど、この人生において「どこに向かいたいの?」という質問を投げかけることはとても大切なことだと思っています。
がむしゃらに働いてきた20代、人間関係の壁にぶつかったり、ただがむしゃらに前に進むことだけで満足感を得られずに立ち尽くすことになりました。はて、これからどこに向かおうかと。
とても抽象的な言葉を使うと、目指す場所は「幸せ」なんだなと思います。これはきっと誰もが思うこと。その「幸せ」の定義は人それぞれ自由にセレクションすればいいのだけど、やっぱり人間関係の中でしかそれは手に入らないのだなと感じます。
だから目の前の人と「どう関わるか?」が「幸せ」を考えるにあたって、とても重要な点になってきます。
自分の持っているもので人の役に立つ。
「幸せ」の入り口は「人の役に立つ」ことだと、いまのところは考えています。目の前の人に喜んでもらうこと。これが無くては人は幸せになれないんじゃないかと。
人はみんなそんなことは心の奥底で理解をしていて、役に立ちたいと願っているからこそ、がんばることをするんじゃないかと。
でも本当はそんなにがんばらなくても人の役には立てる。世の中に賞賛されることやインスタグラムやフェイスブックでたくさんイイねをもらうこと目指さなくても、できることはたくさんあるはず。
ぼくはなんとなくこれまで「凄いこと」をやらなければいけないような気がしていて、その方向に走っていました。凄い企画をつくらなきゃ。凄い結果を残さなきゃ。凄い夢を持たなきゃ。凄い人にならなきゃ。
そうしないと自分の価値が見出せないような気がしてたのです。でもそれは全然違った。凄くなろうとすればするほど、自分という存在からかけ離れた自分になり、それは背伸びした自分であって、全然ラクじゃなかったし幸せではなかった。どちらかというと孤独だった。
目の前の人たちは競い合う敵のように見えて、弱さを出すことなんかはできずに、等身大の自分からどんどん離れていった。どんどん人に頼れなくなっていきました。
夢はなにもしなくてもいい自分になること。
ひとつ夢を掲げるとしたら「なにもしなくてもいい自分になる」こと。かなり漠然としているけど、なにもしないことはかなり理想のライフスタイルだと考えています。
それは「怠けたい」という意味ではなくて、なにもしないほうが「目の前の人と幸せをつくりやすいから」という理由からです。ここを解説しだすと何時間もかかってしまうのでやめておくけど、とにかく「なにもしないことは幸せをつくりやすい」と考えています。
とはいえ、生きる活動として「なにもしない」わけじゃないので、説明するのが本当に難しい。だから体現するしかないなと思っています。
等身大の自分で役に立つ。
そのためにはやはり「目の前の人の役に立つ」ということが大切になってくるのです。というと、かなり矛盾しているように聞こえます。
でも「なにもしないこと」で「目の前の人の役に立つ」ことは可能です。誰かと一緒にいるだけで役に立つ機会は沢山あります。その先になにがあるのかをぼくは見てみたい。
大きなことをするのではなく、凄い自分を目指すのではなく、なんてことない自分としては生きていく。自分にとっての普通を極める。そんな、とてもシンプルな生き方を求めていきたいのです。
きのう友達とこんな季節に花火をした。コンビニで買えるようななんてことない花火。それでもこの時間はとても幸せに近い時間だったような気がしました。
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