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私たちが背負わされている、原罪
自分の思考の整理のために書いたので、難しい書き方になってしまったけれど、とてもいい着地点を迎えることができました。
こうやってなんとなく頭の中にぼんやりと浮かんでいることを具現化していく行為が、書くことなのかなって思います。
書くことで初めて具現化される。着地するんですよね。
ここで書いたことは『とある側面』からの視点なので、すべてではないし、異なる見方も沢山あると思います。
それでも、現在の自分にとってはとても役に立っていること。
表現をすることってとても楽しいこと。でもとても苦しいときもあるんです。
こうやって日々考えたり感じたりして、言葉にしているのは『もっと自由に表現したいから』なのですね。
よきもわるきも、生まれながらにして才能を発揮できるような天才ではなかったので、こうやって一つ一つの道のりを確認することが出来ています。
なんとなくだけど、登山コースをつくっているようなイメージ。
いずれいまの自分と同じように『もっと自由に表現したい』と願う人たちがいたときに、険しいけもの道ではなく、少しは舗装された山道を楽しんで歩んでもらえたら嬉しいなと思っています。
舗装しすぎちゃうと、それはそれで登山の醍醐味が薄れてしまうのでほどほどにね。
先の記事で『後ろめたさ』について書いたけれど、ふとあることを思いました。
先日、月に一回くらい行っているお楽しみのサウナに行ったときに、その休憩室で『タコピーの原罪』という漫画を読みました。
マンガアプリの広告でその存在を知っていて気になっていたのだけど読まずじまいだったので、上下巻の短編だったこともあって一気に読みました。
センシティブな内容を含むので、評価はわかれるような作品ですが、短編小説のように読み手を飽きさせないテンポ感と全てを語り尽くさない含みのある展開、ゆるいSFミステリー感がなんとなく好みで楽しめました。(もう少しだけわかりやすく伏線回収してくれるといいなと思ったかな)
なぜ『タコピーの原罪』の話をしているのかというと、この作品を読み終わったときに『原罪ってなんだ?』と思ったのですね。
それで調べてみると、一般的にはキリスト教でいうところの『アダムとイブが課された罪』のことを言うらしいのです。
げん‐ざい【原罪】
〘名〙 キリスト教で、アダムとイブが神にそむいて禁断の木の実を食べてしまったという人類最初の罪。すべての人間は、アダムの子孫として、生まれながら罪を負っているとされる。宿罪。また、転じて、人間が根源的に負う罪。
ざっと見たところ、諸説あるらしく明確にこれだと言い切ることは出来なそうですが、あくまでも素人解説ということでご了承ください。
そして、先ほどの『後ろめたさ』の項目を書いているときに思ったのですね、これは原罪なんじゃないかって。
だって私たちは、なぜか分からないけれど自然とネガティブな感情を抱いてしまうじゃないですか。
ときどき、なんでこんなに不自由な生き方を選択しているのだろうと不思議に思うことがあるのです。
もうこれは人間として生まれてきた以上仕方のないもので、遥か遠くの過去から背負ってきた原罪なのではないかと、そう解釈することもできるのかなと思いました。
そう考えると、この罪悪感や無価値観のようネガティブな感覚は自分のアイデンティティとは関係ないものだし、過去から背負わされてきたものだから仕方ないよね、みたいな感覚になれるんじゃないかと。
これはひとつのストーリー理解ですが、こうやって自分が背負っているものを他人事にしてしまうのも一つの手なのかなと思います。
心と表現というテーマではこれからもずっと考え続けていくことでしょう。
良かったらまた見に来てください。
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