謀略の狭間に恋の花咲くこともある #07
(第四話)『奇妙な友人』前編
俺は、大阪に向かう新幹線の中でひと息ついた。
後輩の峰村広報課長の懲戒委員会から一転、上長が懲戒解雇されるというドタバタ劇があり、峰村と麻紀の証言を元に二重払いの損失を取り戻すことに奔走し、予定から一週間後にようやく休暇を取ることができた。
(結城との約束が一週間遅れたな……)
結城の名前は〝孔子〟と書いて、そのまま〝こうし〟と読む。
中国の偉い儒教家でもあり、哲学者なのだから良い名前なのだろうが、本人は、よく〝礼子〟(れいこ)に間違われて女の子だとからかわれたので嫌いらしい。もっとも、色白で華奢な体つきと端整な顔付きも含めて、からかわれていることに本人は気づいていない。
結城とは、大学時代からの腐れ縁だ。ふたりは異なる学部に在籍していたが、『心理学研究サークル』で妙に息が合った。息が合いすぎて、とうとうふたりだけの新サークルまで作ってしまった。
それまでの心理学研究では、普通に古代からの心理学者の教えを研究し、グルーピングするような〝健全な〟サークルだったが、「せっかく心理学を研究するのなら、さらに相手の心理を操作して意図的に操れるようになるまで研究しようじゃないか」と、のめり込んでしまったのだ。
今でこそ、〝メンタリズム〟だとか、〝ブレインダイブ〟などの言葉で一般的になっているが、十年前は『とても怪しい研究』だと思われていた。
残念ながら俺は、結城のように心理操作をマスターすることはなかったが、結城と一緒に居ると楽しいことに遭遇することが多かった。
しかし、油断するとスグに心を操作されてしまうので、結城に会う際は注意しておかないといけない。
結城という男は、名前に負けず劣らず変わっていて、大学時代に俺以外の友人はいなかったハズなのに、飲みにいけばいろんな年齢層の仲間から酒をご馳走になっていた。「相手の心を操作する」という研究成果を不遜にも実益に変えていたと思われる。
大学は大阪の北部に位置しており、当然下宿も北摂といわれる地域にあったが、結城と俺は大阪のミナミとよばれる繁華街の更に南にある西成区近辺を拠点としていた。
なかでも、萩ノ茶屋商店街の〝モリタ〟という立ち飲み屋がふたりのお気に入りで、朝から通っては、『人間ウォッチング』と称して酒を飲んで語り合っていた。
(変わった奴だけど、峰村の件では世話になったな)
副社長の特命を受けて、会社に寝泊まりすること二週間、峰村を懲戒解雇の危機から救っただけでなく、上司のパワハラとセクハラを白日の下にさらけ出し、ウミを出すことができた。その解決のヒントを電話一本で推理したのだから、〝結城のおかげ〟といってもいいだろう。
結城に一杯おごる約束を果たす名目で大阪に向かうが、大学を卒業して以来なので八年ぶりとなる。結城と合うのは、昨年東京にフラッと遊びにきて以来だから、約一年ぶりの再会だ。
待ち合わせの天王寺駅改札を出たところで時計を見ると、約束の七時までに約一時間あった。とりあえず到着した旨のメッセージを送り、辺りをブラブラしてみることにした。
以前は工事中の囲いと鉄板道路だらけだった谷町筋の工事はすっかり終わっていて、見違えるようにスムーズに車が流れていた。振り返ると噂に聞いた阿倍野ハルカスがそびえ立っている。
道路の向こう側に広がる動物園入り口を眺めていたら強烈な視線を感じた。視線の方を見ると、占い師のおじいさんがポツンと座っている。顎髭が多すぎて顔つきはよく判らないが、色は浅黒くグレーの和服エプロンの下は結構な贅肉がありそうな小太り体型だった。
占いには興味がないし、結城からの連絡がいつ入るかも判らないので占いを見てもらうつもりはないのだが、妙に気になる視線を観察していると、それまでこちらを見つめていたのに突然プイッと横を向いてしまった。
違和感を覚えながらも占い師の横をすり抜け、視線から逃れるように商店街へ進んだ。
少し歩くと、〝モリタ〟の暖簾が目に入った。
(モリタ? 萩ノ茶屋の?)
驚きながらも暖簾を少し持ち上げて覗いてみると、なんと懐かしい萩ノ茶屋で日本酒を飲みながら焼き鳥を焼いていたご主人が、忙しそうにカウンターの中で働いていた。
元々、今日は萩ノ茶屋のモリタで結城にご馳走するつもりだったが、ここで結城からの連絡を待つことにした。
店内には女性客も多く、以前の雰囲気とは違う綺麗な居酒屋風になっていた。二階には小さなテーブルと椅子もあって、ひとつだけ空いていたふたりがけのテーブルに案内された。とりあえずのビールと枝豆をもらい、この店の名物で大好物だった〝うな肝〟も注文した。
店内を観察していると、長髪の男が階段を上ってくるのが見えた。なんと、連絡もなしにやってきた結城が手を上げながらにこやかに向かい側に座る。
「結城! よくここが判ったな。俺もちょうど今来たところだ」
階下で既に生ビールを注文してきたのだろう、すぐに結城のビールも運ばれてきたのでジョッキを合わせて再開を祝った。
「もしかして、ここに誘導されたことにまだ気ぃついてへんのか?」
ひと息ついて、結城が呆れ顔で言う台詞に、頭の中をフル回転させて考えた。
たしかに「モリタでおごる」とは言ったが、てっきり萩ノ茶屋商店街に行くものだと思っていた。しかし、この店を偶然見つけて入った……。
(ん?)
そういえば、胡散臭い占い師を避けるように進んだらこの店の前に着いたんだ。改めて結城を見直したが、占い師の面影はまったくない。占い師は小さな帽子を被っていたが、こんな長髪には見えなかった。眼鏡も占い師がかけていた黒縁の丸眼鏡ではなく、インテリっぽい細い眼鏡だ。
「相変わらず、未明は扱いやすいな。あんな簡単な変装やから、じきに見破られる思うたけどな」
勝ち誇ったように眉をピクピクさせながら話すのは結城のクセだが、警戒していたのに誘導された自分が情けない。占い師に変装していた結城は、ひと言もしゃべらないで、俺をここに誘導したというわけか。だからすぐ後を追って来ることができたのだ。
「どうして占い師なんかに変装していたんだ?」
悔し紛れに聞いてみた。
「探偵としての仕事や」
「聞き込みのために変装するのか?」
「せや。占ってもらうためには誰でも心の内を話さなあかんやろ。刑事みたいな聞き込みより、はるかに効率ええで。実はな……」
結城が思わせぶりに少し間をおいた。
「おもろい話があってな」
「俺に関係する話なのか?」
「せや。小林デザイン企画って会社、未明も知ってるんちゃうか?」
あやうくビールを吹き出すところだった。
小林デザイン企画といえば、つい先日まで俺が特命で調べていた相手だ。二重取引の濡れ衣を着せられた峰村を救うために、なんとかして小林社長の尻尾を掴もうとしたが、肝心なところで逃げられてしまった。未だに鮮明に頭に残っている。
結城は俺の驚きを想定していたかのように頷くと話を続けた。
「二ヶ月くらい前、俺の占いに妙な客が来てな」
(妙な占い師だからじゃないのか)という言葉は飲み込んだ。
「そいつは、堂島コンサルティングっちゅう胡散臭い会社の火野っちゅう若いモンでな。『今度初めて大きなヤマを任せてもらったが、上手くいくかどうか占ってくれ』っちゅう相談やった」
「そいつは堅気なのか? 結城の知り合いか?」
「せや、知り合いやけど堅気とちゃうやろな。俺の変装には全然気ぃつかへんかったわ」
「大きなヤマって何かわかったのか?」
「いや……、そんときは絶対に名前を出さへんかったけど、大阪と東京の会社で架空取引をさせて裏金を作るっちゅうことまで判った。東京の会社っちゅうのんが有名な大企業なもんやからビビってる言うてたわ」
他人事とは思えない話になってきた。
「ここまでやったら、俺の日常でよぉある話なんやけど、面白ぅなったんが三日前や」
「三日前?」
「ああ、俺がちょくちょく行く天王寺のバーに、その火野と小林社長が来たんや。そんときは別の変装で会社員やっとったから、ふたりとも俺に気づかずにスグ後ろの席に座りよった」
結城はここでビールを口に運んだが、俺はビールを飲むのも忘れて続きを待った。
「ふたりの会話にちょくちょく『東洋』だとか、『有田』っちゅう言葉が出てくるさかい、耳がダンボになってもうたわ」
人が真剣に話を聞いていても笑いをぶっ込んでくるあたり、さすが関西人だ。
「みなまで聞くことはできひんかったけど、火野が『大きなヤマ』言うとったんがこの件やと判ったし、有田って邪魔モンのせいで失敗したんやと愚痴っとった。この有田ってのは、未明のこととちゃうんか?」
「タブンそうだろうな」
リフレッシュのために大阪に来たと思っていたが、まだ事件は続いていたのだと天を仰いだ。
(後編に続く)
また第一話と同じ有田視点一人称です。
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