甘いタリウムは必然の香(34)
第八章 必然的な結末
2.埠頭の嘘
「次に、真鍋さん殺害の件ですが……」
ホームズが再び話し始めた。
「私と未明君が真鍋さんの会社に行って、『早苗さんがお店をリフォームするのでは』と伝えたことで、真鍋さんは早苗さんが山科さんを強請っていたと推測したのでしょう。真鍋さんの会社も経営が思わしくなかったことから、真鍋さんは山科さんを品川埠頭に呼び出して口止め料を要求した。違いますか」
ホームズが山科を問い詰めると、
「それもすべて想像のお話ですな。まるで証拠がないばかりか、真鍋に口止め料を払わなければならない理由もない」
山科は余裕の表情を取り戻していた。
「そうですね。山科さんが早苗さんを殺害したなどの証拠を、真鍋さんは持っていなかったでしょう。でも、十六年前のことは早苗さんと同じように山科さんを強請るのに充分な材料だったのではありませんか? 真鍋さんは、早苗さんみたいに殺されないよう、護身用ナイフをポケットに忍ばせていたんですが、それを出す間もなく失神させられ、投げ飛ばされています。山科さんほどの柔道有段者でなければできないことです」
ホームズのきっぱりした口調に、
「だから証拠は? 何も具体的な証拠がないまま僕を陥れようとしているだけじゃないか。このままだと名誉棄損で訴えますよ」
山科はまた少し取り乱していた。
「証拠はたくさんありますよ……。未明君、真鍋さんが会社から最後に電話したのは誰だかわかったの?」
ホームズの言葉に、有田は待ってましたとばかりに手帳をめくった。
「ああ、ホームズに教えてもらったように電話会社へ依頼したら、すぐに分析ができたので回答をもらっていた。十月十七日、真鍋さんが無くなる前夜の午後十時二十六分から二十分間、山科さんの携帯電話と話していたことがわかった」
「二十分とは、やけに長電話でしたね」
ホームズが山科に尋ねた。
「十数年ぶりに真鍋から電話があったので、懐かしくてつい長話をしてしまいました。今度選挙に出るときは応援よろしくとか……とりとめのない話でしたよ」
山科はいかにも準備していたように淀みなく答えた。
「でも先日、お宅にうかがったときにはそんなこと言っていませんでしたね」
有田が手帳を確認して山科に問いただした。
「『会ったことがあるか?』と聞かれたので、『会ってない』と答えただけで、電話で話したかとは聞かれていませんよね」
山科は不敵な笑みを浮かべている。
「そのときに真鍋さんから品川埠頭へ呼び出されたんじゃありませんか」
ホームズが探るように尋ねる。
「とんでもない。僕は最近、海の近くには行ってないと話したじゃないか」
山科はうんざりした顔で答えた。
「そうですか……でも山科さんは、品川埠頭からセダムを持ち帰りましたよね。自宅で増殖させていたじゃありませんか。葉っぱが少し広くてクリスタルグラスによく似たセダムです」
ホームズが確認すると、
「え? 何のことでしょう。僕はそんなセダムなんか知りませんよ」
山科は、このやりとりも想定していたようだ。慌てる様子も見せずに躊躇なく答えた。
「そうですか。やはり処分されましたか……。でも山科さんほどのタニラーであれば、あんな珍しいセダムを捨てることはしないでしょう……。翼君、ミサトさんに預けていたコーヒーカップや写真の鑑定結果が出たのよね」
突然、野沢に話を振ったが、野沢も出番を待ち構えていた。
「そうです。さっき鑑識から結果をもらってきたところです。品川埠頭の外灯の下にあった土と、山科さんが練馬中央公園に移植した植物の根から検出した土は、まったく同じ成分でした」
野沢が鑑定書を山科に突きつけると、山科は目を見開いた。
「どうして僕が練馬中央公園に移植しただなんて言えるんだ! 確かにそこは自宅の近くにある公園だが、それだけの理由で決めつけないでくれ!」
血相を変えて野沢に言い寄った。
「公園にあったその植物の葉っぱから、山科さんの指紋が検出されたからですよ」
野沢が落ち着いた声で答えた。
「なに? 僕は指紋の提出なんかしていないぞ」
山科が吐き捨てるように言うと、野沢は持っていた箱の中からコーヒーカップを取り出した。
「この三つのコーヒーカップは、先週の水曜日にホームズさんの事務所へミリちゃんが運んだものです。そうだよね」
野沢が美里に同意を求めると、
「そうです。あの日のコーヒーカップだけ返されないからおかしいなと思っていたら、ホームズさんが倒れる日の朝、箱に入れたままホームズさんから預けられたんです」
美里がきっぱりと答えた。
「この三つのコーヒーカップから指紋が検出されました。マスターとミリちゃんの分を除くと、それぞれ有田さんとホームズさんと、もうひとり分の指紋しか検出されていません。それはそのときに事務所を訪ねていた山科さんの指紋しかありえませんよね」
野沢が、噛んで含めるように説明した。
「それに……」
ホームズがひと呼吸置いて断言した。
「真鍋さんが殺された夜、山科さんの車はどこのNシステムにも捕捉されていないのに、前後の日に連続で給油していますよね。動いていないはずのハイブリッドカーのガソリンがなくなるほど、Nシステムの設置場所を迂回しながら品川まで行ったと証明しているものですよ」
誰の目から見ても、既に『勝負あった』の状況だと確信できた。
「そんな……いったい、いつから僕を疑っていたんだ……」
肩を落とした山科が、弱々しく呟いた。
「初めてお会いしたときからですよ。普通の人間は、警察をあんな風にリビングへ招き入れるなんてことしませんよ。私は真鍋さんが見つかった品川埠頭で土の味見をしていたんです。その後、山科さんのお宅で同じセダムが増殖されていたので、その土も味見して同じものだと確信しました。それなのに山科さんが『海の見える所には行ってない』なんて嘘をつくものだから、その時点で私の中では山科さんが犯人としての必然性を満たしてしまったんです」
野沢が驚いて声を上げた。
「だからあのとき、山科さんの家で土を食べていたんですか。それにしても鑑識が分析してやっと同じ土だとわかったというのに、ホームズさんは食べただけで成分分析していたんですね」
「そうね、『私が味見して同じ物でした』と言っても裁判の証拠にならないだろうから、鑑識さんの分析結果も必要だったのよね。私の事務所で品川埠頭にあるセダムの写真を見た山科さんが顔色を変えたと未明君から聞いたので、きっと自宅のセダムを処分するだろうなと思ったわ。だから名古屋先輩とリサちゃんに山科さんの自宅近くに公園がないか探してもらったら、練馬中央公園があるってわかったので写真を撮ってもらっていたの」
「え? あのふたりも今回の関係者だったのか……。知らなかったから呼んでないよ」
関係者を集めるように言われた有田が頭をかいた。
「それは仕方ないわ。あのふたりがいない方が静かに話せるからかえっていいけどね」
ホームズが話を中断して軽くウインクした。
「山科さんがセダムの半分を持ち帰ってくれてたおかげで、これだけのことがわかりました。珍しい多肉植物を見つけても全部を持ち帰らないなんて、さすがに山科さんは『タニラーの鏡』みたいな習性ですよね。でもこれで山科さんが品川埠頭に行っていたことは誤魔化しようがありませんよ」
ホームズが突きつけると、山科はびっしょりと汗をかいていた。
「それらの証拠は、僕が品川埠頭に行ったことがないという嘘をついていたと証明できるだけで、殺人の証拠にはならないですよね」
山科は最後の悪あがきをするようにホームズに詰め寄った。
「さっき、ホームセンターでナイフを買う山科さんを見つけたと言いましたよね。わざわざ『海の見える所に行ってない』とおっしゃっていることから、凶器はどこかの海岸線に捨てたと考えるのが必然的ですね。警察が近くの海辺……そうですね、Nシステムのない地域を徹底的に探せばすぐに見つかると思いますよ」
ホームズは相変わらず冷静だが、
「ホームズ……その画像っていうのは、事務所のパソコンに保管していたんだよな」
有田が腫れ物に触る思いで尋ねた。
「ええそうよ。いつでも証拠として提出できるように日付と時間も一緒に記録しているの。アップにしているから山科さんの顔がはっきりわかるわよ」
ホームズの言葉を聞いて、山科はまた冷静さを取り戻したように見えた。
「あのな……実は三日前に事務所が荒らされて、資料やパソコンを盗まれているんだ……」
「あらそうなの? まだ事務所を見てないけど、そんなこともしてたのね」
ホームズは横目で山科を見やったが、全然焦っていないようだ。
「何を呑気なことを言っているんだ。資料だけじゃなくて大事なパソコンも盗まれているんだぜ」
「大丈夫よ、大切なデータは雲の上だから」
また、ワケのわからない『大丈夫』だ。
「しかも今日で事件も解決するみたいだから、資料を処分してくれたのなら手間が省けて助かるわ。パソコン本体が無くなったのは痛いけど、買い直せばいいだけよ」
ホームズは、ことの重大さに気づいてない。
「大切なデータベースが消えてしまったんだぜ。ホームセンターの画像データも無くなったってことだろ!」
ホームズの呑気さに地団駄を踏むように有田が言った。
「だからそれは雲の上だって……大切なデータをパソコンだけに保存しておくなんてことしませんよ。クラウド型のデータベースといえば、理系の山科さんには何のことだかわかりますよね」
ホームズの言葉に、再び顔を真っ青にした山科は、言葉にならない呻き声を上げていた。
「クラウドというのは、インターネット上にデータを預ける仕組みのことです。だからパソコンが無くなってもデータは残ってるのよ」
ホームズが皆に向かって説明した。
「だから雲の上って言っていたのか……」
有田の言葉にホームズは軽く頷き、コーヒーをひと口飲んだ。
(続く)
この原稿が初稿の頃はまだクラウドって一般的じゃなかったんですよね。。(汗)
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