甘いタリウムは必然の香(23)
第五章 ホームズ倒れる
3.誰が?
「まずは皆さんに紹介しますね。未明君の前に座ってらっしゃるのが、御厨麻紀さんです。ミサトさんは知ってるわよね」
ホームズが美里を見ると、
「はい……三鷹で一度……」
いつもの美里らしくない消え入りそうな声で彩花を盗み見している。
「そうなの。今日は三鷹の件を皆さんにきちんと話すために集まってもらったんです」
マスターはコーヒーを淹れながら聞いている。
「一週間前の日曜日、彩花さんは三鷹の霊園に行かれましたよね」
「ええ……知り合いの方の命日だったもので……」
彩花が答えると、麻紀が大きく目を見開いて彩花を見ていた。
「彩花さんは三鷹に行った際、『つけられている気配がした』と、おっしゃっていましたよね」
「はい。でも気のせいだとわかって安心しましたけど……」
彩花は、以前にも話したではないかというように眉根を寄せた。
ホームズは自分を落ち着かせるようにひと息つくと、
「ところが気のせいではなかったんですよ。そこにいるかわいいウェイトレスさんが私の依頼で、彩花さんを尾行していたんです」
ホームズは尾行の件も隠さずに告白するようだ。
「えっ……」
彩花が美里を見ると、美里は下を向いたままだった。
「どうして探偵さんが私を尾行だなんて……」
「それは守秘義務がありますので申し上げられないのです。お許しください」
ホームズが深々と頭を下げた。
「そのときに、ミサトさんは麻紀さんと会ったんですよね」
ホームズは、美里と麻紀を交互に見て話しかけた。
「はい。美里さんがこの女性を尾行しているとは知らなかったのですが、美里さんの後ろを歩いている男の人に危険を感じたもので、脇へ連れ出したのです」
終始俯きかげんな麻紀が、言い訳のように説明した。
「その後、三鷹駅前のコーヒーショップで、ミサトさんにいろいろと身の上話をお尋ねになったんですよね」
ホームズが確認するように問いただした。
「……はい……身の上話といっても、そんな私……」
麻紀の口調は、澱みなく答えるときと歯切れの悪いときがある。
それまで黙っていた美里が、麻紀を庇うように口を開いた。
「麻紀さんは、親身に話を聞いてくださいましたよ。まるでホームズさんと同じように優しく尋ねられるから、ついいろいろとおしゃべりしましたけど、そんな……麻紀さんが責められるようなことはありませんでした」
「では……」
ホームズは美里の言葉に頷くと、彩花の方を向いた。
「彩花さんは知り合いの方に電話をかけて、尾行されていないか確認してほしいと依頼したとおっしゃっていましたが……」
話の流れが掴みきれていない彩花は少し困惑していて、
「はい……」
と、小さく返事するしかないようだった。
「車で自宅まで送っていただいたのもその方ですよね」
ホームズがそこまで言ったとき、マスターがコーヒーを運んできた。
「皆さんもどうぞ。コーヒーを飲みながら聞いてくださいな」
ホームズは、ブラウンシュガーを二個、自分のカップに入れた。
……カラン、カラン……
そのとき、ドアを開けて入ってきたのは山科だった。今日も山科はきっちりスーツを着て、薄手のコートを羽織っている。
「ちょうど良かった。山科さん、こちらにどうぞ」
ホームズが立ち上がって山科を呼んだ。
山科は驚いた顔をして一瞬立ち止まったが、笑顔で近づいてきた。
「どうして僕が来るとわかったのです?」
表情はにこやかだが、少し引きつった表情だ。
「今日は必ず来ていただけると思っていましたから……」
ホームズが、はぐらかすように答え、意味ありげに彩花を見た。それから自分のカップを今まで有田が座っていた席に移した。しかたなく有田は隣のテーブルへ移動するしかない。どうやら山科を一番奥の特等席に座らせたいようだ。
山科もホームズの意図を察したようで、
「僕がこの席に座ってもよろしいのですかな」
遠慮がちに言いつつも、コートを脱ぎながら横歩きして奥の席に向かった。
マスターにコーヒーをひとつ追加注文したホームズも再び腰を下ろした。
「さて、どこまで話したかしら……。そうそう、山科さんがみえたので、最初から説明しますね」
ホームズは、それまで話していた内容を山科に聞かせるように話した。
山科は、ミサトと麻紀の出会い部分の話を、身を乗り出して聞いていたが、その後の彩花の話では身を固くしているように見えた。
「――彩花さんが三鷹霊園で電話をかけて尾行者を確認してもらい、車で送っていただいた方は……」
ホームズは少し間を置いて、ゆっくり山科に向き直った。
「山科さんですよね。私が彩花さんに今日ここへ来るようにお願いしたことも、きっとお聞きになると思っていました。それに、私たちが初めてお宅におうかがいした日の夜も彩花さんと会って、情報交換していたのではありませんか」
そこまで話すと、山科の返事を待つかのようにコーヒーをひと口飲み、しゃべり過ぎて喉が渇いていたのだろう、少し冷めたコーヒーを一気に流し込んだ。
ホームズの話を聞いていた麻紀が、顔を上げて改めて山科の顔を見た。
「あっ」と、麻紀が両手で口を押えたとき、
「うううう……」
ホームズが突然うめいたかと思うと手足を痙攣させて、椅子から通路側に崩れ落ちた。
突然の出来事にベイカー街が騒然となった。
ホームズは床に倒れ込んでお腹を押さえ、飲み込めなかったコーヒーを口から垂らして苦しがっている。
トレードマークの大きな眼鏡もどこかに飛んでいる。
彩花は顔を真っ青にして、椅子に背中を押しつけるように逃げ腰になっているが、奥の座席なので動くことができないでいる。
麻紀は口に手を当てたまま、ホームズの顔を覗きこんでいる。
山科も椅子から立ち上がり、心配そうに様子をうかがっている。
美里は一瞬おびえるように驚いていたが、ホームズに駆けより「しっかりして」と声をかけている。
マスターも驚いて駆けつけてきた。
「ホームズ! どうした。しっかりしろ!」
有田がホームズを抱え起こそうとしたが、とっさに『これは事件だ』と悟った。
「皆さん、落ち着いてください。飲みものには手をつけないで、そのまま動かないでください」
皆を制して救急車と鑑識に連絡した後、捜査本部にも事情を説明する電話をした。
ホームズが倒れたことで有田も動揺していたが、そこは刑事魂を発揮して現場保存をしつつもできる限りの現状分析をした。
ホームズは自分のコーヒーにいつものブラウンシュガーを入れて、かき混ぜている最中に話が長くなってしまい、さっき飲んだのがひと口目だったはずだ。
一緒に運ばれてきたコーヒーは、彩花と有田のものだが、ふたりはコーヒーを飲みながらホームズの話を聞いていたので、既に半分くらいになっている。山科のコーヒーは、さっき運ばれたばかりでまだ口をつけていないはずだ。麻紀もオレンジジュースを飲みながら話を聞いていた。
シュガーポットに蓋はなく、盛られているブラウンシュガーがむき出しだが、見たところ異常があるようには見えない。ホームズ以外にはシュガーを使った者がいないことは有田も見ていた。
ホームズに意識はあるが、手足が痙攣してしびれているようだ。
眉間に皺を寄せ、倒れたまま首を左右に振っている。ケープを取って首のあたりをかきむしっていて、息苦しそうに見える。
状況からして、ホームズのコーヒーに毒物が入れられていたことは確実だ。
(続く)
急展開すぎますかね……
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