謀略の狭間に恋の花咲くこともある #03
(第二話)『二者択一』前編
(このまま無断欠勤を続ければ、確実にクビになるんだろうな)
(美里は、大学に通いながらもバイトで私を養ってくれるだろうか)
(正式にクビになったら、やはり職探しはしないといけないな)
――ピンポーン――
(誰か来た)
私にも美里にも呼び鈴を押して訪ねてくるような知り合いはいないのだから、セールスに決まっている。
出なくてもいいのに、美里はすぐにドアを開けてしまう。
(困ったものだ)
「……少々お待ちください」
美里の声がしてドアを閉めたようだ。
(私に?)
「お姉ちゃん、会社の人が来てるよ。すっごいイケメン」
私がこんなに落ち込んでいるのに、美里はあっけらかんとしている。
(まあ、そのおかげで私は命を繋いでいるのかもしれないが……)
「誰?」
「あ、ごめん。名前は聞き忘れたけど、スーツをビシッと着こなしてる堅い感じの人だよ」
私は、のそのそと部屋を出て玄関に向かう。
ドアスコープから覗くと、確かにスーツを着てネクタイもしっかり絞めている。私の会社では5月からクールビズ解禁だから、この時期にネクタイ姿の人など滅多にいない。
(人事課長……)
そう、人事や秘書の人間は年中、スーツにネクタイ姿をしている。ドアスコープ越しでははっきりとは判らないけど、人事課長に間違いない。たしか〝有田未明〟って変わった名前だった記憶がある。入社の際に社内規定など堅苦しい説明を受けた。
直接会話をした記憶はないが、剣崎人事部長の部下だ……。
(クビの宣告だろうな……)
涙の痕が残っていないことを確認してドアを開けた。
「笹原麻紀さんですね」
有田課長のにこやかな顔がわざとらしく見える。名刺を出そうとしているようだけど、そんなものいらない。
「どうぞ」
玄関先で済ませたい気分だけど、クビの宣告ならきちんと向かい合おう。ここでは近所の目も耳もあるし……。
美里が麦茶を出して部屋に戻ったので、私から切り出した。
「私の処分が決まったのでしょうか?」
いろいろ世間話をされても面倒だ。結論だけでいい。
「いえ、今は有給休暇を充てていますので、処分の段階ではありませんよ」
有田課長の言葉は予想外のものだった。
「え? 無断欠勤なのに有給休暇扱いにしてくださっているんですか?」
「そうですね。事情が事情だけに、上司とも相談して、無断欠勤にはしていません」
(上司!)
やはり、剣崎部長の差し金か……。
「でも、もういいんです。峰村課長が自宅謹慎だなんて納得できません。私が会社を辞めます」
最終的に二重発注したのは私なんだし、支払い処理も私がやってる。
……ただ、どうしてそんな伝票ができていたのかはいまだに判らない。
「笹原さんが辞めることはないでしょう。そんなことをすればふたりも抜けてしまう広報課が大変ですよ」
(ふたり?)
またまた有田課長の言葉に驚いた。
「え? 私が辞めれば峰村課長は復帰できるのでしょう?」
峰村課長は、私のミスを全部被ろうとしているのだから、私が辞めさえすればそんなことしなくて済むはずだ。
「残念ながら今のままでは解雇になるでしょう。笹原さんは早いうちに出社すれば大丈夫ですよ」
「そんな……」
剣崎部長の力はそんなにも大きいのか。剣崎部長が「何も話すな。任せろ」と言っていたのはこういうことか。
(剣崎部長は私の味方なの?)
その後、有田課長が何を言っても耳に入ってこなかったし、答える気力もなかった。
「ちょっと、お姉ちゃん。あまりに失礼じゃない?」
有田課長が帰ると、美里が口を尖らせた。
「いいのよ。どうせ辞めるんだから」
そう告げて自分の部屋に逃げ込んだ。
……どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
一年前、私は第一志望の東洋電機に採用されただけでなく、憧れの広報部門へ配属された。
同期の友人たちは、地方の支店や工場へ配属されたのに、私だけが本社の管理部門となった。研修の打ち上げで同期から手荒い祝福を受けたけど、やりがいがあったしなにより楽しかった。
一年目社員としては、新聞の切り抜きやホームページの素材作成がメインだったけど、テレビコマーシャルの制作班は華やかで、間近で見ていられるだけで自分も〝ギョーカイの人〟の気分になれた。
そして、配属から半年後の今年1月、電機製造メーカーが一堂に会する最大のビッグイベント〝J-TEC〟のプロジェクトメンバーに選ばれた。
このイベントは、二年に一回、ドームを使って行われる電機業界にとっては日本最大の展示会だ。一流家電メーカーはもちろん、小さな町工場からも出展される。ゴールデンウィーク直後とはいえ、四日間で二十万人以上が訪れる大人気のイベントだ。
私の会社でも広報班を中心に、全社を挙げて参加する重要なもので、各部からの精鋭が集められる。広報課には元々それなりの要員が揃っているが、その数か月間は、九州支社や関西支社、北海道支社など全国六つの支社から広報のエキスパートが、このイベントのために召集される。
そのイベントのメンバーに私が選ばれた。
異例中の異例だといわれたけど、一番驚いたのは私だ。
それでも、抜擢してくださった方のために私は頑張った。本社の峰村広報課長を始めとする広報社員と全国の広報エキスパート、それに各部の精鋭の中で、毎日クタクタになるまで働いた。それも、華やかな表舞台ではなく、お茶やコピー用紙の補充など裏方として精力的に動いた。
メンバーの出張旅費や必要経費の伝票整理なども、経理部門から来ている先輩のお手伝いをした。
(今にして思えば、剣崎部長がちょくちょく顔を出して私を激励してくれていた)
他のメンバーの中には、若輩者の私なんかがプロジェクトにいて面白くない人もいただろう。それでも嫌な思いをすることがなかったのは、〝人事部長の後ろ盾〟があるように見えたのかもしれない。
怒涛の四か月が過ぎ、一大イベントは無事終了した。……かに見えた。
イベント終了の打ち上げも終わり、支社から派遣されていた精鋭部隊がいなくなった本社会議室では、イベントに関する決算資料の作成が続いていた。経理部の社員さん達がメインだったけど、イベント中の経理業務に携わっていた私も引き続きお手伝いをしていた。
(これは、私が発注したポスターの発注書ね)
イベントの一週間前から全国の支店や会場周りの駅などに大々的にアピールしたイベント参加のポスターだ。大阪の小林デザインという会社に全部で六万枚の発注だった。
(電話で話した小林社長って関西弁がすごかったけどどんな人かしら)
イベント中の熱気を思い出しながら、私は発注書と納品書と振込伝票をまとめて一連のファイルに入れた。
(えっ?!)
伝票整理の手が止まった。
六万枚のポスター発注書がもう一部あった。納品書と振込伝票もある。
(なにこれ……)
先ほどファイリングした伝票をもう一度手元に置いて見比べてみる。
発注書の処理完了者や振込依頼者は、どちらも私だ。
…………
「これって、笹原さんが発注したの?」
イベントには派遣されていなかった経理部の姫野主任が伝票をチェックしてくれた。
「はい。そうです」
「どういうこと?」
姫野主任にキツイ口調で問いただされても、私が聞きたいくらいだった。
その後、監査担当が召集されて念入りな検査がはじまり、当事者である私は、決算会場から締め出されてしまった。
自席に戻ると、広報課のメンバーから何か聞かれたけど、うつろなまま席に座るしかできなかった。
着席するのを見計らったようにデスクの電話が鳴った。
(内線……。人事部長!)
見慣れた剣崎部長の内線番号からだった。
「はい、広報課笹原です」
努めて明るい声を出そうとしたけど、剣崎部長は決算会場でのできごとを既に知っていた。
「大丈夫だ。何も心配することはない」
「でも……」
「麻紀は何も悪いことはしていないんだから、気にしなくていいんだよ」
剣崎部長の声は、いつものとおり優しい。理由は判らないけど少し安心した。
「……はい」
「また連絡する」
そう言って、一方的に電話は切れた。
(後編に続く)
第一話の有田視点から、麻紀視点へと移りました。
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