甘いタリウムは必然の香(27)
第六章 ホームズのいない日々
3.美里の過去
この日は、美里の知り合いが訪ねてきたということで、美里が大好きな特製のキノコスープを作ることになった。
「このスープはキクラゲの戻し汁が肝なんですね」
「そうなんじゃ、キクラゲの風味がいいじゃろ。戻したキクラゲは別で使えばええ」
「キノコスープって名前の割には、キノコが見当たらなくて面白いですね」
「この作り方は、香織に教えてもらったものでな。なんでも幸次さんが行きつけの飲み屋で聞いてきたのを家でも作らせていたらしい。そうしたら、やっぱり美里はふたりの娘だけあって、小さい頃からこのキノコスープが大好きじゃった」
おばあさんはもう一品、これも美里が大好きだという『里芋の煮っ転がし』の作り方をホームズに教えながら作った。
「美里は今でこそ元気に走り回っているけど、ここにいる時分はずっとひとりで遊んでおったし、ワシら以外には誰とも口をきかん子だった……」
食事のときに、おじいさんが教えてくれた。
「あら、私も子どもの頃は、いつもひとりで本ばかり読んでいましたよ」
ホームズが言うと、
「あれまあ、今ではこんな田舎にまでひとりで旅をするようになって大したもんじゃ」
おばあさんが笑いながら大げさに驚いていた。
ホームズは、美里が自分に親近感を感じるのは、境遇も似ているからなんだと思った。
翌日のホームズは、朝早くから働いた。
今年は例年より暖かくて初霜もまだ降っていないらしいが、北アルプスでの初秋の夜明けは予想以上に冷え込んだ。
ホームズが大きく息を吸い込むと、程よい冷気とともに朝日の匂いが体中に染み渡った。
まずは夜明けとともに鶏小屋へ行き、卵を回収する仕事を引き受けた。鶏たちにとっては知らない人間が小屋に入ってくるので、卵を取られまいと応戦する。
両手を嘴でつつかれ、血を滲ませて帰ってきたホームズに、おばあさんは楽しそうに笑いながら絆創膏を貼ってくれた。
採れたての新鮮な目玉焼きとお味噌汁に、これまで食べたことのないほど美味しいお新香で朝ごはんを食べた後には、おじいさんが畑の霜よけ養生ネットを張るのを手伝った。
初めての作業に戸惑いつつも何とか邪魔者にならない程度の手伝いはできたとホームズは自己満足していたが、ところどころ寸足らずな所がある。それでもおじいさんは何も言わないし、おばあさんはニコニコと笑っていた。
頭や顔のあちこちに土を付けたまま、ホームズも一緒に心の底から笑うことができた。
立派な畑を目の当たりにすると、土を食べてみたくなるのはホームズの習性だ。
「ウマかろう?」
畑の土をすくって口にしたホームズを見ても、おじいさんは驚くどころか自分も口に入れた。
「はい。こんな美味しい土は初めて食べました。美味しい野菜が育つわけですね」
おばあさんは目を丸くしながらも、やはりニコニコ笑っていた。
お昼前に山羊の乳搾りをしたときには、手際の悪いホームズに山羊が暴れ出した。
さすがのホームズも山羊を相手に心理操作するというわけにもいかず、額にも絆創膏が増えてしまった。
午後からは、おばあさんと裏山に行き、マタタビやムカゴといったこの時期ならではの珍しい山菜を収穫した。
今は収穫の時期ではないが、キクラゲを原木栽培している組み木も見せてもらった。他のキノコ類の収穫が終わった夏に美味しく食べられる貴重なものだと教わったが、林の中で枕を並べて寝ているようなブナの丸太に感動したホームズだった。
畑の片隅で勝手に自生している山ワサビを収穫するなど、夕方までクタクタになるほど体を動かした。
さらに、採ってきたばかりの山ワサビをすり下ろし、これも美里の好物らしい『山ワサビの醤油漬け』の作り方をおばあさんに教えてもらった。山ワサビは水栽培のワサビとは別物のようで、すり下ろす作業だけでも辛さが目に滲みたが、出来上がったものをつまみに、おじいさんと楽しく酒を酌み交わした。
まだ娘っこのようなホームズが、頰を染めながらも日本酒を美味しそうに飲むので、無口なおじいさんの表情も緩み、美里や香織の話をホームズに話した。
「香織さんは、生まれたときからこのおうちで暮らしていたんですか」
ホームズが尋ねると、
「そうだに。香織は昔っからとびっくらが得意で、田んぼや畑を走り回ってた」
おばあさんの話では、香織は高校生までこの山里からバスや電車を乗り継いで一時間以上をかけて町の学校に通学していたが、高校を卒業すると東京の会社に就職してひとり暮らしを始めた。あるとき、選挙のボランティア活動をしていて、倉見代議士の事務所で働いていた幸次と知り合って結婚したらしい。
烏丸夫妻は大変仲が良く、おじいさんとおばあさんをとても大切にしていた。月に一回は幸次の運転でここに帰っていたらしい。
「やっぱり……いくら夜間でも、幸次さんがハンドル操作を誤ることはないわね」
ホームズはそう確信した。
おじいさんとおばあさんは、倉見や山科についても「立派な人だ」と今でも思っていて、烏丸夫妻から「大切な恩人」と聞いていたらしい。
「だから、ふたりの葬式の前の日だったかの……。山科さんが香織の荷物を引き取らせてくれって言ってきたときも、信用して全部預けただに」
おじいさんは、今でも山科を信用しているようだった。
夜も更けて布団に入ったホームズは、手足が自分のモノではないくらいに疲れていた。
「たった一日働いただけなのに体中がクタクタだわ。こういうときには未明君の体力が欲しいわね。ま、先日まで引きこもってたのもあって体が鈍ってるし仕方ないか」
そんなことを考えながら、あっという間に眠りに落ちたホームズだった。
翌日の鶏小屋では少し慣れていたが、それでも小屋のボスらしい鶏につつかれて、右手の甲の絆創膏がまたひとつ増えた。
(続く)
重要な捜査なんだろうけど、リフレッシュしてますね♪
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