甘いタリウムは必然の香(28)
第六章 ホームズのいない日々
4.帰ってくるホームズ
ホームズはお昼のバスで帰ると伝えていたので、おじいさんとおばあさんは、たくさんのお土産を用意していた。
帰り支度を終え、ホームズは鞄からスマホを取り出すと、三日ぶりに電源を入れた。
面会謝絶のふりをしておかないといけないので、電源そのものを切っていたのだ。
電源を入れると同時に、有田や美里からのトークや着信通知が何件も届いた。
しかし、ホームズはそれらを未読のままにして、剣崎からの着信履歴が一件入っているのを確認すると、まずは『自分が入院しているはずの病院』に電話をかけた。
いかに捜査本部に秘密とはいえ、剣崎を誤魔化せるとは考えていなかったので、病院には、「もし剣崎警視が確認に来たら、事実を話していい」と言っておいたのだ。
案の定、「昨日剣崎警視が直々に病院に見えたので、事実をお伝えしたら『わかった』とだけ言って帰っていった」とのことだった。
ホームズは深呼吸すると、剣崎の携帯に電話をかけた。
剣崎は電話に出るなり、
「何を企んでいる」
心の底まで見透かされるような、冷たい口調だ。
「警察を騙して申し訳ありませんでした。お詫びは何度でもいたします。この三日間で十六年前の真相がいろいろとわかりました。十六年前と言えば、剣崎警視なら何のことだかわかりますよね……。お忙しいでしょうが明日の十一時にベイカー街へお越しいただけませんか」
丁寧な口調のホームズに対して剣崎は、「わかった」とだけ返事して電話を切った。
次に、ようやく有田からのトークを開いてみると、最初の方こそ、『元気になったらすぐに連絡乞う』とか、『まだ集中治療室なのかな?』といった余裕の漂うメッセージだったが、昨夜のトークでは、『死ぬなよ!』『帰ってこい!』などと緊迫感が伝わる文面で、さすがのホームズも少し罪悪感を覚えた。
トークを開いたからには、既読になったことに有田も気づくだろうから、有田と美里にひと言ずつだけトークを送って、すぐにまたスマホの電源を切った――
――有田がホームズに送っていたトークの既読を見つけたのは、ベイカー街で野沢と中食をとっているときだった。
ちょうど山科も来ていて、奥のテーブル席でホームズの話をしている最中だった。
トークが既読になったことを見ただけで心がざわめき立ったが、すぐにトークの返信が送られてきた。
『復活したよ安心して。少し調べているので、明日の十一時に関係者をベイカー街に集めてちょうだい』
すぐにホームズへ電話をかけてみたが、既に電波の通じない所に居るらしかった。
「山科さん。今、ホームズから連絡があったけど、明日の十一時にまたここに来ていただけますか」
一番怪しいとはいえ、証拠がない以上は単なる関係者だ。この三日間毎日来ているので、言わなくても来るだろうが丁寧に依頼した。
「えっ! ホームズさんが帰ってくるのですか? 元気になったのでしょうか? 三日間も意識不明の昏睡状態だったのなら、後遺症も心配ですよね」
山科はホームズを心配しているようだが、本心はうかがい知れない。
「ホームズさんが元気になったのなら、忙しくてもなんとか時間を作って来ますよ」
山科が帰ると同時に、厨房から美里が飛び出してきた。
「未明君。ホームズさんが無事に帰ってくるって!」
有田に飛びつかんばかりの喜びようで、美里にもホームズからのトークが届いたのだろうとわかった。しかし野沢が、「飛びつくなら僕にして」という顔をしているのを見て、有田は苦笑いするしかなかった。
彩花と麻紀にも連絡を入れて翌日の約束を取り付けた。彩花は毎日が休みみたいなものだろうが、勤めている麻紀にとっては、翌日が祝日なので好都合だったらしい、二つ返事で了解してくれた。
有田が麻紀に連絡したとき、なぜだかわからないが、麻紀はベイカー街に呼ばれることを喜んでいるようだった。四日前はホームズに抗議していた姿を思い出して、違和感を覚える有田だった。
ホームズのいないこの三日間は、有田と野沢も大奮闘していた。
方面本部と所轄の協力もあったが、足を棒にして都内の薬局を駆け回ったおかげで、数ある薬局の中からこの一か月以内に山科と麻紀が殺鼠剤を購入していたことを突き止めた。
山科は自宅のネズミ駆除のためと理由を書いていて、麻紀は学校の宿直室のネズミ退治と書いていた。どちらの殺鼠剤も、シュガーに混入されていた殺鼠剤のメーカーと同じものだった。
さらに、麻紀の学校関係者への聞き取りで、殺人事件が起きた日の午前中は二件のときとも、麻紀が休暇を取得していたことがわかった。ただし、足取りは掴めていないので事件との関係性は不明だ。
彩花の家にあった西陣織の日本人形も、彩花の任意提出により鑑定を終えていて、倉見雄一郎が存命な頃からあるものだとわかった。科警研の見立てでは、十万円以上する高級品で、とても高校生がお土産に買える代物ではなかったこともあり、さなえにあった物とは別物だと判明した。
しかし、ホームズの事務所を荒らした犯人は見つかっていないし、箱に入っていたコーヒーカップの鑑定結果もまだ出ていない。
「ホームズが帰ってくる。ホームズが……」
有田は嬉しさで同じ言葉を何度も繰り返し呟いた。
ホームズが復活するまでに犯人逮捕とまではいかなかったが、ホームズが帰ってくれば百人力……いや千人力だ。ホームズのいない日々は何かが物足りなく、クリープを入れないコーヒーのようだった。
いかにお子様味覚のホームズでもコーヒーにクリープを入れる習慣はないが、そんなフレーズを思いついては自然と笑みがこぼれる有田だった。
(第七章に続く)
さて、いよいよ決着の舞台が始まります o(^^)o
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