大好きだったバンドのこと。
大好きだったバンドが活動再開することになった。
めでたいような、めでたくないような、えも言われぬ気持ちになったので、ファンだった頃の話をしようと思う。
ここに書くことは、全てがわたしのエゴだ。
だから誰も悪くない。
それだけは先に書いておきたい。
だけど、どうしても自分の気持ちを書いておきたかったので、書くことにした。
空想委員会というバンドが、本当に本当に大好きだった。
「だった」と書かなくてはいけないことがすごく悲しいくらいには大好きだった。
恋と、空気と、たまに闇。
というのが彼らのキャッチコピーだった。
最初は母がハマって、ライブに連れて行かれて、わたしも好きになった。
確かZepp Diver Cityで見た、ろくに予習もしないで行った初めてのライブで、『雨男のメソッド』の2サビ前、真っ白な照明の中観客全員がジャンプして、わたしだけが取り残されたあの景色を鮮明に覚えている。
当時は自分だけのれなくてショックだったけど、それをきっかけにハマったようなものだから良かったのかもしれない。
バンドサウンドも歌声も歌詞のことば選びも、全部が大好きなバンドだった。
特に歌詞。前にどこかでギターボーカルの三浦くんが『日本語の響きを大切にしている』と話していた。
変に英語がでてきたりしないような、日本語の美しさが分かるような、ほんとうに綺麗な歌詞だなってずっと思ってた。
ハマってからは母とライブに頻繁に足を運んで、だいたいいつも最前近くにいた。
ベースの岡田くんと目が合ったときは泣くほど喜んだり、サイン会にも行ったり。
当時学生だったわたしは高校通学のカバンにキーホルダーと缶バッジを付けていた。電車のドアに挟んで取れなくなって、遅刻できないから泣きながら引きちぎって、ボロボロ泣いたまま学校に行ったこともあった。(もちろん2代目を買った)
そのぐらい、いちばん大好きだった。
でもなんとなく、ずれ始めてきていた。
たぶん三浦くんが自己啓発にハマったあたりからだと思う。
Twitterでの発言とか、なんとなく節々から、わたしが苦手な雰囲気に三浦くんが寄っていってることが分かった。
わたしの嫌いな人を褒め称え始めて、あっ、もう好きでいられないかもしれない、って思った。
だけど岡田くんとなおぴー(ギターの佐々木さん)は変わらず楽しそうに彼とライブをしていて、みんな幸せそうだし。これでいいんだ。と思ってた。
でもきっと、わたしは「幸せじゃない三浦隆一」が好きだったんだと思う。
「幸せじゃない三浦隆一」が描く世界が、メロディが、縋り付くような、でも諦観と憎しみで濁りきった綺麗な歌詞が、好きだった。
わたしは彼に、幸せになって欲しくなかったんだと思う。
2018年。
『何色の何』というEPが発売された。
許せなかった。
完全なるわたしのエゴだ。
変わりゆく彼についていけなかっただけ、わたしがターゲットから外れただけ、なんだと思う。
だけど、どうしても許せなかった。
何が『マイヒーロー』だよ。
日本語の響きを大切にとか言ってたのに!
全部忘れちゃったみたいに薄っぺらい歌詞で。
岡田くんが結婚して、適当な言葉で平たく祝って。
そんな捻くれた性格は全然変わってなくて。
それなのに。
どうしてこんな歌詞を書いてるんだよ。ふざけんな。
そう思った。
大好きなバンドのはずなのに、どうしても聴けなかった。
どうしても許せなかった。
その矢先の、「現体制での活動終了宣言」。
とてもつらかった。本当に大好きなバンドだったから。
だけど、それ以上に。
「もうこんな彼に付き合わされるメンバーを見なくていいんだ」って、どこかで安堵した自分がいた。
メンバーたちはそんなこと1ミリも思ってないんだろうけど、そう思ってしまった。
それが、いちばんつらかった。
大好きな空想委員会を、そんな風に思いたくなかったから。
活動終了直前のラストライブに、わたしは行った。(といっても、今までのライブもほとんど母にチケットを取ってもらっていたのだが)
本当は行こうか行くまいか、すごく迷っていた。
行ったら後悔するような気がしていたから。
だけど行かずに後悔するのも嫌で、彼が活動終了について何を話すのかも気になって、いちばん好きだった岡田くんがどんな顔でそれを聞くのか気になって、見に行った。
3月31日。
ヒューリックホール。
最後の最後にジャンプ出来ない会場を選んでしまうなんて、彼ららしいなと思った。
めちゃくちゃ不完全燃焼になるだろうなとも思った。
案の定次の日に追加公演があって、それが本当のラストライブだったけれど、予定が入っていて行けなかった。
そのライブは今までの彼らを労うような、お祭りのような雰囲気だったらしい。
ホールで半着席のなか行われた、名目上のラストライブ。
その最後の曲。
アンコールの、いちばん最後の曲。
演奏されたのは『マイヒーロー』だった。
なんとなく分かっていた。そうだろうなと思っていた。
今の彼なら、この曲を最後にするだろうと思った。
岡田くんの嗚咽が聴こえる。
なおぴーがボロボロと泣きながら、声をこらえてギターを弾いている。
その真ん中に、三浦隆一が立っている。
凛とした顔で。
歌を歌っている。
わたしは泣いていた。
曲に感動したんじゃない。
これが最後なんだって悲しくなったんでもない。
大好きだったバンドの、活動終了してしまうバンドの、そのラストライブの最後の1曲で。
すーっと冷めていく自分の心が、何も感じない自分が、むしろ怒りを覚えているような自分が。
大好きだったバンドにそうさせられたことが、そう思ってしまったことが、悲しくて悲しくて仕方なくて。
とにかく泣いていた。
それから間もなくして、わたしは三浦隆一のフォローを外した。
大好きだった彼をこれ以上嫌いになりたくなかったから。
それでもなんとなく情報は入ってきた。
つらかった。
大人になるってこういうことなんだろうか。とか思った。
空想委員会は学生モチーフのバンドだったから、なんとなくそんな言葉が浮かんだ。
わたしは大人になれなかったんだと思う。
他のメンバーの活動も、なんとなく心が追いつかないままぼんやりと眺めていた。
つい一昨日くらいに、空想委員会の活動再開が発表された。
活動終了から2年も経っていたことにかなり驚いた。
もともとサポートだったのもあり、ドラムのテディさんは抜けてしまうようだった。
それもめちゃくちゃ悲しい。テディさんが空想委員会で叩くときのドラムがすごく好きだったから。でも仕方ないとも思う。
活動再開にテディさんがなにも反応していなかったのも悲しい。
経営側だったし、なにか思うところがあるんだろうか、とか考えてしまった。
正直、怖い。という気持ちがいちばん強い。
嬉しくないわけではない、と思う。
でも、怖い。
わたしが好きだった空想委員会は、「幸せじゃない三浦隆一」は、たぶんもう存在しないから。
でも、ライブのチケットを取ることにした。
後悔するような気もする。ラストライブのときのように。
それでも、空想委員会が好きだったあの気持ちを消したくないから、見に行こうと思う。
ここまで長々と文を綴ってみて、当時のことをこうもはっきり覚えているとは思わなかった。
自分の青春に寄り添っていた音楽のことは忘れないのか、それとも憎しみの記憶は消えづらいというやつなのかは分からないけれど。
とにかく、それくらいわたしにとっては大きな存在なんだと思う。今も。
雨が降っても、マフラーを巻いても、夏の日差しが眩しくても、結局思い出してしまうくらいには大好きだった。
だからこそ苦しかった。
それがわたしにとって、この2年間の空想委員会だった。
ライブに行って、好きだった気持ちが戻ってくるかは分からない。
だけどもしそうじゃなくても、彼らが先に進むなら、わたしも進まなくてはいけないんだろう。
彼らが変わるなら、わたしも変わらなくてはいけないんだと思う。
彼らにとってはきっとただのいちファンでしかないけれど、わたしにとってはただひとつの空想委員会なんだから。ちゃんと向き合おうと思う。
この春が、別れの季節になっても。
過ぎ去った時間の中で
このまま足掻いていても
「続き」は変わらないと悟った
きっと桜色の幕降りて
場面は切り替わった
新たな舞台に立つ
『桜色の暗転幕』-空想委員会